036年末に思う

折戸芳章

今年もあとわずかになり、「本当に一年はアッと言う間に済んでしまうものだなぁ」と実感する時節です。

心を新たに「今年こそは」と迎えた新年だったのに、この時節になると、「こんな筈では」と反省の毎年です。

名古屋の東山動物園から10月15日に脱走し、21日に捕獲され、園に連れ戻された、ニホンザル「ムコドノ」のニュースが、11月初めに特集で放映されていました。逃走中、園の飼育員や獣医師らの捕獲班や警察官が追跡に加わり、逃走から7日目にやっと捕獲されたのでした。

このニュース放映の最後に、「1匹のサルに人間が振り回されたのか、サルが人間に振り回されたのか、果たしてどちらだったのでしょう」というナレーションが流れていました。それを聞いていて、やはり人間社会の身勝手なルールに、サルの方が人間に振り回されたのではないのかと思いました。そして、サルにとっては、それは逃走中の7日間だけのことでは決してなかったでしょう。

私たちは、人としてこの世に生を受けて今日に至るまで、毎年、年末年始を迎える度に、「こんな筈ではなかった」、「今年こそは」と願うものです。それは、毎日の生活の中で私自身の回りに起こる出来事が、私を振り回し、苦しめているのだと決めつけてしまっているからです。

1匹のサルの逃走が人間を振り回し、苦しめたのでは決してありません。人間社会が作り出した身勝手なルールにそぐわないサルを追いかけ捕獲することによって、振り回され、苦しんだのは人間だと、私たちが勝手に決めつけているだけなのです。振り回され、苦しんだのはサルの方ではなかったでしょうか。

私の身の回りに起こる出来事が私を振り回し、苦しめているのだという私自身が作り出した身勝手なルールに、私自身が勝手に苦しんでいるのだぞ、と顕かにし、教え導いてくださっているのが親鸞聖人です。

1匹のサルの逃走劇でしたが、人間社会の中で、今なお起こり、問題になっているさまざまな出来事に、現に振り回され、苦しんでいる私たちに対して、「それでいいのか」と、親鸞聖人になり変ったサルから、人間社会に一石を投じられた気がしてならない今年の年末です。