028身で聞く、身で感じる

藤基 啓子

 私は、寺の跡継ぎを承知で嫁して四〇年、主人が住職を任されてからは、まだ八年に満たない小さな山寺の坊守です。でも、坊守会には前坊守の義母の生前中から出席していました。

 在家の出身で、三人の子持ち、おまけに病気上がり。多量の薬を服用していて、生きるので精一杯。良いご法話を頂いても、眠くてよく聞いておらず、住職も最初のうちは「今日のお話は?」と聞いてくれたのですが、私が「眠くてよく解らんかった」とか、「どういう風に伝えたら良いのか」等と答えていたら、だんだん法話の話はしなくなりました。

 無駄に過ごす時間が多いけれども、他の坊守さん方とも知り合いになっていろいろ教わりたいという気持ちで、ずっと参加させていただいてきました。とはいえ、知力にも体力にも劣る私は、いつも「眠れる山寺の坊守」です。

 そんな私ですが、三重教区の合唱団「ひかり」に参加させていただいております。私と宗教音楽とのふれ合いは、三重教区の「教務所通信」での募集を見たことからはじまりました。好きな歌を教わることから、未知の世界が開けて来るように感じ、また藤原星子先生のご指導も楽しく、私はすっかり惹きつけられてしまいました。

 その活動からご縁を頂き、本山の春の音楽法要には、体調の許す限り出席させて頂いております。その節には、子どもたちの世話を住職に押し付けては、「ごめんなさい」と出かけていきます。

 また、坊守会の声明教室ではすばらしいおさずけを頂きました。佐々木智教先生のご指導のもと、正信偈を頂いておりました時、身体の揺れを感じたのです。はじめは、東北大震災の時にたまたまコーラスをしていて揺れたことを思い出し、「大変だ、地震だ」と思ったのですが、周りのみんなは平然としているのを見て、ハッとしました。揺れていたのは私だけでした。先生や他の方の声の調子に合わせて、揺れていたのでした。

 ご法話の言葉はとても難しく、なかなか解らない私ですが、音楽や声明の音や声や響きは、とてもすんなりと私の中に入ってくるようです。そして、それはとても心地が良いものです。

 仏法をともに身体で聞く、身で感じるということもあるのかなと思います。
 音楽法要への参加や、正信偈の唱和をたくさんのお仲間と一緒にさせていただくことが楽しみです。

(南勢二組・正順寺坊守 二〇一三年一〇月上旬)