012大悲、ひきさかれたこころ

星川佳信

沖縄が日本に復帰したのは1972年、今から38年前のことでした。その復帰2年前、私は友人とパスポートを携え沖縄を旅しました。8月、夏の青く澄んだ海、サンゴ礁に群がる色とりどりの小魚、こんな世界があったのかという驚きでした。

しかし、戦後27年後の沖縄は、豊かな自然と程遠い現実が横たわっていました。そこは、どこの国とも言えない「異国」でもありました。この頃ベトナムは、大国アメリカと激しい戦争を繰り広げていました。アメリカ軍の劣勢が日に日に増し、戦争は泥沼化の様相を呈していた頃でした。

ベトナムから飛来する戦闘機、那覇はさながら米兵の慰安所でした。市街地は軍事基地そのものであり、人々は戦争との背中合わせの暮らしを強いられていました。私が目にしたのは、目の前を飛来する戦闘機B52でした。黒く燻された機体は「死の鳥」と恐れられ、不気味で巨大なものでした。その機体が市街地頭上に轟音をうならせ飛来してきます。その時初めてベトナム戦争を想像し恐怖を肌身で感じました。

敗戦後の27年間、沖縄はアメリカの統治下に置かれ、従属を強いられた。まさに軍事基地そのものでした。そして、戦後65年が経過した今も、変わらない沖縄の現状がそこにあります。

今再び、沖縄県は「普天間基地移設問題」で揺れ動いています。県外移設を求める沖縄県民の願い、受け入れを反対する沖縄県外の住民、分散移設を嫌うアメリカ軍、軍事基地ありきからでは答えは見つかりません。政治に翻弄され続ける沖縄には未だ「戦後」という言葉は当てはまりません。

『大無量寿経』に四十八願の展開があります。その第一願に「説我得仏(せつがとくぶ)、国有地獄餓鬼畜生者(こくうじごくがきちくしょうしゃ)、不取正覚(ふしゅしょうがく)」(真宗聖典15頁)と説かれています。「この国に地獄・餓鬼・畜生があるなら私は仏にならない」という法蔵菩薩の誓いです。つまり、人が人として生きることのできない世、国があるなら、私は仏にならないという誓いです。どこまでも人間の悲しみ・痛みに追随する仏のはたらきが「大悲の本願」であることを深く思い知らされます。