026頂くということ

白木俊正

先日、あるご縁があって桑名別院の門前にある寺町商店街にて、仏事相談を先輩方と催す機会がありました。仏事相談といっても、商店街へ買い物に訪れる方々に対して、無料でお茶を飲み椅子で休んでもらいながら、お話を聞くというものでした。

この初めての取り組みに私自身もどのように対応すればよいのか解らず、不安を抱え手探りの状態でやっておりました。いざ始めてみると、例えば仏事やお墓の問題や家族関係のことなど、何気ない世間話までいろいろなお話を聞くことができました。その中で、ある方と印象的なやり取りがありました。それは、その方の悩みに対して、私が「その悩みを、周りのお友だちに相談されたらいかがですか?」と答えたところ、その方は「周りの人は幸せだから、言ったところで解らないから言わない」とおっしゃいました。それに対して私が「周りのお友だちも幸せに見えても何かしら悩みや、問題を抱えていらっしゃるかと思いますので、お互いで話し合うことも一つの方法じゃないかと思いますよ」と申しますと、その方が「それは言う通りだと思うけれど、私の辛さ、苦しみは私自身にしか全て解らない。あなたは解りますか?」と言われたのです。私は答えに詰まってしまいました。けれども、その方はそんな私の様子を見て微笑みながら「あなたに問題を解決してもらいにここに座らせてもらった訳じゃないから。ただ他の人に話せただけで救われました。本当に有難うございました」と言われて、そして涙を流して感謝され帰って行かれたのです。その出来事に私は驚くとともに気づかされたことがあります。

私には仏事相談をすることによって問題を解決しなければならない、何か答えを導かなければいけないという自分勝手な思い上がりのようなものがあったのです。つまり、自分が納得する答えを押しつけようとしていたのです。その方は、相談者のお話を聞いて「あげる」ことしか頭になかった私に対して、お話を聞かせて「頂く」という姿勢を教えてくださったのだと思います。

お話を聞かせて「頂き」それに対して私の思いをお返しして、聞いて「頂く」という姿勢、それが今後の私自身の課題になりました。それこそが私などにお悩みを話してくださった方たちへの感謝になるのだと考えております。