海野真人
住職になってから今まで門徒さんからいろいろな質問をいただきました。その中で一番多かったのは、「正信偈には一体何が書いてあるの?」といものでした。正信偈は私たちにとって最も身近なお勤めで、日頃目に触れているだけに、「意味がわからないことが残念だ」と言われます。
法事の後、十数分で簡単にお話しすると「初めて聞いた」と喜ばれる方が多いので、このダイヤル法話を聞かれる方はよくご存知のことかと思いますが、正信偈のことをお話します。とても短いのであらすじを少しだけということになりますが・・・。
赤本をお持ちの方は、いっしょに見てください。3頁から正信偈は始まります。最初の1行「帰命無量寿如来 南無不可思議光」は、阿弥陀仏の限りないはたらきを寿と光という二つの方向から言い表したもので、その阿弥陀仏に深く深く帰依していくという強い志を表明したものです。
では、その阿弥陀仏とは一体どういう仏なのか?そのことをとてもコンパクトにまとめたのが3頁「法蔵菩薩因位時」から13頁「難中之難無過斯」までです。
続いて14頁からは、1行目・2行目にあるように印度、中国(中夏)日本(日域)の合わせて7人の高僧たちが述べられたことがまとめてあります。七高僧のお名前だけを紹介しますと、1人目は「龍樹大士出於世」(15頁)の龍樹、2人目は「天親菩薩造論説」(18頁)の天親、このお二人は印度の方、そして3人目「本師曇鸞梁天子」(21頁)の曇鸞、4人目は「道綽決聖道難證」(24頁)の道綽、5人目は「善導独明仏正意」(26頁)の善導、このお三方は中国の方、そして6人目が「源信広開一代教」(28頁)の源信、最後7人目が「本師源空明仏教」(30頁)の源空(法然)です。このお二人は日本人です。ちなみに親鸞という名は、天親・曇鸞の下の二文字を頂いたものです。(下の一文字でよかったです。上の一文字だと「天曇〈てんどん〉」になるところでした)この七人の高僧の説が述べられた後、「唯可信斯高僧説」(ただこの高僧の説を信ずべし)と結ばれています。
したがって、誤解を恐れず簡単に言ってしまうと、「阿弥陀仏に深く帰依します。その阿弥陀仏とはこういった存在なのです。そして、南無阿弥陀仏を伝えてくださった七高僧たちはそれぞれこんなことをおっしゃった。そして、最後にみんなでこの高僧の説を信じましょうね!」というのが正信偈のあらすじです。今度お勤めする時、ちょっと気に掛けてみてください。正信偈をたずねていくきっかけになれば幸いです。