高木彩
先日、沖縄での戦争の真実を再現した「沖縄戦の図」という絵を見ることができました。その絵には、様々な証言を基に親は子に夫は妻に手を下し、エメラルドの海が赤く染められてしまうという残酷な光景が描かれており、「いのち」と真剣に向き合った人々の姿は生々しく今も私の心に強く残っています。その絵に描かれている人々にはそれぞれいろんな思いがあったはずですが、描かれたほとんどの人々は無表情で眼が描き込まれていませんでした。私は最初そのことに全く気がつきませんでしたが、「眼が描き込まれていないのは、絵を見た人が、犠牲となった方々の立場であったらどんな眼をしているのかを自分のこととして考えてほしい」という作者の思いを聞かされた時、何処かで分かったことにして、目前に再現されている真実と少し距離を置いている自分に気づかされました。そして私はこの絵の作者から自分自身の生き方を問われているように思ったのです。「いのち」と真剣に向き合っている人たちを見て、それを自分のこととして考えてほしいということは、「いのち」と真正面から向きあえ!という叫びだと感じました。戦争のことを知り、さらに「いのち」は大切だと感じることはいろんな形でできると思います。しかしそれだけでは戦争さえ起こらなければそれでいいということになってしまうのではないでしょうか。このような考え方になると自分自身の関わりが見えなくなってしまい、自分自身を見失うことになりかねません。
「いのち」と向きあうことは簡単ではないですが、人やものとの様々な出会いから、知り得たことをきっかけとして、与えていただいた限りある「いのち」というものに真剣に向き合うことで、毎日毎日を生かせていただいていることの尊さに出遇うことができ、自分自身を見つめ直していくことで、「いのち」というものが、そして自分自身の生きる道が見えてくるように思います。