008 香りと香害

中川 達昭

今回は「香り(におい)」について考えてみたいと思います。

季節もようやく進み、草花からさまざまな香りが漂ってくるようになりました。花の匂いから季節の移り変わりを感じられる方も多いでしょう。

さて、私たちはお寺でも家でも同じように、お勤めをする際にはお香や線香を使って香りを焚きます。どうして香りを焚くのでしょうか。

「香り」は華(花)とともに、仏に対する敬いのこころを、香こうや華(花)を捧げることであらわしています。また経典には浄土のありさまの一つとして「清らかで何とも言えない香り」がしていると説かれています。ですから仏壇には華(花)を立て、香を焚きます。香りをもって仏を荘厳し、浄土を、そして仏を憶念するのです。

ところで皆さんは「香害」という言葉をご存知でしょうか。私もインターネット記事を読んで初めてこの言葉を知りました。香水、洗剤、柔軟剤、芳香剤などが発する強い香りによって、頭痛、めまい、吐き気などの症状があらわれ、ひどい方は学校や職場にも行けず日常生活に大きな影響がでているのだそうです。

確かに現代は「良い香り」に満ち溢れています。テレビのコマーシャルでも「なになに臭」と言って、そのにおいが悪いことのように強調され、良い香りを謳い文句にした商品が紹介されています。最近はだいたいどこの家でもトイレには必ずと言っていいほど消臭剤や芳香剤がおいてありますし、かくいう我が家もそうです。

誰でも悪臭は嫌でしょう。しかし香害は、悪臭ではなく、私たちが“良い香り”とおもっているものが問題になっています。この点を私たちは考えないといけないのではないでしょうか。どうして「良い香り」がしないといけないのでしょうか?「良い香り」がしないものはダメなのでしょうか?「良い香り」とはいったいだれが決めるのでしょうか?いったいだれが「良い香り」を求めているのでしょうか?

そのようなことを考えるとき、香害だけではなく、すべての社会問題の根幹に通ずるものがあるように思えてなりません。香りを峻別する人は、必ず人間も峻別します。「良い香り」と「悪い香り」、「良い人間」と「悪い人間」、その両極端の価値観しかない世界に、いつの間にか我々は進んでしまっていないでしょうか。古来より人類は香りを生活の中に取り入れてきました。しかし「良い香り」を追い求めた結果、香害に苦しむ人を生み出してしまったという現実が横たわっています。

教えとは「良い香り」と「悪い香り」を峻別するものでありません。香りという縁をとおして我が身のありようを照らし、本願に目覚めさせていくものを教えといいます。そしてそのはたらきを本願力回向(=仏)といいます。

最後に香害で苦しんでいらっしゃる方々に心からお見舞い申し上げます。

(二〇一八年四月下旬 長島組・寶林寺衆徒)