027仏様のお言葉に帰る

箕浦 彰巖

 「末代無知の、在家止住の男女たらんともがらは、こころをひとつにして、阿弥陀仏をふかくたのみまいらせて・・・」と、皆さんのお馴染みの御文にありますが、「阿弥陀仏をふかくたのみまいらせて」と言われていても、私たちはわが思いを頼りとしているのではないでしょうか。

 昨年の三月の末日、私の祖母が急死いたしました。
 突然の別れに、私は悲しみに暮れながら、通夜、葬儀、中陰と法事を勤め、祖母との様々な思い出を思い返しては、悔やんだり、反省したりと、喪中の期間をいただいていたように思います。

 そんな中、私には、忘れずに残っている祖母の言葉が有ります。
 それは、「胸に手を当てて、仏さんは何て言ってござる?」この一言です。

 私には二人の弟がいます。よく兄弟喧嘩をして、怒りに狂って手を挙げることもしょっちゅうでした。そんな時、祖母は決まってこの言葉を私に言ってくれたのです。

 今、その言葉を思い返すと、「お前の思いは、間違いないのか?」と、自己中心的な考えに狂う私に、「仏様のお言葉に帰りなさいよ。本願に拠りなさいよ。」という意味だったように思います。

 私たちは、日常の生活の中で様々なことを考え、悩み、思い願います。
 しかし、それは自分の経験や環境を通してのもので、自己中心的なものではないでしょうか。それは、「自我意識」といいます。

 私は間違いないと思って行動する姿を、常に照らし出し、苦しむ根っこを教えてくださる阿弥陀様。
 その願いに出遇われた親鸞聖人のお言葉を通して、自我意識の幻影から解かれる道を明らかにしてくださっています。
 私の祖母の言葉は、怒り、苦しみ、悩む時こそ、仏様の願いを、お言葉を、聴きなさいよという導きだったように思います。
 
 来る二〇一四年三月には、三重教区・桑名別院宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌法要が勤まります。
 法要や様々な行事がございますが、それらを通して、親鸞聖人の言葉から、仏様の願いを頂いてまいりたいと思います。

(三重教区駐在教導 二〇一三年九月下旬)