三枝明史
「生きていてくれてありがとう」これはある映画の中の台詞です。自分は生きていてはいけない人間なのではないかという罪悪感を抱えて、周囲の人々とも積極的に交際できなかったヒロイン。そんな彼女が好意を寄せる男性に、自分の身の上や心の苦悩や葛藤や思いの丈をぶつけます。その時、男性の口をついてこぼれ出たのがいまの一言でした。この一言によって、彼女は自分は生けていてもいいのだと、初めてこの世界を信じることができたのです。そして、彼や周囲の人々に対して心を開いていくのでした。
「生きていてくれてありがとう」という彼のこの一言が、どうしてヒロインの心を変えたのでしょうか。それはこの言葉が無条件の言葉だったからでしょう。彼女の過去も苦悩も、彼女のすべてをそのままに受け止めて、そのままに肯定する。そこには「こうすればよかったのに」とか、「そんな考え方は間違っている」とかというような感想や批判は一切ありません。ましてや変な計算などもありません。その人の存在のすべてを無条件に認めて包み込む、そんな言葉だったからではないでしょうか。彼女の「いのち」はこの言葉に出遇うことをずっと待ち望んでいたのかもしれません。そんなふうに私は思いました。
仏教では「染汚(ぜんな)」といって、人間の言葉や行動に厳しい見方をしています。行動は計算絡み、言葉は条件絡みであると。だから汚れているのだと、人間であることの罪を指摘しています。確かにその通りで、「百点を取ったら良い子である」とか「製品のコストはいくらで」とか、この世界の言葉は条件付きばかりです。私たちはそんな言葉に振り回されるばかりで、いつしか心をすり減らし、生まれてきたこの世界や人間を信じられなくなったり、憎んでいったりするのでしょう。
人生のどこかで私たちの全存在をそのまま認めるような、そして無条件に認められていると信じられるような、そんな言葉に出遇えるならば、私たちの世の中に対する構え方も変わるのかもしれません。
私たちの阿弥陀如来のご本願は「私の名を呼ぶすべての人を、その人のそのままで、救わずにはおかない」という無条件の言葉です。本当の言葉との出遇いこそが本当に人を救うのではないでしょうか。そして、現代こそ本当の言葉が切に必要とされているのではないでしょうか。
山田智津子
先日、地域の奉仕作業があり、近所のおじいさんがお孫さんを連れて参加されました。おじいさんはお孫さんに金バサミの持ち方や使い方、ごみ袋の持ちやすい方法など一つ一つ丁寧に教えておられました。お孫さんの母親は「家のおじいさんは子どものこととなると小さなことまで世話を焼く」と不満そうに話されたことがあります。母親の言葉を思い浮かべながら、なるほどと眺めていました。しかし、目の前の子どもがおじいさんに教えてもらった方法を繰り返し楽しそうに実行する姿を見ておりますと、自分は子どもの立場ではなく、母親の立場から見ていたことに気づきました。
分かっていることを何度も言われると口うるさい、やかましいと反発をされそうですが、経験の浅い子どもたちには口うるさいほどのきめ細かい手ほどきが大切なのです。できて当たり前と思うことも初めは教えないと分からないのです。近所の人たちも「車が来たから危ないよ」とか「草の上は滑るよ」とか会話しながらも、目線は子どもに向けられておりました。立場を変えることによっていつも目にしていた光景が違って見えてくるのです。自分の都合で人の善し悪しを見て、自分の受け止め次第で善き人にも悪き人にもなってしまうのです。
以前、すべての方が自分を育ててくださる「親さま」であると聞いたことを思い出しました。核家族化が進み近所との付き合いも薄れ、子どもが育つ生活環境が大きく変わってきたこの頃、周りの人に助けられ支えられて育つことの大切さを痛感いたします。しかし、振り返ってみますと私自身も口うるさいやかましいと反発しながら、このように育てられてきたのです。そして今現在も煩わしいと感じる人間関係を、実は自分を育ててくださるご縁としていただいているのでしょう。「親さま」という言葉に込められた意味を子どもの姿から教えられ、共に喜び合う「ありがとう」の言葉が増える人間関係を築きたいという願いが起こってまいりました。
鈴木勘吾
先日、アパートの外で子どもが騒いでいました。「お父さん、蜂がおるに!」私は慌てて殺虫剤を手に走り出て軒下を見ると、足長蜂が巣を作っていました。殺虫剤をシュート振りかけて、落ちてきた蜂を靴で踏みつけ、巣も棒で突いて落としました。子どもたちが刺されなくて良かったと安心しました。「蜂は人を刺すで、退治せなあかんのや」と長男の声がしました。それは私の本音でもありましたが、おや?と疑問に思いました。蜂は悪くありません。私の都合に合わないだけです。私に不利益を与えるかもしれないので、予防措置として駆除しました。そのことを子どもに伝えました。
「蜂は悪くないよ。お父さんが刺されたくないから、先に退治しただけ。もし家の近くに巣を作らなかったら、退治しなかったよ」子どもは自分が叱られたのかと、怪訝な顔をしながらも「ふーん」と答えました。
蝶や甲虫なら捕まえて虫かごで飼うでしょう。蟻ならそのまま捨て置くでしょう。虫に良し悪しはありません。自分にとって良く見えたり、悪く見えたりするのは「こうあって欲しい」」という自分の都合で見るのであって、思い通りなら「良い」そうでなければ「悪い」と決めてしまいます。「良し悪し」を決めるのは私の思いでした。
物事が思い通りになれば「当たり前」としてやり過ごしますが、当てが外れると、落ち込み、怒り、時には自分以外のものを攻撃します。挙句、自分の思い通りになる世界を夢見ていたことに気づかされました。
伊東幸典
境内におりますと、参詣の方と「今日はいいお天気ですね」「暑くなりそうですね」と挨拶をしたり、「今年、祖父の年忌があたっておりまして」と、法務にかかわる用件でお話を伺ったりすることもあります。
さて、植えたばかりの花の苗をいつもの野良猫にグシャグシャにけ散らされた日のことです。これは、その日に限ってのことではなく、毎日続いていることなので、かなり腹が立っておりました。野良猫のいたずらなど他の人から見れば些細なことかもしれませんが私にとっては重大なことだからです。そこへ、電動車椅子に乗ったご老人がお参りにいらっしゃいました。いや、正確に言うと、お寺が懐かしくなって訪ねて来られました。「ここのお寺の方かね?お父さんは元気にしてみえるかね」「はい、おかげさんで」「そうかね、わしは昔、ここでよく遊ばせてもらった者だ。みんなで、野球をしたなあ。(本堂を指さしながら)あのガラスを割って叱られたこともあったなあ」と、実に懐かしそうに話し始められました。その口ぶりはあまりにも穏やかで、ついつい聞き入ってしまいました。どこのどなたかを伺うこともしないうちに、「それじゃあ」と言って、くるりと電動車椅子の向きを変えて、門の方へ去っていかれました。その後、修復を再開したわけですが、それまでのカッカとした気持ちは、蔭も形も無くなっていました。あのご老人は、わずかな時間で私の気持ちを洗濯し、リフレッシュして下さいました。その時の私のことなどお構いなしに話されたのだと思いますが、あのままカッカしながら作業を続けていたら、きっと誰かに八つ当たりをしていたに違いありません。
「煩悩具足の凡夫」とは親鸞聖人が、状況によって振り回されるしかない人間存在の悲しさを自覚された言葉です。程度こそ違え、誰もが感情に流され生きています。怒っていたかと思えば、次の瞬間に微笑んでいたり、いつも感情に振り回され、上手くコントロールできないでいます。それでいて、イライラしている自分は認められず、周りのせいにし、穏やかな自分は認め受け入れられるとなる訳です。ご老人と野良猫に、「最近かなりイラついておりますな。自分の本性を忘れていないか」と問われたご縁の話でした。
今朝も野良猫に咲き始めたばかりの朝顔がグシャグシャにされていました。「また、やられた」これでも以前よりはカッカしないでいたつもりです。
加藤淳
今年の1月に、あるご門徒さんの家に報恩講に出かけました。するとその家のお婆さんの姿がなかったので、「お婆さんはどうしたのですか」と尋ねたら、納戸で休んでいますとの返事が返ってきました。
報恩講のお参りも終わり、「お婆さんにお会いさせていただけませんか」とその家族の方にお話をしましたら、「どうぞ」と納戸に通してもらいました。お婆さんはベッドで休んでおられましたが、私の顔を見て、「今日はお参りに来ていただいてありがとうございました」とお礼を言われました。その後引き続いて、「もう死ぬかもしれない」と言われましたが、盛願寺の本堂が修復中ということもあってか、「お寺が完成するまでは生きていたい」との言葉をいただいたことにたいへん驚きました。
その言葉を受けて、「来年の10月には落慶法要が勤まりますので、ぜひお参りをしていただきたい」とお話をすると、「もうその頃には歩けなくなっていると思います」との返事が返ってきました。それで、「車椅子でも結構ですからよろしくお願いします」と申し上げますと、その言葉に頷いていただきました。その会話は3分くらいの短い時間ではありましたが、たいへん胸を打たれました。
それから3日後の夜中にそのお婆さんの家から電話がかかってきまして、「今、婆さんが亡くなりましたから、枕経をよろしくお願いいたします」との連絡を受けました。私は今まで死ぬくらい病んだ経験をしたことはありませんので、どれだけ苦しいのかよく分かりません。しかし、亡くなる寸前にまでなってお寺の修復の心配をしていただいているとは思いませんでした。私なら見舞いに来てもらった人に、「あなたは健康でいいですね」とか「何でも食べることができていいですね」とか、人のことを羨んでみたり、妬んでみたりするのかなと照らし出されたようでした。そのご門徒さんとお話をさせていただき、人間はいかなる時もいろいろな人から願い、願われている存在だと改めて感じることでありました。
折戸芳章
先日、全国の都道府県で我慢強いのはどこかという企画のテレビ番組を見ました。我慢強いナンバーワンは青森県で、あの厳冬横殴りの猛吹雪の中の忍耐強い生活を考えると「なるほどそうだなぁ」と思わされました。引き続き番組を見ていると、その後、我慢強さのランキングが発表され驚かされました。何と我が三重県はワーストワンで最下位ではありませんか。
よくよく考えてみると、多少の被害はあるものの、伊勢湾台風以後に大災害をもたらす台風もなく、また大地震もありません。農作物を育てるには最適の四季があり、他の都道府県に比べると「ありがたい」環境と土地柄なのだと思わされました。
しかし、その「ありがたい」環境が「当りまえ」になって生活していると、そのありがたささえも気づかなくなってしまうのではないでしょうか。この「ありがたい」環境の中で生活させていただいていることが、いかに幸せなことなのか、果たしてどれだけの人がそのことに気づかされ感謝しているでしょうか。
まだ記憶に新しい能登半島地震・新潟中越沖地震、そして中国四川省での地震の度に、ご門徒から「ご院さん、この辺りは本当に大きな災害が無く、本当にありがたい所やなぁ」と声をかけられます。
「ありがたい」ことに感謝することを忘れてしまうと、我慢することさえも忘れてしまうのではないかと、その番組を見せていただき考えさせられました。
高見敏郎
「いのち」の尊さが叫ばれ、「いのち」の大切さが問われてから久しくなります。「自分のいのち」も「他人のいのち」も顧みられない時代になったと言っても過言でないと思います。「いのち」は自分の都合ではどうにもならないものです。「いのち」は授かりものであり、自分一人で生きているものではなく、多くのものの「いのち」をいただいて生かされているものであります。私は以前、自分の努力、自分の力で生きているものだと考えていました。
私は戦前、戦中、戦後に渡って教育を受け、戦後学制改革が行われた年に教師になり、長らく子どもの前に立ち、私の教育信条をもって、激しい時代の変遷の中でその対応を考え、子どもと向き合ってきました。私の退職数年前、即ち昭和55年頃から中・高校生は、たいへん荒れる時代になってまいりました。
私は心の中に多くの課題を残して定年退職しました。その頃、幸いにも「仏の教え」を受ける機会に恵まれ、以後現在まで、多くの機会に真宗の教えを学ばせていただきました。
「生かされているいのち」をどう生きるべきかを、毎日自分に問いかけています。
最近特に、「生かされている毎日を自分らしく生きる」とはどんな生き方か。毎朝、お内仏の前でお勤めをし、静かに自分に問いかけています。また、月一回の「月参り」には住職さんの法話をお聞きし、『歎異抄』を学ばせていただき、どう生きるべきかを話し合わせていただいています。
日常生活では、毎日日記を詳しく書き、一日の反省をしています。自分に都合のよい生活の繰り返しです。そんな生活の中で親鸞聖人の教えに生きるとはどういうことなのかを自分に問いかけています。生涯、問い続けていきたいと思っています。
北畠裕子
みっちゃんは保育園に通う元気でかわいい女の子です。でもちょうど一年前、お父さんが突然、脳出血のために亡くなってしまいました。保育園に迎えに来てもらった時はいつも、その大きな腕にぶら下がって帰る、大好きな大好きなお父さんでした。病院のベッドの横で「お父さん、ちっとも起きないね!」と言っていたみっちゃん。火葬場では「お父さんを焼いたらあかん!」と棺にすがって泣き叫んでいました。
満中陰法要の日、みっちゃんがお母さんに「お父さん、なんで死んだん?なあ、お父さん、どこにおるの?」と問うたのでした。「病気なんやで…もう、何度も言うたやろ」とお母さん。後で「みっちゃんにそう聞かれるのが一番辛い」と話されました。
この時から、みっちゃんのこの問いが私への問いとなりました。「お父さんはどこにおるの?」この問いに私はどう答えたらよいのだろう。「お父さんはみっちゃんの心の中にいるんだよ」それとも「お星様になって見守っているよ」…。どう話したら4才のみっちゃんが分かってくれるんだろうか、重い課題を与えられ日々を過ごしておりました。
でもある日、公園で無邪気に遊ぶみっちゃんを見ていて、やっと私は気がつきました。彼女は答えなど求めているのではなかったと。「私は大好きなお父さんが死んでしまって、本当に悲しいの、分かってよ」と訴えていたのですね。その彼女に対し、何とか答えようとしていたのは、全く傲慢な私の心でした。偉そうにしたい、いい顔をしたいという私の根性でした。
間もなく一周忌、みっちゃんは同じことを問うのでしょうか。たとえ、もう問わなくても、心の底にその問いを持ち続け、時間をかけて、大切な人の死を受け入れ納得していってくれることを願っている私です。
中川達昭
既に終了しましたが朝の連続テレビドラマ『ちりとてちん』の中で忘れられないセリフがあります。ヒロインの女友達が妊娠してしまう場面で、相手を聞いて驚くヒロインはなぜ彼なのかと尋ねますが、その女友達はこう言います。「あいつはホンマのアホや。けど、アホなりに一生懸命生きとる。一生懸命生きとるアホほど厄介なものはないで。そやけどな、だからこそいとおしい…」と、このような内容だったと思います。
私はこのセリフを聞いた時、阿弥陀仏の大慈悲とはこういうお心ではないかと、ハッとしました。言い方は悪いですが、一生懸命生きている「アホ」は私たちです。私たちは自分の幸せのためにどんなことでもします。一生懸命です。しかし残念なことにその「果て」が分かりません。「答え」が見つからないのです。すると私たちは、なおさら一生懸命になります。その繰り返しの中を生きている私たちを親鸞聖人は「流転輪廻(るてんりんね)のわれら」とおっしゃられています。
しかし、幸せを求めることがいけないことではないのです。私たちはそれぞれのご縁の中で日々一生懸命生きています。境遇や度合いに違いがあるだけで、一人として楽な人などいないのです。でも一生懸命生きているのに満たされない、虚しい、何か違う、という私の内なる思いには、なかなか耳を傾けることができません。
念仏とは、そんな私の内なる思いが呼び起こされるものなのかもしれません。阿弥陀仏は念仏をもって「私はちゃんと観ておるから安心してあなたはあなたを生き尽くされよ」と私たちにおっしゃっているのです。親鸞聖人はそのことに気づかれたからこそ、阿弥陀仏の大慈悲を「仏恩」と感謝され、蓮如上人は「かたじけない」と恐縮されたのでしょう。流転輪廻のこの私だからこそ、苦しみに満ち満ちているこの娑婆だからこそ、仏に出会える、智慧をいただける、念仏申す身になれることを大いに喜ばれたのです。
加藤秀丸
私にとりましては、テレホン法話を担当しましたことで、たくさんの気づきをいただくご縁となりました。
もともと私は、法事の席などでお話しさせていただくことは、そんなに苦手ではないつもりでおりましたので、テレホン法話は3分程度のことですし、取り立てて難しくは考えておりませんでした。ところが、いざ原稿を書こうとしても、テーマらしきものが一向に定まらず、不思議でした。いつもですと、ふっと自分の中に湧いてくるものがあったりするのですが、そういうことがないものですから、仕方なく基本の基本のようなことをして、浄土真宗とは、お念仏の教えとは等、頭に巡らしてみるのですが、ますます頭の中が散らかっていく感じがするだけです。知識としての考えしか出てこないのです。それから長い時間、今までの自分にないほどに、この問いについて考えることになりました。
ここでは時間がありませんので、これ以上触れることはできませんし、この問いの答えも、まだまだ次々に変化していくとは思われるものの、今の気づきとして最も重要なことは、私が、浄土真宗に対して心を開いてこなかったということです。これは多分事実であると思います。
ではなぜ、日ごろ親鸞聖人の教えや、蓮如上人の『御文(おふみ)』の話をもっともらしくしている自分が、この教えに心を開いていないという矛盾に気づかずにいたのか、法話ではなく、法話らしきもので十分に満足している自分がいたのか、机に積み上げたそれらしき書物と、そのたくさんの文字を眼で追うだけで済ませていたのか。おそらく自分の意識に上がっていなかったのですが、浄土真宗に心を開くということは、真実の自分を見る覚悟を避けてはなし得ないであろうことを、無意識の自分は知っていたのだと思います。ひょっとすると、意識には上がっているのに、自分と出遇う勇気が無いだけかもしれません。
本当の自分と出遇うことが、何をもたらすのか。私にはいまだ分かりませんが、少なくとも今までの50数年の自分が、すべて無に帰すのではないかという恐怖におののいていることは事実です。
今朝、たまたま開きました広瀬杲先生の本の中の数行が目に飛び込んできました。そこには「救われるということと、救われた気になるということは、全く質を異にした事柄なのです。救われた気になることこそ人間を本当の救いから一番遠ざけてしまうのでありましょう」とありました。私自身本当に恥ずかしい告白でありますが、やっと入り口の方向に向かえた気がいたします。
真宗大谷派(東本願寺)三重教区・桑名別院本統寺の公式ホームページです。