森 英雄
ある人が「やっぱり善いことはするもんやねー」と言われるので、何のことかなと思って聞いてみると、最近お札配りを始めたその人が、道を歩いていたら近くのスーパーの千円の商品券を拾ったというのです。やっぱり善いことをすればちゃんと神様が見ていてくださって、私に褒美をくださったと思って、今もその商品券をたたんで、大事に財布に入れて持っているとのことでした。善因善果ということでしょうか。私にもこの心はありますからよく分かります。ある意味では、神様が実在することを人間が証明したともいえるでしょう。
しかし、このこと全体はどういう意味を持つのでしょうか。仏教では縁起という道理を大切にします。ここでは商品券を拾ったという事実が縁となります。その縁によって出てきた心が、私たちがどんな心で生きているかを証明してくださいます。そのことによって、わが身は罪深く、タダではなかなか動かない存在であることに気がつかされます。善いことが起こると喜ぶ、その心は都合を離れては生きていない存在であることを教えてくれています。だからこそ、善いことが起こっても悪いことが起こっても、すべてが私自身の問題を教えるための尊い出来事であることが分かってきます。そうなって初めて、この世はいい目をするために生まれてきたのではなく、自分を知らせてくださる仏さまに出会うためだといただけてまいります。自分自身の罪悪感とそれを知らせたもう仏さまのご苦労が感じられて、日常の何気ない出来事が大切な意味をもって感じられてまいります。そういう意味では毎日の出来事は、私が仏を証明するのではなく、仏さまの方が私自身を罪悪深重であり、煩悩の塊であることを日夜証明してくださっているとはいえないでしょうか。