020無言館

梅田良恵

皆さんは長野県上田市にある無言館という美術館をご存知でしょうか。その美術館では第二次世界大戦中、志半ばにして戦場で亡くなった画学生たちの残した絵画が展示されています。2年ほど前、私は母親とその美術館を訪ねました。作品を見ていく中で母は一枚の絵の前に立ち止まり、そのままその絵に見入っておりました。私がそばに寄っていくと、母はぼそっとした声で、「私の兄もこのバシー海峡で死んだ」と言いました。展示されている作品には作者名と戦死した場所などが記されています。バシー海峡というのは台湾とフィリピンとの間にある海峡で、太平洋戦争後半には、そこで25万人もの命が奪われました。母は兄が出征するときの様子を話してくれたのですが、母が兄を慕っていた気持ちが強く伝わってきました。

先日、内閣は憲法九条の解釈を変更し集団的自衛権を行使できるよう閣議決定しました。このままでは日本はこれから先、戦争ができる国になってしまうということです。他国の人を殺すだけでなく、日本人が日本人を殺してしまうのが戦争だ、ということも母をはじめいろんな人から教わりました。相手が攻めてきたときには自分を守るために戦わざるを得ないというときもあるでしょう。しかし、そうしないための智恵が憲法九条だったのではないでしょうか

仏教では「不殺生」を説き、むやみな殺生を禁じています。しかし日露戦争以前の明治時代に、わが宗門は「一殺多生(いっせつたしょう)」、つまり一人殺すのは多くの日本人を生かす、という考えを持ち出し戦争に加担しました。「不殺生」の教えを捻じ曲げ、僧侶自身が門徒さんを戦地に送り出しました。日中戦争のとき、竹中彰元という大谷派の僧侶は「戦争は罪悪である」と発言したため投獄され、大谷派からは布教使の免許を取り上げられてしまいました。そのような事態が再び起こらないために、今私たちに何ができるのかと考えます。

母は言います。「若い人、結婚したばかりの人が、どんどんどんどん、戦争に行って死んでしまった。今声を大にして言いたい、戦争ができる国にしてほしくない」と。今私は、私の二人の息子といっしょに、この母の気持ちを考えていきたいと思っています。