018 大悲の願い

原田はるみ

私たちは毎日毎日、時間に追われながら日暮しをしています。目の前に起こる現実の問題に応えることもなく、多くの時間を費やしています。しかし、そこには人生の苦しみや悲しみ、自分の思い通りにならない現実があります。それは私と他の人との関わりによって生まれているのです。そこには、愛憎や善悪という人の世のしがらみがあります。私たちは日ごろ、自分にとって都合の悪いことを取り除くことに一所懸命になります。

だからこそ、今、私にとって大切なことは、現実の問題と関わる自分や他の人の置かれた状況や心情を素直に受けとめて、大事にすべきことは何かということを知り、自覚することであります。

また日常生活の中での問題だけを追い求めるだけでなく、私のいのちのつながり、祖父母と父と母、子と孫という繋がりによって、お念仏を頂いた私であるということを頷くことも大切なことです。どんな境遇の中でも仏さまに手を合わせ、その境遇を引き受けてきた祖父母と両親の生き様を思い起こし、私もそうありたいと願うのです。

何故なら身近なところより感じ得たいのちのつながりやご縁を通して、私たちは仏さまの教えに触れてきたからです。そして、日常生活の中で、思い込みではない事実を見つめ、新たな関わり方を見出そうとする願いに目覚めるのです。

そんな私たちに向けて、阿弥陀仏がまだ仏になる前の法蔵菩薩の時に、「自分も救われると共にすべてのものを救う、救い遂げるまで何処までも救っていく」という「大悲の願い」を立てられました。

親は子どもに願いをかけ、子どもの身に実現していくための力となってはたらいていくのです。

阿弥陀仏のご本願も、仏の教えやお念仏となって、私たちにかけられていると同時に、力となり、はたらきとなって、私のところまで南無阿弥陀仏となって届けられているのです。

(中勢一組・託縁寺坊守 二〇一七年九月下旬)

017 こどもの目線 おとなの目線

岡本寛之

先月、八月の十六日から二十二日において『福島のこどもたちを三重へプロジェクト』が開催されました。東北大震災の翌年から継続開催されており、今年で六年目を迎え、私もスタッフの一人として参加させて頂きました。

今年のプロジェクトも教区児童教化連盟を母体としたスタッフ有志をはじめ、主に食事の面でご協力頂いた別院婦人会の皆様、またプロジェクトに賛同しご協賛頂いた教区内外多くの有志の皆様等、たくさんの方々のご尽力を持ちまして無事、子供たちをお迎えすることができました。

この場をお借りして御礼申し上げます。

たくさんのご支援ご協力、誠にありがとうございました。

全日程のうち二日間、同朋ジュニア大会として福島の子供たちと三重の子供たちが共に一泊二日のキャンプを行いました。

今年初参加の子供も多く「みんな仲良くできるかな…」という不安もよそに、班ごとに分かれての夕食準備の時にはすっかり打ち解け、どの班も見事なチームワークを発揮して美味しいカレーを作りました。

八月のお盆明けですから夕食時とは言えまだ日差しも強く、子供たち全員テントの下で食べる事になりました。しかしとある班の子が一人(仮にA君とします)、調理場のテーブルの横で食べ始めてしまいました。班担さんが皆と一緒にテントで食べるよう何度も促すのですが「僕はここで食べるから」の一点張りで鍋から離れようとしません。班担さんも困り果てて居るのが見て取れました。

たまたま近くに居た私は「言う事聞かん奴っちゃな…」と半ば呆れながら見ておりました。余りにもそのやり取りが続くので助け舟を出そうか迷っているその時でした。

「一緒にたべようぜ」と数人の男の子がテントから駆け寄ってきてA君同様、調理場のテーブル横で食べ始めてしまいました。

「おいおい、そっちかよ(笑)」とは思いながらも、私はA君たちを注意することが出来ませんでした。先程とは明らかに違い、楽しそうにカレーを食べているA君たちを見て「これはこれで有りなのかも…」と感じたからです。

後で聞いたら班担さんも同じ様に感じたそうです。

◇子供たちの体調・安全を考えてテントで食べさせようとする大人の考え方。

◇せっかく外で食べるのだから好きなところで食べたいという子供の考え方。

子供と大人では考え方はもちろん違ってきます。子供と子供、大人と大人の間でも一人ひとり違うわけですから当然と言えば当然です。

今回の出来事もどちらかが正しく、どちらかが間違っているという話ではなく、どちらも正しいと言えるでしょう。もっと言えば正解自体無いのかもしれません。

団体行動にはある程度のルールや決め事が必要です。しかしそれはあくまでも、場を円滑に進めるための手段であって目的ではありません。ルールを厳守する事に拘り過ぎることによって本来の目的を見失ってしまうこともあるでしょう。

今回の出来事である言葉を思い出しました。

『スタッフの皆さんは、何歳になっても子供たちと同じ目線を持ち続けてください』

私が初めて児童教化連盟に関わった当時の※青少年幹事さんの言葉です。

子どもたちの前でだけ目線を「下げる」のではなく、常に心の中に同じ目線を持ち、子供たちがどう考えどう行動するのかを考える。今回の出来事によって自分が子供たちに関わり始めた当時の原点を見つめ直すご縁をいただきました。

あの時、A君のもとに男の子たちが来てくれなければ、

私は子供と大人、どちらの目線でA君に接していたでしょうか?

そう考えると今更ながら背筋がゾッとします…。

※現 青少幼年幹事

(長島組源盛寺住職二〇一七年九月上旬)

016 称名念仏

佐々木  治実

うっかりとぼんやりが、得意な私。まだまだ若いつもりでいますが、物忘れは増えるばかりです。そんな私ですが毎年三月十一日の「勿忘の鐘」だけは忘れないように、午後二時四十六分につき始めます。今年も一人でつき終わると程なく、なにやら賑やかな声が聞こえてきました。そして境内に、小さい子どもたちとそのお母さんがドドドッと駆け込んできました。鐘の音に引き寄せられたのでしょうか?この辺りでは見かけない顔です。「こんなところにお寺があったんだ」という声もします。そこで「鐘つく?」と聞くと、うれしそうに頷く子どもたち。どう見てもあの震災以降に生まれたであろう五人の子どもたち。何のための鐘なのかきっとその意味さえ知らないでしょう。

みんなで鐘楼堂へ上がり、そして「じゃあ、一緒に手を合わせましょう」と、声をかけ合掌しました。すると一人のお母さんの口から「南無阿弥陀仏、南無阿陀仏」と、念仏の声が洩れたのです。私はハッとしました。お念仏がこの若いお母さんの元に確かに届いる。そしてこの私にも届き、改めて称名念仏の意味を教えてくださっているという事実に。

口に出してその声を聞く。その南無阿弥陀仏の願いをきくという、大切な当たり前のことさえ忘れがちな私に「お前は大丈夫か?人間として命をしっかり生きているのか?」という南無阿弥陀仏の呼びかけを思い出させてくれた、貴重な出遇いとなりました。

(員弁組 傳西寺 坊守二〇一七年八月下旬)

015 住職とは、坊守とは

西寺真也・西寺浄帆

真也「ああ、そろそろ住職にならないかんなあ。僕は住職に向いてへんと思うんやけどなあ」

浄帆「いつかさ、※竹中先生が『住職はやりたくない人がやったほうがいいですよ』って言ってたよね」

真也「ああ。そうやったよなあ。あれは、住職が誰の意見も聞かんと勝手に一人でお寺のことを思い通りにしてしまうって話やったよなあ」

浄帆「『おれは門徒にもたれたりと、ひとへに門徒にやしなわるるなり』(『空善聞書』)

っていう蓮如さんの言葉も紹介してくれて、『住職は門徒さんを信頼して甘えられたら一番いいですよ』とも言ってたよね。」

真也「そうかあ。そう言えば最近『本来の住職は門徒に仕える者です。門徒さんは聞法の先輩ですから』って言う話を聞いたんさ。確かに偉そうな住職の話なんか誰も聞きたくないもんなあ」

浄帆「そうだねぇ。自分が門徒さんより聞法の先輩と思ってたら話は聞けないよね。だから住職って門徒さんに『いっしょに聞法しましょう』って迎えてもらってるのかも知れないね。親鸞上人もご自分のことを『門徒』って書いてるしねぇ」

真也「じゃあ、一(いち)真宗門徒として住職の座に着かせてもらうってことなんかなぁ」

浄帆「あ! じゃあ、私も坊守になるんだね。坊守の本来の役わりってなんだろう。お茶出し?」

真也「おいおい。そういうもてなしも大事なことやけどさ。この前知り合いの坊守さんが『坊守に聞法させない住職なんかとは別れなさい!』ってすごい怒ってたよ。やっぱりお寺の環境がさ、坊守が聞法できるようになっていないとなぁ。」

浄帆「聞法する坊守かぁ。私いまの時点でぺこぺこして、へつらってばっかりだし。なんか自信ないなぁ。じゃあ子どもおいて聞法にいってきまーす」

真也「えっ! それはちょっと待って。子育ても聞法やんか。ここで聞法できやんだら、どこいってもできやんやろ。しかもぺこぺこするのも必要なんやしさあ。問題はさ、門徒さんらを尊敬しとるかどうかなんやろ」

浄帆「『人間を尊敬することによって自ら解放せんとする者』(『全国水平社創立宣言』)って言葉があったよね。そういう者に私はなりたい…」

※竹中智秀先生。前大谷専修学院長。二〇〇六年示寂。

(南勢一組 本覚寺候補衆徒 二〇一七年八月上旬)

014 あるハンセン病回復者のつぶやき

鈴木 勘吾

二〇一一年、三重県でハンセン病問題に関する講演会と、作品展が開催されました。その実施にあたり、療養所で陶芸作りに励む女性から作品をお借りする時に、「園名で出品します」と、お返事を頂き名札を付けました。園名とはハンセン病療養所へ入所された時に、強制的に実名を棄てさせられ、名乗ることを強いられた名前です。園名を今も使われている事に慣れているからかと、私はさして気にも留めずに過ごしました。

作品展が終わり、返却の為に療養所へ伺い、その方のお話を聞かせていただいた時、私が開催場所の近くに住んでいることを話すと、その方は「実はね、開催場の近くに親類が住んでいるから名前は出せないの。迷惑が掛るから」と、陶芸関係の仕事だから間違っても名前が知られるといけないからと話されました。

またある日、別の方を介して、「こっそり三重県内にある、両親のお墓にお参りがしたいのだけど」と連絡を頂きました。昨年ご主人が高齢であることを理由に、免許を返納されたことを聞いていたので、土日以外の日で良ければ車でお迎えに行くと、返事をしました。「まだ、親戚の家には行けないの?」とは聞けませんでした。私の方が気を使っているのかとも思いますが、特別なことは何も望まれない。ただ、隣の人として普通に付き合いたい。そう望まれるままにお付き合いをさせていただいています。

後日、他の地区の方から、ある療養所の調査で、五割以上の方が本名を使われず、園名で過ごされていると報告がありました。名前を名乗ること一つを取って見ても、ハンセン病問題の深さに驚かされます。一人の方との何気ない会話の中で、その人の背景にある問題が見えてきます。

私たちはハンセン病回復者として一括りに対象者と考えるのではなく、改めて一人に出会い、ひとりの思いを聞かせて頂けるように取組んでいかなければならないと思います。

(四日市組・法藏寺衆徒 二〇一七年七月下旬)

013 無常の風に吹かれて

箕浦 彰巖

私たちはこの世に生まれてからこの方、実に多くの出会いと別れを経験しているのではないでしょうか。

「人生は出会いと別れの繰り返し」

この言葉を、いつ誰が言い出したのかは知りませんが、しかし誰しもがこの言葉に頷き、様々な感情を巡らして人生を歩んでいると思います。

私もここ数年、多くの方との別れを体験いたしました。それは、身近な家族から、縁遠い知人に至るまで様々なのですが、こみ上げてくる悲しみは抑えることはできません。

この岸に生まれた者は死なねばならぬ、出来たものはこわれねばならぬ、盛んになれば衰えねばならぬこの世の矛盾

(『蓬茨祖運選集 第十四巻』二二〇頁)

この言葉は、蓬茨祖運師の書かれた『良子の宗教』の中に出てくる一文です。

私たちの生きているこの世界は、常に移ろい変わります。しかし、そこに生きる我々は、自分にとって都合の良くないこと以外は、どこか永遠を求めているのでしょう。

でも、この世の現実は、そういった私たちの思いを打ち破ってくるのです。

その現実に真向かいになる時、私に呼びかけられている教えに出遇う大事なご縁だと蓮如上人は御文の中で説かれます。

すでに無常の風来たりぬれば…中略…たれの人も早く後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏を深くたのみまいらせて、念仏もうすべきものなり。

(『真宗聖典』八四二頁)

有名な『白骨の御文』の中にある一節です。「無常の風」は常に私たちに吹き続けています。しかし、いくら理屈で知っていても、日々の暮らしに追われる私たちは、それに気付くことが中々出来ません。ですから蓮如上人は、「きたりぬれば」と、その風を実感したならば、いよいよ阿弥陀仏に出遇い、自分の生き様を、生きる方向を問い直し、人生を歩み直しなさいよと言われているのではないでしょうか。

(三重教区駐在教導 二〇一七年七月上旬)

012 思いに振り回されている私

芳岡 恵基

私たちは、自らの努力や力をあてにして、日々の生活を送ってはいませんでしょうか。世間には、「人事を尽くして、天命を待つ」というお言葉があります。まさしく自分の努力や力を生活の中心にした生き方であると思います。それに対し清沢満之師は、「天命に安んじて、人事を尽くす」と言われています。この二つのお言葉を比べますと、立脚地がまったく違う事がわかります。世間は自分を立場とし、清沢先生は仏を立場とされています。世間でいう自分を立場とする事は、都合の善し悪しで生きているという事ではないでしょうか。

皆様方のお家でお勤めなされるご法事にしても、「ご命日より早いのは善いが、遅れるのは善くない」という声を時々耳にします。真宗におけるご法事の場とは、どういう事が願われているのでしょうか。お内仏のお荘厳の向きが、私たちの方に向いています。つまり、すべて私の方向に回向されているという事であります。私が私を聞かせていただく大切な場こそ、真宗における法事の場ではないでしょうか。自分の思い、つまり努力や力をあてにする計らいこそ、苦しみや迷いの因であったと知らされてくるのではないでしょうか。

清沢先生における天命に安んじるという事は、南無という立脚地(帰依所)におられたからこそ、このように言われたのではないでしょうか。つまり、ご縁という事です。因縁力によって、今ここに座らせていただいているのに、私たちはなかなかそういう事に気づけません。他力・仏力の働きに出遇えずにいると、都合の良い時だけ「ご縁ですね。」と口から出るのではないでしょうか。南無という立脚地に立つ事によって、凡夫としての自覚が生まれるのではないでしょうか。日頃私たちは、凡夫というとだめと言って、削ることしか考えません。凡夫が凡夫になれたという事は、往生極楽の道が定まったということであります。何でもその物だけでは成り立ちません。しかしながら私たちは、「私が、私が」と自分の中に都合良く描いた思いを立脚地(帰依所)としている限り、益々苦しみや迷いが深まっていくのでは、ないでしょうか。

自分の心のどん底に納得しているか、そこが大事であると思います。どん底とは、自分の根性では見えません。しかし、どん底とは暗闇だけではなく、明るさに転ずる大切な場であるはずです。納得とは南無阿弥陀仏、つまり自分に出遇った証そのものであります。

これらのことから、親鸞聖人における天命に安んじるとは、帰命無量寿如来・南無不可思議光という事であり、自らの人生において南無阿弥陀仏に出遇った感動のお言葉であります。つまり、この二行「南無阿弥陀仏」が、宗祖における立脚地であり、拠り所であります。いま一度、親鸞聖人・清沢先生における立脚地、拠り所に触れさせていただく中で、私たちの立脚地、何を拠り所として日々の生活を送っているのかを考えさせられる次第であります。

(三重組・翠嚴寺住職 二〇一七年六月下旬)

 

011 私の日常

稲垣 順一

『蓮如上人御一代記聞書』五十八条に

たれのともがらも、われはわろきとおもうもの、ひとりとしても、あるべからず。これ、しかしながら、聖人の御罰(おんばつ)をこうぶりたるすがたなり。(後略)

(『真宗聖典』八六六頁)

とあります。現代語訳では、「どのような人でも自分が悪かったと思う人は誰一人もいません。けれどもこれは親鸞聖人から厳しいお叱りをいただいた姿なのです」(『現代語訳 蓮如上人御一代記聞書』瓜生津隆真著 大蔵出版)

私は日々自分の生き様が悪く間違っているとは思いもしません。むしろ正しいと思っています。これが私の日常です。

しかしそれはエゴと言わねばなりません。エゴは自身の思い上がりやうぬぼれとなっていきます。親鸞聖人の厳しいお叱りは私の日常そのものであり、その自分の姿に気づかせていただく仏法に出遇うことを示されています。

「自分のことは自分が一番よくわかっている」と思いがちですが、むしろその時こそが自分の姿に気づけていないことを教えられます。エゴで思いはかる自分は不確かなものでしかありません。だからこそ、親鸞聖人は仏法に出遇うことの大切さを示されています。

私はこの文に仏法聴聞の原点を感じています。

(桑名組・正覺寺住職 二〇一七年六月上旬)

010 聞思

田鶴浦 昭典

コンピュータを始めとして、私たちの生活をより快適に便利にするべく、様々な文明の利器が開発され、身の回りにあふれています。

しかし、これらの文明の利器によって、人々が本当に苦悩から解放され、一人ひとりが生き生きと生きている毎日になっているでしょうか。

それどころか、私たち取り巻く様相は、暴力や自殺・他殺、テロなど人間関係を引き裂く様々な課題に覆われています。

映画「アナと雪の女王」の主題歌『Let it go ―ありのままで―』やSMAPの「世界に一つだけの花」、また金子みすゞさんの「私と小鳥と鈴と」の詩が、今注目されています。これらの言葉が訴えるメッセージに多くの人々が惹かれるのは、科学文明の力では解決できない何かしら根源的な課題の存在を、敏感に感じているからではないでしょうか。

このような状況だからこそ、今まさに「聞思」することの大切さをあらためて感じざるを得ません。

親鸞聖人の主著『顕浄土真実教行証文類』のはじめには「聞思して遅慮することなかれ」と記されています。このことは人生のよりどころを明らかにする確かな言葉を聞くことを通して、自ら問いを持ち、自らが考えることの大切さを示すものです。

しかし、どれほど大切な言葉を聞いたとしても、ただ聞くだけに終わってしまうならば、それは私が生きることにとって、それほど意味を持たないものとなってしまいます。

聞いたことを自分に引き当ててよく吟味し、自らの問題として考えることによって、初めて一つの言葉が私にとってかけがえのない言葉となり、生きる原動力となっていくのではないでしょうか。

今の私たちの周りには、多くの情報や言葉があふれ、それに振り回されて、生きる方向を見失い、身動きがとれなくなってしまい、本当に確かなもの、拠り所にすべきものが何なのか、自分自身わからなくなっているのではないでしょうか。

だからこそ、今、自らが生きる拠り所を明らかにする、すなわち親鸞聖人の確かな言葉を共に「聞思」いたしましょう。

(長島組・野亨寺住職 二〇一七年五月下旬)

009 手紙

佐々木達宣

二年前、連れ合いの両親が続けて亡くなりました。五月に父がそして十月に母が還浄されたのです。連れ合いの実家が自坊から近く、さらに所属門徒ということもあって、家の片づけから親戚としてのお付き合い、葬儀式のお勤めと、連れ合いも私も忙しい時間を送っていました。

父と母にゆっくりお別れをする間もなく、今思えば葬儀の折にどんな様子で、どんな話をしたのかさえはっきり思い出せないほど、時間だけが慌ただしく過ぎ去っていきました。

母の葬儀も終わり、身内の者で骨上げに向かいました。不思議なもので、飛ぶように過ぎ去った時間の中で、殆どのことを忘れてしまったのに、骨上げの様子だけが、今も鮮明に思い出されます。そしてそれは父の時も同じでした。

それまであった肉体が無くなり、白骨となった両親と出会ったとき、正直ハッとしたものです。張りつめていたものがほどけたのか、急に感情が込み上げてきました。

その後、自坊に戻って還骨法要を勤め、白骨の御文を拝読しました。

されば朝には紅顔ありて、夕べには白骨となれる身なり。

蓮如上人は私たちに命の無常を問いかけられました。御文は、蓮如上人が私たちに宛てて出してくださった、大切なお手紙です。そして同時に、亡き方から届いたお手紙でもあるのです。白骨となったその姿を見て「あんたもまた、そういう命を頂戴しとるんだよ」と、両親からのメッセージを受け取ったのです。そしてその手紙には「そんな無常の命だからこそ、早く念仏の教えに出会わんといかんよ。早く阿弥陀仏の本願に目覚めんといかんよ」という促しが、願いとしてこめられているのです。

もうすぐ両親の三回忌を迎えます。今年はどんなお手紙を受け取るのでしょう。

(伊賀組・正崇寺衆徒 二〇一七年五月上旬)