石見孝道
夏になると、テレビで幽霊や心霊などを取り上げた特集番組が始まります。こういった涼しげな番組も暑い夏ならではの流行なのでしょう。
さて、昔から幽霊の姿には3つの特徴があると伝えられています。それは①後ろ髪が長い②両手を前に伸ばしている③足が無いことです。このことについてある先生は「後ろ髪が長いのは過去を引きずって生きている姿であり、両手を前に伸ばしているのは未来に夢を追いかけている姿であり、足が無いのは今の事実に立っていない姿である。幽霊とは過去や未来に目を向けて、大切な今の事実を見失っている私たちの生き様を示しているのではないか」と言われました。
現実を逃避した過去や未来は幻想でしかありません。すべては今という一瞬一瞬にこそ生きているのです。実はそのことを教えるための手立てとして幽霊の姿が伝えられてきたのかもしれません。ですから、幽霊を外で見て怖がることよりも、生きている私たちこそが幽霊となっていないかを心配すべきなのでしょう。
毎朝、鏡をご覧になると思いますが、その時に、もし「うらめしや」と不満そうな顔が映ったならば、それこそ本物の幽霊ではないでしょうか。
岡田豊
私の子どもは高校生なので、そろそろ進路を決めなくてはならないのですが、自分自身が将来何をしたいのかという自分の目標がなかなか見つからなくて悩んでいます。
ところで、この問題は掘り下げていくと、単にどういう進路に進んだらいいのかということに止まらず、いったい自分は何のために生きているのか、自分は何をしたいのか。今まで自分と思っていたのは何なのか。本当の自分とは何処にあるのかという、いっこうに埒のあかない、そして答えのなかなか見つからない問いへとつながっています。
考えてみますと、最初にこういう問いにぶつかるのは、思春期、青年期ではないでしょうか。それは、社会や大人、さらには自分自身の偽善性に気づき始める最も多感な時です。人が人となっていくことは、このような問いに目覚めることだと思います。けれども、皮肉なことに大人になると、目の前のしなければならない仕事に忙殺されてしまい、いつの間にかそういう問いを忘れてしまいます。
今日、お寺にお参りに来られる方の多くは壮年期を越えた方々ですが、実は仏教はこのような青春の問いから出発しているのです。比叡山時代の親鸞聖人の問いを、宮城顗(しずか)先生は「いったい自分は何を求めているのか、いったい仏教とは何なのか、はたしてこれが大乗仏教の名に値する道なのか、とどまるところ自分はいったい何者なのか」と表現しておられます。
一見忘れてしまっているけれども心の中のどこかでか微(かす)かに疼(うず)く、青春の問いを取り戻し、そこに再び立ち返ることこそ、教えを聴くということなのです。
折戸芳章
ひと月ほど前に本堂修復落慶法要・蓮如上人五百回御遠忌法要を厳修させていただきました。
その後、数日経って、お願いをしていた方々から現像ができたと約1200枚ほどの写真が届き、法要のことを想い出しながら一枚一枚見せてもらって、とんでもない思い違いをしていた自分に気づかされました。住職という立場上、本堂・庫裏での出来事にしか気が配れず、役員さん、委員さん、年番さん、駐車係の方に各持ち場でお世話をかけていることは自分なりに了解はしていましたが、写真を拝見する中で、予想もしていない方々にまでお世話になっている写真がありました。多くの方に「見事に修復され、盛大で立派な法要で…」とお褒めの言葉をいただいて、自己満足に浸って、若干天狗になりかけていた私の傲慢な思いを一枚一枚の写真が教えてくれました。
御満座終了後、法要を終える安堵感と、感無量の思いで恩徳讃を唱和しながら、本堂修復計画後、着工して約1年半、準備に追われ疲れがピークだった法要直前の数日間は無我夢中で、とにかく何でも自分でやらねばと突っ走っていたことを思い浮かべておりましたが、一枚一枚の写真に、本当に多くの方の「おかげさま」でこの法要を厳修させていただいたのだと思いを改めさせられました。
如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし(真宗聖典505頁)
写真に映しだされた如来大悲の恩徳に感謝し、住職としてご門徒とともに修復された本堂を、真宗のみ教えに我が身を問い直す聞法の道場としていくことを、今一度心新たにさせていただいたことです。
高野昭麿
先日、家族全員での夕食の時の出来事です。
小学校3年生の子どもが誤ってコップを倒してしまい、テーブル中にお茶をこぼしてしまいました。子どもは何もせず、ボーッとしていました。たいへんなことをしたと思っていたでしょうが、何をすればいいのか全く分からないほど、パニックになっていたのかもしれません。
その時、私は子どもに「こぼしたことは仕方がないから、ちゃんと謝りなさい」と、しつけのつもりで厳しく注意しました。しかし、その直後、今度は私がお酒を子どもより多くこぼしてしまったのです。叱った子どもの手前もあり、何とかごまかそうと慌ててしまいました。
ひとえに賢善精進(げんぜんしょうじん)の相をほかにしめして、うちには虚仮(こけ)をいだけるものか。(真宗聖典634頁)
と『歎異抄』の第13章にありますように、人の誤りは正してもいざ自分のこととなった途端、言い訳を探し正当化しようとする姿であります。それを子どもと接する中で教えられ、家庭も大切な教化の場所なのだと改めて気づかされます。
また、私はまだまだ立派にならなければと思ってしまいますが、仏様は「そのまま念仏せよ」とおっしゃています。我が身全体を知らせようとする仏様の願いを「そのまま」という言葉から聞き取っていきたいと思っております。
本田圭子
寺に生まれ、縁あって寺に嫁いで40年近く経とうとしています。
大学生だった私は、今は亡き義母の「こちらで寺のことだけではなくすべてのことを教えます」の一言で卒業と同時に結婚しました。箱入り娘と言うと聞こえはいいのですが、花嫁修業どころか、寺のこともほとんど知らずに嫁いできました。家族にとっては迷惑で、しばらくはたいへんな辛抱だったことでしょう。当時は、私も早く家族の一員になろうと、いろいろなことを覚えるのに一生懸命でした。しかし、本堂のお華はいつも義母に任せきりでした。時々義母が一週間ほど留守にする時があり、絶対お華を枯らしてはいけないと言われていたので、夏場は特に悪戦苦闘の連続でした。これではいけないと思い、生け花教室に通ったり、他のお寺の仏華を見せてもらう等して勉強しました。必要に迫られて始めたお花ですが、何事にも基本的な決まりごとがあり、四季折々の花の一瞬の生命を大切に、花の反応を確かめながら造り上げていくのが生け花だと知りました。
年月はかかりましたが資格も取り、今は花と向き合っているのがこの上なく楽しく、心が和み、落ち着くのです。忙しい日常生活の中で、唯一花を生けることを通して仏様と向き合える時間だからでしょうか。自分中心の心が捨てきれない私、身勝手な私に気づかされる大切な時間です。若い頃は義母の言葉が理解できませんでしたが、同じ立場になってやっと頷けるようになりました。
今日まで御仏のお導きのままに嫁ぎ、周りの人々に支えられて生きてきました。これからも素直に自分を見つめ直す一時を大切にしたいと思っています。
梅田良惠
お年忌の場でよくこんな質問を受けます。「赤い蝋燭が立ててありますけど、白じゃないんですか」と…真宗大谷派では、金・銀・白・赤(朱)の四色の蝋燭を儀式に用います。一般的には、白・赤の二色を使うことが多いかと思います。では、この二色にはどういう意味があるのでしょうか。今までにお葬式に関わられた方はその当時を思い出してください。葬儀、またはそれ以降の七日参りには白い打敷(うちしき)、色花を使わないお華、そして白い蝋燭でお荘厳します。また、喪服の色も本来白であり、所によっては今でも喪主が白の装束を着用する所もあります。それらすべて故人の死に対する私たちの悲しい気持ちを表しています。故人の死から四十九日の満中陰法要まで喪に服し、五十日目に忌明を迎えます。喪に服する期間が過ぎ玄関の忌中の札もはがすのです。
さて、忌明も過ぎ、百ヶ日、お年忌を迎えるのですが、その際、お坊さんがお経の前に表白(ひょうびゃく)を読みます。その中の言葉を3ヵ所抜粋して読んでみます。「亡き人を偲びつつ 如来のみおしえに遇いたてまつる」「真実のみおしえに遇いたてまつり 慈光のうち 歓喜の日々に生く」「師主知識の遺徳をよろこび つつしみて恩徳の大行をいそしまん」お年忌を勤めるとは、亡くなられた方をご縁として、残された私たち一人ひとりが仏様の教えに触れ、念仏申す身となったことを慶ぶ大切な行事です。その慶びを色の着いた打敷、色の着いたお華で荘厳してあるのに、白い蝋燭では不釣合いです。蝋燭の色に気を配るだけでも実際にお年忌にお参りする私たちの気持ちが改めて問われているのではないでしょうか。
最後に付け加えておきますが、御仏前の水引の色は、忌が明けるまでは弔事として白黒を使い、忌が明けた以降の仏事、百ヶ日、お年忌は、慶事でありますので紅白の水引を用います。
山口晃生
元ラガーマンの平尾誠二さんは「今後あらゆる組織がベンチからの指示を忠実にこなす“野球型”から個人個人が状況に応じて自分で判断を下す“フットボール型”に移行していかざるをえない」と言っておられます。
これは私にも言えることで、我が家は代々寺役をさせていただく等お寺とは密接な関係にあり、父も熱心な聞法者で「教えは若いうちから聞くほどええのや」と口癖のように言っておりました。しかし、その時はそんな父の言葉に反発ばかりでお寺のことは親父に任せとけばええんやと、耳を貸そうとしませんでした。私が46才の時、母が急死、そのご縁で特伝を受けることになりました。特伝は企画立案の後、ご住職を通じて受講者を募ります。そして受講者は案内されるまま指定された場所へ行き、先生の講義を受けます。言わば、前・後期ともベンチの指示通り行動します。私もそのように受講し、帰敬式も受け、一人の推進員として誕生したわけであります。
これからがフットボール型推進員として何をするのか?どう動くのか?が重要な課題です。
まず手次寺の同朋会に参加したのですが、今までの生き方、考え方が次々と壊され、嫌になり欠席することも度々ありましたが、その都度受講法友(なかま)により聴聞の道へ引き戻されました。
そして、何年か過ぎた頃、これは出席するのではなく、させていただくのだ。聞くのではなく聞かせていただく。と変化し、身は同じことをしているのにもかかわらず、心は全く反対向きになってきました。これも両親、住職、講師の先生等、私を念仏の教えに導いてくださった方々のお陰、そして何より聞法を続けてこれたお陰、それらを受けた恩に報いなければならない、返さなければならない。何かしよう、そこで人の嫌がることや地区の役職、門徒会役員等も依頼があれば、頼む側の立場になって私にできることであれば喜んでさせていただこう。また、ボランティア活動にも積極的に参加しよう。現役で仕事をもつ身にはどれも大変なことではありますが、そうすることが私自身の喜びであり、今生きている証(あかし)であり、私にできる恩返しと思って日々頑張っております。
尾畑潤子
毎年、4月になると境内にある20鉢ほどの蓮の植え替えをします。蓮が、やがて葉を茂らせる頃になると、蝶やカエル、スズメや蜂がやって来て棲みついたり、水浴びをしたり、鉢の中にはボウフラや糸ミミズが元気に泳ぎ出したりします。
蓮が蕾をふくらませて花開く環境は、こうした無数の生き物との共存の中に整えられているのでしょう。いのちが互いに関わり合い、繋がりの中に生きているのは私たち人間も同じです。しかし、現実はどうでしょうか。人と人との関わりを断ち切っていく悲惨な事件や争いが後を絶ちません。また、人と人の関わりを見失った発言も相次いでいます。今年1月、厚生労働大臣は「女性は子どもを産む機械」「夫婦に子ども二人の健全な家庭」という発言をしました。女性のみならず男性や子どもをも、国を成り立たせる一つの歯車として考えているのではないだろうか。「産めよ増やせよ」と言われた時代が思い起されて、今を生きる私たちの社会に不安が募ります。
しかし、同時にこの発言を考えてみると、私たちの日頃の生活は、結婚することを当たり前とし、子どもをもって一人前とする女性観、家族観の中を生きていることにも思い至ります。そんな私たちの常識的な価値観は、結婚や出産に対して、過度の期待となって人を追い詰めたり、また、自らを苦しめる結果を作り出しているのではないでしょうか。
いのちは人が人として誕生する時も、いのちを終える時も、私の思いを超えて存在しています。そのいのちの事実を見失って、自分の力で生きていると思っている私たちの在りようを、蓮如上人は「末代無智のともがら」と教えてくださっているのだと思います。私たちの差別的な価値観は仏様の教えによって照らされ、問い直される中にしか、誰もが光り輝く世界は見出すことができないのでしょう。
泥の中の蓮を眺めていると、私を生み出し、私を支えていた無量無数のいのちの働きの中に、今日の私があったことを改めて気づかされる日々です。
池田徹
普段、我々は、無意識に自分を肯定しています。自分は「善人-善き者である」と思っています。自らは悪人ではなく、善人であるという思い込みを生きています。「それなりに頑張っているし、まんざらでもない」と思っています。また、その「善人性」を生きる支えにもしています。人さまに非難されないように、後ろ指をさされないように努力もしています。
しかし、長い人生の中で、その善人意識を突き破って、本性-凡夫(悪人性)が噴き出してくるのです。その時、我々のその意識は、徹底的に事実の自分「悪人的自己」を裁き排除しようとするのです。「これは本来の私ではない」「たまたま魔がさしただけだ」等と言って、その事実を認めようとしません。「悪人的自己-凡夫」を受け入れられないのです。
生身をもって生きている限り、縁の中で「悪人性」「凡夫性」が暴露されてきます。その時は、共に在る「いのち」が傷つけられた時です。その「いのち」には眼が向かず、自分の「善人性」が壊れたことにしか関心が向かないのです。だから、現実に出てきた自分、事実の自分を憎み、非難するという形で、その「善人性」を保とうとするのです。「善人性」を守るためには、自らの存在を抹殺することさえあるのです。この自己肯定の意識-善人意識は、恐ろしい暴力性をもっています。他者は言うに及ばず自分さえも抹殺してしまうのです。
親鸞は、この「善人意識」を《みずからがみをよしとおもう・みをたのむ・あしきこころをさかしくかえりみる・ひとをあしよしとおもう》こころ、「自分のこころ」と言われます。その「自分のこころ」を中心に生きる限り、結局は自らに失望し、自らを見捨て、他者とも出会えないと教えられています。
そう我々に「国土」を「大地」を与えようというのが、念仏-本願の呼びかけです。「念仏して浄土に生まれなさい」という教えは、まさに「自分のこころ」-善人意識を中心に生きている者に向かって呼びかけられています。「国土」「大地」を与えるという形で、私が安心して生きる居場所を、他者と共に生きていく「世界」を与えてくださるのです。
自ら(人生)を尊敬し、縁あって共に生きている他者を尊敬し、向き合って生きていく根拠、責任主体となる「国土」「大地」を「浄土」として用意されているのです。その浄土は、善人意識のもつ「虚偽性・暴力性・偏狭性」への目醒め、痛み、悲しみの感覚をもっているのです。
佐々木達宣
先日、若い頃に観た映画を再び観る機会がありました。それは黒澤明監督の『生きる』という作品です。学生時代に感動し、もう一度観てみたいと思っていたのですが、なかなかその機会もないまま、時と共に忘れておりました。ところが、先日ふと寄ったレンタルビデオショップで発見し、思わず手に取ったのです。
映画ファンの方ならよくご存知の作品だと思いますが、主演の志村喬さんが公園でブランコをこぎながら『ゴンドラの唄』を口ずさむシーンはあまりにも有名になりました。映画の大筋は、無気力な日々を過してきた志村さん演じるところの公務員の渡辺勘治は、癌であと半年の命と知らされ、恐れおののき、絶望と孤独に陥った末、これまでの事なかれ主義的な生き方に疑問を抱き、「生きる」ということの本当の意味を取り戻す。そして、市役所に懇願する人々の願いに応えて、公園を作ろうと努力していく…というものでした。
初めてこの映画を観てから30年の時を経ても、その感動は変わりません。いや、その間に仏縁を得たことで、その感動がより深く新鮮なものに思えました。私たちの人生を見据えた時、「いかに生きるか」ということばかりに捉われているのではないでしょうか。ところが、所詮人間であるわけですから、そこに欲が生じ、計らいも生まれてくるのです。一方、人生を「いかに死んでいくか」というふうに捉えると「死んで悔いなき人生を、いかに生ききるか」という仏の願いに通じてくるのです。即ち、死を前提として生を考えることで、映画の主人公のように、より深い人生の意味が見出されてくるのではないでしょうか。「命短し、恋せよ乙女・・・」改めて、志村さんの口ずさむ『ゴンドラの唄』が心に沁みてまいりました。
真宗大谷派(東本願寺)三重教区・桑名別院本統寺の公式ホームページです。