001宿業の自覚

田代賢治

新年明けましておめでとうございます。

旧年中は、おかげさまで無事桑名別院報恩講を滞りなく厳修させていただき、誠にありがとうございました。

また、来る3月27日から30日にかけて「三重教区・桑名別院宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌」が、桑名別院においてお勤まりになります。ご縁ある方々はもちろんのこと、一人でも多くの方々にお参りいただけますよう、心よりお待ち申し上げます。

憶えば、東日本大震災と福島の原発事故から、まもなく三年目を迎えようとしております。未だに復興すらならず、人々の生活を奪っている状況が今日もなお続いています。それは、私たちの有りようを根底からくつがえすほどの衝撃であったはずなのに、一体何が変わったでありましょうか。

私たちは今日まで、人知を尽くし便利さ豊かさを求めつづけてきた結果、たくさんの恵みを受けとることが出来ています。しかしその反面、最も大切なことを忘却の彼方へ置き去り、神仏をも恐れぬ所業を成し、人間の都合によっていのちを見、いのちを軽視する世界を作り出し、また人間によって制御できない魔ものをも生み出してしまったのであります。そこには、いのちを私有化し、知識を絶対のものと錯覚してきた誤謬があります。慙愧しなければならないのは、まちがいなく私たち自身であります。そのことを自ら問い、明らかにせよ、との宗祖からのご催促が今なお続いています。

この身、この世のありようを、われらの問題として引き受けられるような生き方が出来るかどうか、「宿業の自覚」が安田理深先生の言う「実存的責任」として、今こそ明らかにされなければならないと思うのであります。

宗祖親鸞聖人の七百五十回御遠忌を勝縁として、「世のなか安穏なれ 仏法ひろまれ」(『真宗聖典』569頁)と願われた親鸞聖人の生き方、教えに問い尋ねていく大きなチャンスになることを念じまして、ご法話とさせていただきます。