大橋宏雄
昨年、宮城顗(しずか)先生が亡くなられました。縁あってお通夜とお葬式を手伝わせていただきました。その後、一緒に手伝いをした方々と食事に行った席でのことです。皆さん、「大切な先生がいなくなってしまった」「あの講義の続きが聞きたかった」と、亡くなられたことを残念に思う気持ちを話しておられたのですが、ある方が誰に言うでもなく、ぽつりと話された言葉が私の中に響いてきました。それは、「死んでから出遇うこともあるからねえ」「一度出遇っていれば、何度でも出遇い直せる」という言葉です。
「出遇い直す」という言葉は、宮城先生のお話の中で初めて聞いた言葉でした。そして、その言葉を実感したのはある学童保育所とフリースペースでの子どもたちとの出遇いでした。フリースペースというのは不登校の子どもたちの居場所として開かれているところです。その学童保育とフリースペースは私の親戚のお寺がやっていましたので、スタッフは私が小さな頃から知っている伯父や従兄弟でした。しかし、そこの子どもたちとの関わりの中で、「先生」「お兄ちゃん」と呼ばれる伯父や従兄弟と、一人の人間として出遇い直したのです。それは、つまり「本当に大切なことは何か」ということを一緒に考えていく仲間になったということです。今でも私は伯父や従兄弟と出遇い直させてくれた子どもたちにとても感謝をしています。
それ以来、私は「出遇い直す」ということを何度も人に話してきました。それにも関わらず、「死んでから出遇うこともあるからねえ」「一度出遇っていれば、何度でも出遇い直せる」という言葉が、まるで初めて聞くように私の中に響いてきたのです。これには驚きました。「そうそう、そうなんだよ」と共感するのなら分かるのですが、なぜ初めて聞いたように感じたのか。
それは、私が「出遇い直した」と感じた人は生きていたからではないかと思うのです。「出遇う」ということにその相手が生きているか、死んでいるかは関係がありません。しかし、私は自分の体験に囚われて、死んだ人と「出遇う」ことがあるとは思ってもみなかったようです。そのような私ですから、「死んでから出遇うこともある」「一度でも出遇っていれば、何度でも出遇い直せる」という言葉を、初めて聞いたように感じて驚いたのでしょうし、ある意味では初めて聞いたのだと思います。そしてまた、その言葉はある方の口から出た言葉ではありますが、その場を与えて下さった宮城先生の言葉でもあると思うのです。
何か言葉の持つ意味を超えて、私の姿を一つ、照らし出して下さったように感じています。
梛野芳徳
私の住んでいるところは志摩市の沿岸部で、いわゆる高齢化が進み、将来的にはより一層過疎化が進行していくと思われる地域です。住んでいる人の多くは、半農半漁で素朴な生活を営み、年老いた親を抱え、介護の問題に直面している人も少なくありません。そんな中で生活していると、時々、
「うちのバアさん、もう早く逝ってくれんかなあ」
という声を聞くことがあります。「バアさん」とはこの地方では母親のことを言います。介護という問題に直面したとき、自分の親に対してまでも死を願うということに嫌気がさすというか、うんざりすることがあります。
私も妻も三男と二女ということで、遠く親元を離れていることもあり、また、まだまだ親も老後というような歳ではなく、介護のことなど真剣に考えていないのが現実です。それどころか、年老いた親を抱えて「早く死んでくれたら」と思ってしまう人を蚊帳の外から冷やかに軽蔑しているのが私の事実です。
そんなとき、とある本にこのような言葉を見つけました。
あなたがいつの日か
「生まれてよかった」と思ってくれれば
私は幸せ
文面から想像するに、母親がその子どもにかけた言葉のように思います。私たちはみな、自分の親ですら、いざとなったら「早く逝ってくれんかなあ」と思ってしまうようなものをお互いにもって生きております。そんな私たちに対して、「どんなにたいへんなことがあっても生まれてよかったといえるようなものになってね」と願い、そのことひとつを自身の本当の幸せと見据えておられます。この大きなこころに触れてはじめて、薄情で非人間的な私を許してくれていたのだなあ、許されておったのだなあと気づかされます。
この言葉は具体的な親子の関係に現れ出た、大いなるほとけさまの慈悲の心、如来大悲の御こころと拝受いたしております。
橘秀憲
明けましておめでとうございます。本年も何卒よろしくお願いいたします。
さて、桑名別院報恩講も皆様のおかげをもちまして滞りなく勤めさせていただきました。全国52の別院の中でも最も遅い日程だと思いますが、師走の慌しい中、多くの方々にご参詣を賜り厚く御礼を申し上げます。
『蓮如上人(れんにょしょうにん)御一代記(ごいちだいき)聞書(ききがき)』の中には、赤尾の道宗(どうしゅう)が申された、
一日のたしなみには、あさつとめにかかさじと、たしなめ。一月のたしなみには、ちかきところ御開山様(ごかいざんさま)の御座(ござ)候うところへまいるべしと、たしなむべし。一年のたしなみには、御本寺(ごほんじ)へまいるべしと、たしなむべし。(真宗聖典864頁)
という言葉で、真宗門徒のたしなみが示されております。
昔に比べて交通の便が良くなったとはいえ、遠方より足を運んでくださることには頭が下がりますし、この場が約400年の間、綿々と相続されてきておることに歴史の重さを感じずにはおれません。
宮城顗(しずか)先生の『人と生まれて』という本の中に、「救われるということは、場所をたまわること」という一文があります。人間関係が希薄になり混迷する現代社会の中において、自分の立つ場が見えなくなって孤立している人が多いと思うわけですが、関係性の回復、繋がりをもつことが今こそ大切なのではないでしょうか。居場所を見つけること、すでにそういう場があるということになかなか目を向けられないくらい、時間に追われている難しい社会になっているのでしょうが、人には場所・立脚地が必要なのだと思います。『仏説阿弥陀経』には「倶会一処(くえいっしょ)」という場が説かれてあります。
宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌のテーマは「今、いのちがあなたを生きている」ですが、三重教区では「共に大地に立たん」というスローガンを立てて取り組んでいます。「共に」という世界、共に立つ場所をこの社会に提示していかなければならないと思うわけです。親鸞聖人の教えに触れる、出遇いの場所をいただいていきたいと思います。
昨年秋頃から、世界経済は百年に一度と言われる大不況に直面し、また日本では自死者が11年連続で3万人以上となったと報じられています。そのような時代社会に私たちは生活しています。
人間にはそれぞれの物差しがあり、その物差しの長さは人によって違います。善いか悪いか、好きか嫌いか、損か得か、そうして私たちは、快適で豊かになれるという思いで日常生活を送っています。
仏法は内観道とも言われます。仏の物差しに触れることによって、何が嘘か、何が真かということを見抜く眼を育てていくことが仏法です。
テレホン法話集「心をひらく」30集をお届けします。それぞれの法話から仏の眼を感じていただければと思います。
折戸芳章
「60億分の1の男になる」と宣言をして柔道界から引退をし、格闘技の世界に飛び込もうとしている北京オリンピック柔道100キロ超級の金メダリスト、石井慧選手。次回ロンドンオリンピックでも充分金メダルの可能性がある選手だけに、彼の引退を惜しむ世論の声は多い。彼が言った「60億分の1の男」とはおそらく格闘技で世界チャンピオンになることを意味していると推測するが、どんな競技であれ世界チャンピオンになるということは、とてつもない努力と精神力が必要であることは紛れもない事実でしょう。
さて、私のいただいているこの「いのち」こそ60億分の1の「いのち」ではないでしょうか。そのことを日常の生活の中で、また混迷する社会状況の中でそう実感している人が、果たしてどれだけおられるでしょうか。60億分の1の世界チャンピオンになろうとしている石井選手も、その前にすでに60億分の1の尊い「いのち」をいただいているのです。そして、この私のいのちも60億分の1の「いのち」であったことを実感し、気づかされていくことです。
あと数日で新しい年を迎えようとしておりますが、今年一年を顧みますと、いのちを軽視した様々な事件を思い起こさせられます。
「今、いのちがあなたを生きている」の御遠忌テーマには、私のいのちこそが60億分の1の尊い「いのち」であることに目覚めよとの願いが込められているのだと、自ずと頷かずにはおれません。
岩田信行
私は、今年(2008年)刑が確定した死刑囚に、2年前、広島拘置所で面会したことがあります。面会以来「罪」と「償い」について考えてきました。
そうしたある日、ある死刑執行報道で被害者遺族の声を聴いて一つはっきりしたことがあります。遺族の方々は「…当然のことです。しかし、死刑執行されてもあの人は帰ってきません。私たち家族の悲しみ怒りは、生涯、消えたり癒えたりすることはありません…」と語られていました。
私たちはこの言葉を聞いて「罪とは償えないものなんだ」とはっきりしました。「死んで償え」とも言いますが「死」をもって償えるのなら、遺族の思いが晴れるはずです。しかし、晴れないのです。それでは償ったことにはなりません。それは「殺せ」という「思い」が通っただけで、「思い」が通ってもその死が決して「償い」にはならないということです。
「償えないものが罪」なら「償い」とは一体、何がどうなることなのでしょう。みなさんはどう考えますか?
私たちは「死刑」を「制度」として必要とする国に住んでいます。それを当たり前のこと、人を殺したものはその報いとして殺されて当然のことという考え方が、この国の民意のようです。世論調査では国民の8割の人が死刑を支持していると言います。
その国にあって、私たちの宗門は1998年以来、死刑が執行されるたびに『死刑制度を問い直し死刑執行停止を求める声明』を世に発信し続けていることをみなさんもご承知のことでしょう。ある人は「きれいごとだ」と一蹴されますが、あなたはどうお考えでしょう?
この国の裁判は、12月(2008年)から犯罪被害者が法廷で被告人に質問したり、裁判官に求刑までできる「被害者参加制度」が始まりました。2009年5月からは「裁判員制度」が始まり、重大刑事事件の裁判に私たち市民が裁判員となって関わります。市民が市民を裁いて、しかも死刑判決にまで関わる世界では類を見ない裁判が始まります。
その国にあって、この国の主権者である「私たち」は果たしていかなるものとして生きているのか。真宗門徒として生きるとは、果たしてどういう意味をもつのでしょうか?「宗派声明」を改めて同朋の会で、みんなで読んでみようではありませんか。
天春克子
私は今年10月下旬に、夫の同年の8家族と一緒に、初めて沖縄に行ってきました。この8家族の親睦旅行は、毎年出かけており、もう30年余りも続いております。
最初の頃は若き時代で、子どもたちの海水浴が中心でした。最近では夫婦だけの参加となり、定番の温泉や観光地巡り、お土産物探しが中心となってきました。今回は久しぶりの二泊三日で沖縄本島を回りました。
旅行最後の三日目は、昼食をはさんで「ひめゆりの塔」を訪れました。バスに戻った時、ガイドさんが『ひめゆりの塔の資料館にも行っていただきましたか」と尋ねられましたが、みんな黙っていました。沖縄で生まれ沖縄で育ったガイドさんの声が、急に寂しくなったように感じられました。
ひめゆりの塔は第二次世界大戦の沖縄戦で、日本軍の従軍看護婦として動員され、アメリカ軍の攻撃で命を奪われた「ひめゆり学徒隊」の慰霊塔です。ここでは227名が犠牲になられたと、ガイドさんに話していただきました。そして、沖縄の言葉を一つ教えていただきました。「ヌチドゥ タカラ」それは「いのちこそ たから」という意味だそうです。
三日間バスで回っていますと、いろいろなところに戦争の傷跡が残り、アメリカ軍の基地が今も活動を続けています。沖縄の日常生活は、戦争や悲劇につながる危機にいつも直面しているのです。
戦争は、日本では過ぎ去ったことと思っていましたが、そうではありませんでした。今からは、私たちを取り巻く現実に注意深く目を開き、過去の歴史が語る声に、しっかりと向かい合っていかなければならないと思っております。
池田徹
以前お聞きした話である。列車の中で、退屈し始めた兄弟が、車内の端(はし)から端まで走る競争を始めた。何回か続いたので、そこにおられたある先生が、その子のたちの母親を睨(にら)みつけた。すると母親は子どもたちに向かって「あなたたち止めなさい」と注意した。それはその通りである。しかし、次に出た言葉が「あの恐いおじさんが睨んでいるから止めておきなさい」だったそうだ。恐いおじさんが睨んでいなければ走り回っても良い、ということではない。誰かが見ている、見ていないに拘(かか)わらず、おかしいことはおかしいと言うことが大切ではないか、事実をきちんと押さえて、注意しなければならないと思う。
今の場合、子どもたちは恐いおじさんに叱(しか)られるのが嫌だから、走り回るのを止めたとすると、自らの内なる意志で考えたのではない。不都合なことに出合わないために止めただけである。逆に考えると、叱られなければ、誰も見ていなければ何をしてもいいということになる。
こういう行動パターンが他にも、我々の生活を支配しているように思う。親が子どもに「勉強しなさい」と言う。それは大切なことである。しかし「なぜ学ぶのか」をきちんと伝えないところで「勉強しなさい、勉強しないといい学校にいけないよ」とか「いい会社に入れないよ」と脅(おど)していることがある。
自らの内発的意思で行動するのではなく「こうなったら嫌だから」「あんな風にはなりたくないから、仕方なく」また「良い人と思われたいから」とか「居場所を失いたくないから」等、不都合や嫌な状況にならないようにと、そういう心が基準となって生活が行われているのではないか。それを「手段化」された生活と言う。していることが、したいこと―目的ではないからだ。
日常生活でイライラが募る、なんとなく満たされない、不安に襲われる、人生そのものに手応えがない等、感じることがある。それは生活が「手段化」され、自己も他者も「道具化」され「利用」されているからである。そういう我々の在り方を「空過」―空しく過ぎると言われている。「今・ここ・共に」ということが欠落した生活である。
「報恩講」という仏事は、新たに親鸞聖人に出会い直すことではないかと思う。親鸞聖人の絵像の讃文に「仏の本願力を観ずるに、遇(もうお)うて空しく過ぐる者なし、能(よ)く速(すみ)やかに功徳(くどく)の大宝海を満足せしむ」と書かれている。言葉にまでなった親鸞である。「本願力に遇うことにおいて、空しく過ぐる者はないのだ」と言い切った親鸞である。
「手段化」する私の在り方を「空しく過ぐる」と言い当て、その虚偽性、悲惨さ、無責任さを知らせる本願の呼びかけ―存在にかけられている願い、いのちの叫びを聞きとっていくこと、「教え」に向き合うことそれが親鸞聖人の「報恩講」をお勤めすることではないか。「今・ここ・共に」を回復する生活である。
改めて「365日、毎日が報恩講」である。
芳岡恵基
今年もまた、報恩講をお迎えする時期が近づいてまいりました。私の寺でも、今月15日の晨朝から始まり、22日の女人講報恩講まで厳修させていただきます。例年、たくさんのご門徒衆と共にお迎えできることは、住職として大変うれしいことではありますが、私自身、ただ法要次第をこなしているだけになっている現状であります。
私がまだ学生の頃、ある先生から「報恩講というのは、親鸞聖人のご恩に報いる大切な法要である」と聞かせていただいたことがあります。それを聞いた時、ご恩に報いるというのは、恩返しをするということであると勘違いしておりました。一般的に、誰かに親切にされたら感謝し、何かを貰ったらお返しをします。恩を受けたら恩返しをすることが、世の中の常識になっているのではないでしょうか。
仏教でいう恩は、返すとか返さないとかいう恩ではありません。恩というのは、古いインドの言葉でクリタといいます。クリタというのは「なされたこと」という意味です。
また、報恩というのは、クリタ・ジュニャーといい「なされたことを知ること」という意味です。「なされたこと」というのは「他の誰のためでもない、この私のためだと知ること」それが、仏教でいう恩に報いるということなのであります。つまり、「恩を知る」ということです。ですから、親鸞聖人のご恩に報いるというのは「親鸞聖人によってなされたことが、他でもないこの私のためだったと知ること」なのであります。親鸞聖人に、何かをお返しするということではないのです。
では「親鸞聖人によってなされたこと」というのは、一体何なのでしょうか。それは「私たち凡夫が救われる道は、お念仏しかない」と教えてくださったことであります。私自身、凡夫の身であったことに気づかされた時、初めてお念仏の教えがこの愚かな私のためにあったと、思い知らされてくれるのではないでしょうか。つまり、事実を事実と知らせてもらった時に、初めてお念仏をいただく身となるのであります。お念仏をいただく身となり、凡夫の自覚に生きることこそ、親鸞聖人のご恩に報いることになるのではないでしょうか。
このような心で、報恩講をお迎えしたいものであります。
員辨暁
今年もまた、報恩講の時期がやってまいりました。
この「今年もまた」という言葉の中には、「またか」という私の心の中にある報恩講に対する消極的な意味合いも含まれているのかも分かりません。
ある先生がこんな話をされました。
お茶の道、茶道には茶会の心得として「一期一会」という言葉があります。これは一生に一度限りの出遇いであることを意味します。これに対して仏道では「一期一会」ではなく「一会一期」なのだそうです。たった一度の出遇いが一生の出遇いになる。あなたがどんな人生を送ろうとも決して離れることのない出遇い、これが仏道であるということです。
親鸞聖人は法然上人との出遇いによってお念仏の教えに出遇われました。そのお念仏の教えは親鸞聖人に、生きることの意義・喜び、また生きることへの意欲を与えました。
現代の私たちは、今、生きることの意義・喜びが分からず、生きる意欲を失っているようです。
今年もまた、報恩講の時期がやってまいりました。
先人たちは私たちに報恩講という仏事を通じて、大事なご縁を伝え残してくださいました。「また今年もか」という横着な私の心に「おまえは本当にそれで満足しているのか?」と、親鸞聖人から問われているようです。
真宗大谷派(東本願寺)三重教区・桑名別院本統寺の公式ホームページです。