033報恩講

諏訪 高典

 今年も一一月二一日から二八日まで、真宗本廟(東本願寺)で、宗祖親鸞聖人の御正忌報恩講が勤まります。そして、二八日の御満座では、

  如来大悲の恩徳は
  身を粉にしても報ずべし
  師主知識の恩徳も
  骨をくだきても謝すべし
   (『真宗聖典』五〇五頁『正像末和讃』)

の、私達真宗門徒が慣れ親しんでいるご和讃がつとまります。このご和讃は、親鸞聖人の兄弟子聖覚法印が、法然上人の六七日に表白されたものによるといわれます。

 親鸞聖人は仏法のご恩は、よき師によって気づかされ、その恩徳の重き、深きことは如来本願の用( はたら) きそのものであるといただかれたことでございます。

 親鸞聖人がお作りになった正信偈。そのお心は、私の口から「ナンマンダブ」、「ナンマンダブ」が出て来た。このお念仏はどこから出てきたんだろう。お念仏のルーツの根源は?

 そうだ、二九歳の時、法然上人に出遇った。あの時、
 「ただ念仏して弥陀にたすけまいらすべし」
というお言葉と共に、あの法然上人の朗かな念仏に遇うた。その時から私の口から念仏がもれるようになったんだナー。
 
 じゃあ、法然上人の念仏は、
 「源信広開一代教」
源信僧都から。

 じゃあ、源信さんの念仏は、
 「善導独明仏正意」
善導さんから。

 じゃあ善導さんの念仏は、
 「道綽決聖道難証」
 
 道綽禅師は?
 「本師曇鸞梁天子」
 
 曇鸞大師の念仏は、
 「天親菩薩造論説」

 天親菩薩は、
 「龍樹大師出於世」

 龍樹大師の念仏は、お釈迦さまから。お釈迦さまは、
 「帰命無量寿如来 南無不可思議光 法藏菩薩因位時」

 私の口から出た一言の念仏のルーツをずっとさかのぼると、遂に「法藏菩薩因位時」までさかのぼり、無量寿、不可思議光までさかのぼった。
 何とありがたいことか、それがあの正信偈をお作りになった親鸞聖人のお心であったと、私はいただくことでございます。

 報恩講は、この親鸞聖人のご遺徳を偲ばせていただき、真実のみ教えに出遇わしていただくための、真宗門徒にとって最も大事な仏事であります。共にこの仏縁に遇わせていただきたいと思います。

(桑名組・了嚴寺住職 二〇一三年一一月下旬)

032諷誦持説

片岡 健

 親鸞聖人はみんなが声を揃えてお勤めできる『正信偈』・『ご和讃』を残してくださいました。私たちは毎朝・毎晩のお勤め、仏事でのお勤め等を通して、そこから量り知れない教えをいただいています。『正信偈』などは本を見なくても読める方が多いと思います。

 『仏説無量壽経』というお経には、「諷誦持説(ふうじゅじせつ)」(『真宗聖典』二〇頁)という法蔵菩薩の願いが出てきます。仏さまの教えを声に出して何度も読み、暗記して、歌うがごとく軽やかに口から出るようにしなさい。私たちにはそういう願いもかけられているのです。

 数年前、門徒さんではないのですが、近所に若いご夫婦が引っ越してこられました。ほどなくご主人のお母さんが亡くなられて、お葬式と中陰のお参りをさせていただきました。六七日のお勤めが終わった後で、奥さんから質問をうけました。「ごえんさん。『帰命せよ』って何ですか」と。「どうして、そんなことを聞くの」というと、「毎日、お勤めをしていたら、気になるようになりました」と。『ご和讃』には「帰命せよ」がいっぱい出てきますからね。私は答えることができずに、「これから一緒に考えていきましょう」と誤魔化して逃げ帰りました。
 そうしたら、これ以後、このご夫婦は寺へお参りになるようになり、聞法されています。この奥さんは、できれば親鸞聖人に直接お尋ねしたかったのでしょう。知ったかぶりをした私などが答えなかったのが大正解だったのですね。

 声に出して諷誦、つまり暗唱できるほど読むと、この奥さんのように、時間と空間を超えて親鸞聖人に触れていけるのではないかと思います。報恩講や御遠忌に向けて、じっくりと地に足を着けて、暗記してしまうくらい教えを声に出して読む。それを通して親鸞聖人に直接お尋ねしていけるようになるといいですね。

(三重組・長傳寺住職 二〇一三年一一月中旬)

031共に、大地に立たん

渡邊 浩昌

 親鸞聖人は三五才の時に流罪に処せられ、遠く越後の国へと旅立たれます。琵琶湖を渡り、北陸に向かい、そして日本海に出られます。その時に、初めて海を見られたのではないかと思います。

 聖人は「海」という言葉を大切にされていますが、九〇才での死去を前にして述べられたと伝えられています『ご臨末の書』には次のような詩が書かれています。

  和歌の浦曲(うらわ)の片男浪(かたおなみ)の、寄せかけ寄せかけ帰らんに同じ。
  一人居て喜ばは二人と思うべし、二人居て喜ばは三人(みたり)と思うべし、その一人は親鸞なり。

 法難に対する恩讐の念が寄せては返す波に打ち消され、師・法然上人への想いを一層深められていると思います。

 その後、聖人は豪雪の季節から解放された越後の国に到着されます。そこで目の当たりにされたのは、果てしなく広がる大地とそこに生きる、後に聖人が「群萌」といわれる人々の生き様ではなかったかと思います。
 
 曽我量深先生は『地涌の人』という文章の中で、「いつわりの名誉と、浮世の権力と、小ざかしき智慧と、仮面の道徳を有せない人々」と表現されています。

  我なくも法は盡きまじ和歌の浦
  あをくさ人のあらんかぎりは

『ご臨末の書』はこのように続きます。

 聖人は流罪の地・越後で、大地から涌くがごとくに生まれ出る、共に念仏申す人々に驚かれ、その人々を「あをくさ人」とよばれたのでしょう。

  われら一向に念仏申して
  仏天のもと青草びととなりて
  祖聖(親鸞)に続かん

 故信國淳先生が私達に残された言葉です。

 親鸞聖人七百五十回御遠忌の三重教区のスローガンは「共に、大地に立たん」です。
更なる深まりが私達に求められています。

(員弁組・西願寺住職 二〇一三年一一月上旬)

030まかせられない心

服部 拓円

 以前、私の母が闘病している時に、「頑張れ」と言われるのが辛いと言っていました。「頑張れ」と言う方はもちろん治って欲しいから言うのですし、言われる方もその気持ちは同じであると思います。だからこそ、「これ以上何を頑張れというのか」と、「今のままで精一杯」であるのに、それ以上の結果を求める「頑張れ」という言葉は、母にとって大変辛いものだったのだと思います。
 しかし、それは「阿弥陀さまが何の条件もなくそのまま救いとってくださる。そのままでいい」という有難さを、母と私に教えていただいた機会でもありました。

 先日、ご門徒の方に「お寺で二八日の法話とお斎(とき)があるので、お参りしてください」と言ったところ、「お誘いはありがたいのですが、折角のお話を聞いても、まだそんな年でもないし、私の根性は直りそうもないので、結構です」と断られたことがありました。
 しかし、少しぐらい話を聞いて、すぐに根性の直る人っているのでしょうか。

 阿弥陀さまは、「頑張って根性を直せば救う」と少しも仰っておられません。「頑張らなくとも、根性の直らないあなただからこそ、そのまま救う」と呼びかけられているのです。

 私たちはどうしても、「誰にもまかせることなく、自分自身で頑張って立派になって、価値のある人間となって救われるのだ」と思いがちではないでしょうか。もし、阿弥陀さまが「頑張って根性を直せば救う」と条件付けられたら、私たちが救われるということは非常に難しくなるように思います。

 私がつくるということではなく、阿弥陀さまに全ておまかせし「かならず救う」という願いを疑いなくいただく。
 
 おまかせできないのは、その願いに気付こうとしていないから。
 たとえ、まかせられない自身に気付いても、全てはまかせられないのではないでしょうか。自身の条件・都合の良いところだけしかまかせられないのではないでしょうか。

 それでも無条件にそのままとして救いとってくださる。その有難さが「南無阿弥陀仏」と申させていただく心であるように思います。

(三講組・圓福寺住職 二〇一三年一〇月下旬)

029上から目線

松井 茂樹

 今年の春に、教如上人御遠忌のために本山へ行ってまいりました。きっかけは大学時代の友人が一度みんなで集まろうということ。ただ集まるのではなくて、本山の春法要のお勤めで会おう、という話になりました。

 正直私は「本山のような敷居の高い所で会おうなんて、正直困ったな」と思っていました。それはなぜかというと、私以外の方は、何度も本山出仕(お勤めに出ること)をされている方ばかりだったからです。しかし、何事も経験と思い、思い切って本山へ上山することにしました。

 本山へ行くと、大学時代の友人や先輩達にお会いすることが出来ました。ただ、皆と話をすればするほど、自分がこの場にいてはいけないように感じました。余りに気になったので、今回お誘いをいただいた友人に「場違いな所に来てしまったかな?」と聞いたところ、友人は不思議そうな顔をして、

 「大谷派の僧侶が本山に来ることのどこが場違いなんだ。第一ここに来ている方々は皆、真宗の教えに触れにここまで来ているのじゃないかな。そんな誰が上とか下とかを決めるために皆が集まっている訳じゃないと僕は思うぞ」
と言いました。

 私はハッとしました。今までつまらない劣等感で場違いだと思っていた自分の心の中を一気に見抜かれたように思いました。常に自分のことを中心に考えている自分に改めて気づかせて頂きました。

 私達は普段、自分が高い所にいて、現代風で言う「上から目線」という見方で、世の中を見ていると思います。しかし、実は自分自身ではどうしようも出来ない力やはたらきによって生かされていることに気付くことが真宗における第一歩だと私は思います。

 毎日の生活の中で、私達が生きていることの大切さやご縁に改めて気付き、そのことに感謝する。それが真宗の教えに触れることだと思います。

(中勢二組・淨得寺住職 二〇一三年一〇月中旬)

028身で聞く、身で感じる

藤基 啓子

 私は、寺の跡継ぎを承知で嫁して四〇年、主人が住職を任されてからは、まだ八年に満たない小さな山寺の坊守です。でも、坊守会には前坊守の義母の生前中から出席していました。

 在家の出身で、三人の子持ち、おまけに病気上がり。多量の薬を服用していて、生きるので精一杯。良いご法話を頂いても、眠くてよく聞いておらず、住職も最初のうちは「今日のお話は?」と聞いてくれたのですが、私が「眠くてよく解らんかった」とか、「どういう風に伝えたら良いのか」等と答えていたら、だんだん法話の話はしなくなりました。

 無駄に過ごす時間が多いけれども、他の坊守さん方とも知り合いになっていろいろ教わりたいという気持ちで、ずっと参加させていただいてきました。とはいえ、知力にも体力にも劣る私は、いつも「眠れる山寺の坊守」です。

 そんな私ですが、三重教区の合唱団「ひかり」に参加させていただいております。私と宗教音楽とのふれ合いは、三重教区の「教務所通信」での募集を見たことからはじまりました。好きな歌を教わることから、未知の世界が開けて来るように感じ、また藤原星子先生のご指導も楽しく、私はすっかり惹きつけられてしまいました。

 その活動からご縁を頂き、本山の春の音楽法要には、体調の許す限り出席させて頂いております。その節には、子どもたちの世話を住職に押し付けては、「ごめんなさい」と出かけていきます。

 また、坊守会の声明教室ではすばらしいおさずけを頂きました。佐々木智教先生のご指導のもと、正信偈を頂いておりました時、身体の揺れを感じたのです。はじめは、東北大震災の時にたまたまコーラスをしていて揺れたことを思い出し、「大変だ、地震だ」と思ったのですが、周りのみんなは平然としているのを見て、ハッとしました。揺れていたのは私だけでした。先生や他の方の声の調子に合わせて、揺れていたのでした。

 ご法話の言葉はとても難しく、なかなか解らない私ですが、音楽や声明の音や声や響きは、とてもすんなりと私の中に入ってくるようです。そして、それはとても心地が良いものです。

 仏法をともに身体で聞く、身で感じるということもあるのかなと思います。
 音楽法要への参加や、正信偈の唱和をたくさんのお仲間と一緒にさせていただくことが楽しみです。

(南勢二組・正順寺坊守 二〇一三年一〇月上旬)

027仏様のお言葉に帰る

箕浦 彰巖

 「末代無知の、在家止住の男女たらんともがらは、こころをひとつにして、阿弥陀仏をふかくたのみまいらせて・・・」と、皆さんのお馴染みの御文にありますが、「阿弥陀仏をふかくたのみまいらせて」と言われていても、私たちはわが思いを頼りとしているのではないでしょうか。

 昨年の三月の末日、私の祖母が急死いたしました。
 突然の別れに、私は悲しみに暮れながら、通夜、葬儀、中陰と法事を勤め、祖母との様々な思い出を思い返しては、悔やんだり、反省したりと、喪中の期間をいただいていたように思います。

 そんな中、私には、忘れずに残っている祖母の言葉が有ります。
 それは、「胸に手を当てて、仏さんは何て言ってござる?」この一言です。

 私には二人の弟がいます。よく兄弟喧嘩をして、怒りに狂って手を挙げることもしょっちゅうでした。そんな時、祖母は決まってこの言葉を私に言ってくれたのです。

 今、その言葉を思い返すと、「お前の思いは、間違いないのか?」と、自己中心的な考えに狂う私に、「仏様のお言葉に帰りなさいよ。本願に拠りなさいよ。」という意味だったように思います。

 私たちは、日常の生活の中で様々なことを考え、悩み、思い願います。
 しかし、それは自分の経験や環境を通してのもので、自己中心的なものではないでしょうか。それは、「自我意識」といいます。

 私は間違いないと思って行動する姿を、常に照らし出し、苦しむ根っこを教えてくださる阿弥陀様。
 その願いに出遇われた親鸞聖人のお言葉を通して、自我意識の幻影から解かれる道を明らかにしてくださっています。
 私の祖母の言葉は、怒り、苦しみ、悩む時こそ、仏様の願いを、お言葉を、聴きなさいよという導きだったように思います。
 
 来る二〇一四年三月には、三重教区・桑名別院宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌法要が勤まります。
 法要や様々な行事がございますが、それらを通して、親鸞聖人の言葉から、仏様の願いを頂いてまいりたいと思います。

(三重教区駐在教導 二〇一三年九月下旬)

026念仏のみぞまこと

伊藤 達雄

 二〇〇〇年に長島組第七次壮年特別伝道のため上山をし、帰敬式を受け、仏弟子の名告りをし、二千年会という聞法会を一〇数名の方々と共に立ち上げ、現在に至っております。
 あれから聴聞を重ねること一〇数年、今日では勤行本が無くても、『正信偈』のお勤めが出来るようにはなりましたが、その意義が知りたく、桑名別院で行われていた親鸞教室に五年ほど通わせて頂きました。

 『正信偈』の七言一二〇句。一言一句にこれほど奥深い意味が存在するとは!
 私の思慮の範疇を超えた、感動の時間を過ごしました。

 しかし、その一方で、「原発」については、絶対反対の立場なのですが、かつての自分も、資源の乏しい我が国にとって必要不可欠なものだと信じて疑いませんでした。二年前の3・11の事故後、未だ一五万人以上もの人達が故郷に帰れないという現状。世界中で処理出来ずに、溜まる一方の使用済み核燃料のゴミの山。チェルノブイリを見て、福島の状況を見て、もう原発は無理でしょう、と、誰もが感じていることと思います。しかし、五月中旬頃、現総理大臣自ら、外遊先で、「我が国の原発は安全です」と、セールスして売って歩いているという報道に接し、まさに開いた口が塞がらないといった心境になりました。

 命か金か? 平々凡々で一見幸せそうに思えていた自分の生活が、どんどん深い暗闇の底へと沈んでいくこととなり、私自身、見るもの、聞くもの、全てが疑心暗鬼になりました。

 真実とは何なのか? 『歎異抄』のお言葉に、

  煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろずのこと、みなもって、そらごとたわごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておわします。(『真宗聖典』六四〇~六四一頁)

とあります。
 念仏だけが真実とは、いったいどういうことなのでしょうか?
 自分は今まで何を頼りに、何を信じて、ここまで生きてきたのだろうか? 自分がわからなくなりつつあります。

 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

(長島組・深行寺門徒 二〇一三年九月中旬)

025為作大安

芳岡 恵基

 私は、二五年程前に結婚しまして、その時にお祝いとして、あるご老僧様から「為作大安(いさだいあん)」と書かれたお軸をいただきました。

 このお言葉は、「嘆佛偈」の中にあり、「心に安らぎを与える仏となります」という仏様の誓いであります。
 最初、このお言葉をいただいた時は、私が妻を苦から救い心に安らぎを与えるのだと思いましたが、よくよくそのお言葉のお心を尋ねますと、実は、夫婦として共に苦しみ悩んでいる私達を救いたいと願い、誓われた仏様のお心、つまり、お念仏を共にいただいていく生活をしなさい、という気持ちでいただいたお言葉であったと思います。

 一度日常生活を見直しますと、私達は自分の思いを中心として、あらゆることに条件を付ける生活をしているのではないでしょうか。都合のいいことばかりを追い求め、人には厳しく接するのに、自分には甘い。このような生活で、本当に心が安らぐのでしょうか。

 お念仏をいただく生活を送ることによって、「常に己に厳しく接し」、「初心を忘れることなく」という仏様のお心が、夫婦生活の中で大切なことであると解らしていただくのではないでしょうか。

 事実を事実と知らしてもらった時に、初めてお念仏をいただく身となるのであり、お念仏をいただく身となり凡夫の自覚に生きることこそ、真宗門徒の生活ではないでしょうか。

(三重組・翠巖寺住職 二〇一三年九月上旬)

024親鸞聖人に遇う

藤井 正子

 先月、三重教区三重組特伝の後期教習で、本山に二泊三日で行く機会をいただきました。 
 本山での晨朝参拝の時、参加者のお一人が席を離れ、御影堂を出て行かれたので、どうされたのかな、と思っておりました。やがて、お勤めが終わって晨朝法話が始まり、ふと後ろを見ますと、縁のところにその方がおられたので、どうなされたのか伺いますと、
 「お参りをしていたら、なぜか泣けてきてしょうがないのです。」
 「理由は解りませんが、お内仏にお参りをしていても時々このように泣けるのです。」
と言われました。

 その方に、「私もここに座りますと泣けます」と申しますと、その方は「自分と同じように泣ける人がいて、うれしい」とのことでした。

 御影堂の御真影は親鸞聖人の今現在説法の相、つまり、今現に在して、法をお説きくださる相(すがた)といわれます。その御真影の前で一緒に泣けることは、有難いと思いました。

 『歎異抄』第二章には、関東からたずねて来られた御同行へ、

  ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべしと、よきひとのおおせをかぶりて、信ずるほかに別の子細なきなり。 (『真宗聖典』 六二七頁)

と言われています。念仏の道を生きていかれた方々を「よきひと」と言いますが、ここでは法然上人のことを指しております。
 親鸞聖人は師である法然上人との出遇いによって、「親鸞におきては、ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべし」といただかれました。

 私は御真影を前に、『歎異抄』の聖人のつねのおおせの言葉、

  弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人がためなりけり。
  されば、そくばくの業をもちける身にてありけるを、たすけんとおぼしめしたちける本願のかたじけなさよ (『真宗聖典』 六四〇頁)

を思いますと、涙がまたこぼれます。

 来年の三月二七日~三〇日まで桑名別院にて宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌法要が勤まります。「ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべし」といただかれた親鸞聖人のお意(こころ)をお聞かせいただきたいと思っております。皆様、ご一緒に親鸞聖人に出遇うお参りをいたしませんか。

(三重組・淨蓮寺住職 二〇一三年八月下旬)

真宗大谷派(東本願寺)三重教区・桑名別院本統寺の公式ホームページです。