011自分を知ること

金森了俊

先日、レジャーセンターに遊びに行きました。駐車場が満車なので、最後尾に並んで待ちようやく入り口まで来た時、私の車の前に、突然横から進入してきて停まり、人を降ろすためにもたもたしている車がありました。少しでも早く駐車場に入りたかったので「こんな所で人を降ろすなんて非常識な人だ」「いい加減にして欲しい」と怒りがこみ上げてきました。駐車場に入っても駐車できるか不安でしたが、ちょうどセンター正面のところに来た時に、私の車の横から一台出て行きました。その瞬間、「やった!こんないい場所が空いた。なんて今日はついているんだ」と思い、特等席に駐車できました。喜びと共にここに停めることができたのは「先ほどもたもたしてくれた車のおかげだなー」と思えました。

「たまたま人を降ろした車があった」「たまたま帰っていく車があった」という事実に振り回されて、一喜一憂しているわけです。この時、私は思わず蓮如上人の「行くさきむかいばかりみて 足もとをみねば 踏みかぶるべきなり 人の上ばかりにて わがみのうえのことをたしなまずは 一大事たるべき(真宗聖典889頁『蓮如上人御一代記聞書』191)」の言葉を思い出しました。この手のひらを返すようにコロコロ変わるあさましい心にあきれてしまい、そして先ほどの運転手を怒っていた自分が不思議にも恥ずかしく思えました。

蓮如上人は「人生の一大事」とは、わが身を知ることと教えてくださいました。これは丁度、私の顔は鏡の力によらなければ見えません。それと同じように私の心は私の力では見えません。仏の光に照らされて、初めてこの私の身勝手さを知らせていただくのであります。たえず、光に照らされる聞法のご縁を大切にしたいと思います。