山阿礼子
休日の朝、新聞を読んでいる私のそばに2人の子どもがそろってやって来て、取り留めのない話が始まりました。何やら楽しげに笑いころげています。子どもたちの話に耳を傾け、笑顔をながめていますと、何とも言えない幸せな気持ちになってきます。ところが、新聞から飛び込んでくるニュースは、いじめによる自殺、親殺し等心痛むものばかりです。なぜ、こんなに思いやりの心、親子の絆(きずな)が薄れてしまったのでしょうか。温かい心が息づかなくなってしまったのでしょうか。今、傍(かたわ)らで笑っている我が子が大人になった頃は…としみじみ考えさせられてしまいます。時代は変わりつつあると言いますが、この先どのように変わっていってしまうのでしょうか。
考えてみますと、昔よく歌った童謡も、最近はあまり聞かなくなったように思います。
「夕焼け小焼けの赤とんぼ、負われて見たのはいつの日か」と、秋の夕焼けの頃、こんな歌を口ずさみながら、友と共に帰路についたことは、今も私のほのぼのとした思い出となって残っています。
この「負われて」というのは「おんぶされて」ということですが、その中で互いの身体のぬくもりが伝わり合い、その温かさから愛情を感じ、そして、心も育っていったのだと思います。「歌は世につれ、世は歌につれ」という言葉もありますが、こんな歌が心の中に浸みてこない今を淋しく思います。
もう一つ思うことは、布施の心ということについてです。布施とは、仏様に捧げる法礼を指すだけのように思いますが、語源はインド語の「ダーナ(dana)で、施しをする行為と言われており、「法施(ほうせ)」「(ざいせ)」「無畏施(むいせ)」の三つがあると聞いたことがあります。
お正月に母と会った折、こんな話を聞きました。80も過ぎ足腰が弱った母が荷物を持ちやっと歩いていますと、通りかかった一人の青年が「持ちましょうか」と声をかけて下さり、荷物を持って一緒に歩んで下さったそうです。母は心より感謝し、お礼を言いましたら、「お気をつけて」と、いたわりの言葉と笑顔を下さったと嬉しそうに話してくれました。
優しい言葉をかけたり、笑顔で人に接したりすること、これこそ布施の一つ「無畏施」ではないでしょうか。私たちの生活の中にこのいたわり合う心や言葉、笑顔あふれることが多くなっていけば、争いやいじめなどの殺伐とした事件も無くなっていく一つの光になるのではないかと思います。
私も「和顔愛語(わげんあいご)」と言うように、いたわりの心と笑顔の布施を大切に日々過ごしていきたいと願っています。
服部拓円
つい最近、私は30年ほど前のアルバムを見ておりました。その一枚の風景写真には、ショッピングセンターやコンビニエンスストアもなく田んぼの広がっている様子が写っていました。写真にはありませんが、50年前の風景だともっと違うでしょうし、100年前では更に違っているのではないでしょうか。写真に写っていたのは、景色だけではなく、昔から現在に至るまで、便利さ快適さを求めてきた歴史のようにも見えました。
便利さ快適さを求めるのは単に生活だけではありません。文明・社会においても同じことで、苦悩ある生活から脱却を求め、その都度改革を行う歴史を繰り返しております。しかし、改善されるどころか、戦争もなくならず武器の発達で酷(ひど)くなり、人以外の生物が脅かされるものとなってしまいました。
人類は「理想郷」を現代に創ろうとしておりながら、破滅へ向かっているのではないでしょうか。
少し話が大きくなってしまいましたが、苦悩の生活とは、有り余るものでも社会の改革をもってしても、一時的にしか満たされず、また新たな苦悩が生まれるだけでしょう。ただ解決を求めるのではなく、本当の願いをはっきりとさせることが大切なのではないでしょうか。私たちはそのことを真宗からもっと学ばなければなりません。
藤井隆信
新しい年を迎え、皆さまのお念仏の生活の更なる深まりをお喜び申し上げます。
「日々新たなり」という言葉がございますが、なかなかそのように受けとることはできません。「今日もまた同じように」というのが、私の望みなのです。それでも人生には新たな出来事が次々と起こってきます。昨年の11月、私のお寺で二つの仏前結婚式がありました。一つは私の長女の結婚式。もう一つは2週間後、ご門徒さんの長男の結婚式でした。
長女の結婚にはとても驚かされました。突然「私この人と結婚します」と紹介されて、父親として「さてどうしたらよいのか」親の立場が示せません。私の父親が、私の姉や妹の結婚について、強い権威をもって臨んだことが思い出されました。しかし、自分には親の権威といったものは何もありません。長女は「“結婚式”はしません」と言います。私はうろたえてしまい、妻が必死に頼んで、どうにか結婚式をしてもらうことになりました。
仏前をお荘厳して、両家の親族の皆さんに集まってもらい、司婚の言葉、二人の結婚の誓いの言葉が述べられました。全く知らない者同士であったこの二人は、今不思議の仏縁に遭い、夫婦となったのです。そして、その因縁の一つを私が担っているのです。そんな深い思いがこみ上げてきました。自分たちが結婚した時の新鮮な感動はとうに忘れてしまいましたが、その自分たちの結婚が、今この長女の結婚の因縁となって現れ、同じこの本堂で仏前に誓いを述べている。誠に不思議なことでした。
ご門徒さんの方は、今ではとても見られないような、昔ながらの盛大な結婚式でした。大勢の人がお祝いに押しかけ、本堂に五色の幕をめぐらせて、高欄の上に緋毛氈(ひもうせん)、その上を白無垢の新郎新婦が入堂、華やかな雅楽が鳴り響き、「村中の人が花嫁を迎える」というお祝いの仏事を勤めさせてもらいました。
結婚式という人生の一大事に遭わせてもらうことが、「大勢の村人」の眼前で行われる素晴らしさ、そして私自身が広大無辺の深い因縁を生かされて生きていることを知らされたのでした。
橘秀憲
謹んで新春のお慶びを申し上げます。昨年は、一年を表す漢字に「偽」の一字が選ばれました。揮毫された清水寺の貫主も「大変恥ずかしいことである」とテレビインタビューに答えておりました。人の為と思いながら、いつのまにか自分のためにルールを破ってしまって偽る。残念なことですが、誰にも覚えのあることです。
大晦日の夜に除夜の鐘の音を聞きながら新しい年を迎えるのが、私たち日本人の年中行事です。あちらこちらから鐘の音が聞こえ、ラジオやテレビでも各地の除夜の鐘が放送されます。仏教では、人間に百八つの煩悩があって、梵鐘の音を聞くと、その煩悩から解脱するというふうに言われているところから広まったようです。一つ一つの煩悩から解き放たれて自由になり、新しい気持ちで年を迎えることができますよう、大晦日に鐘を聞きながら払い清めるということのようです。聞くだけでなく自分で撞けばさらに効き目があるということなのでしょうか。
ここ桑名別院では、年があらたまってから初鐘として撞いていただいています。私たちは生きている限り、さまざまな煩悩が次から次へと起こってきます。そういう煩悩を断つことは難しく、決して無くならない。煩悩から解き放たれることは無いわけです。煩悩まみれであるという自分を確認する除夜の鐘にできたらと思います。
浅田正作さんの『骨道を行く』という詩集の中に『日々新た』という題で、
つまれても つまれても 新しい芽 煩悩の芽
大悲の大地に抱かれて 勿体なし
今日もまた 鮮やかな芽 煩悩の芽
という詩があります。親鸞聖人は、
凡夫(ぼんぶ)というは、無明煩悩(むみょうぼんのう)われらがみにみちみちて、欲もおおく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおおく、ひまなくして臨終(りんじゅう)の一念にいたるまでとどまらず、きえず、たえず(真宗聖典545頁)
と示しておられます。常に自身の在り方を確認しながらこの一年を過ごしていきたいと思います。
真宗大谷派(東本願寺)三重教区・桑名別院本統寺の公式ホームページです。