017教えが確かな道 

藤﨑信

先月、20数年ぶりに山登りをしました。1000メートルに満たない山で、しかも山頂付近まで林道を利用するルートだったので、学生時代山登りのサークルに入っていた私は、「楽な登山だ」と思っていました。しかし、林道から分かれて頂上までの山道は急坂で、それまで会話をしながら余裕で歩いていたのとは打って変わって、歩く速度は一気にスローダウン、会話どころか息を整えるのがやっとで、体中から汗が吹き出てきました。改めて自分の体力の無さに気づかされました。やっとの思いで辿り着いた山頂は天候も良かったこともあり、伊勢湾まで見渡せる素晴しい眺望でした。

さて、「目標(頂上)に向かって登っていく」それは仏法にも同じようなことが言えるのではないでしょうか。さしあたり目標(頂上)への道標が、お経やお説教となるのでしょう。

今回の山登りは、天候も良く、この山を以前登った経験者も同行していたので、迷わず頂上へ辿り着けましたが、山の天候は急変します。濃い霧が立ち込めると、東西南北の方向が分からず、周りの景色も分からず、自分が今どこにいるのか分からなくなります。「あと少しで頂上に着ける」と焦って、勘を頼りに動き出すと、思わぬ危険な場所に行ってしまうものです。また、頂上がすぐそこに見えるのに山道は迂回してまだまだ続くような時、自分の勝手な判断で近道すると、最後には登るに登れず、降りるに降りれずに、困ってしまうことがあります。

私たちは日々の生活の中で、楽な方へ楽な方へと考えてしまいがちです。確かな道(教え)があるにも係わらず、自分に都合の良い判断や解釈で、近道を作ってはいないでしょうか。

016寺のもつべき一つの役割 

保井京子

4月に女優の清水由貴子さんが自殺をされました。認知症の母親を一人で介護した末、うつ状態になっての自殺だとマスコミは報じています。由貴子さんの母は、39歳で他界した父に代わって由貴子さん姉妹を女手一つで育ててくれた、由貴子さんの最愛の人でした。由貴子さんに係わりのある方は口を揃えて、由貴子さんのことを、親を大切になさる優しい人柄の方だと言っています。

この由貴子さんの死は、同世代の私にとっても、とても衝撃的で考えさせられる出来事でした。自分を一生懸命に育ててくれた母への恩返しという思いで、一人で重い負担を背負ってしまったのでしょう。

この出来事には、高齢者介護という問題と共に、介護する者の深い孤独を感じます。恐らく介護する者の苦悩や現実は、その当事者しか分かり得ないのです。先が見えない介護、誰ともその重荷を分かち合えないという孤独感が、親の老後は私が看取るのだという強い意志が、由貴子さんを自殺に追いやることになったのでしょう。

私の寺には、毎月「逮夜(たいや)」という27日のお参りの集まりがあります。十数名の集まりですが、『正信偈』のお勤めをし、話し合いなどをもつ集いの終了後、時にはすぐに帰らずに、夕方までいろいろと世間話をすることも、楽しみの一つになっているようです。同年齢、連れ合いを亡くされた者同士が、その思いを共有する場ともなっているようです。

寺の持つ役割は、いろいろとあると思います。その一つに、人々が集い、日頃の様々な思い、悩み、憂い、悲しみを互いに語り合う場にする手助けの場所、憩いの場としての役割があります。老若男女、孤独感が深まり、人々が助け合い、共に生きることが見失われている今、寺を地域の人々の集まれる憩いの場として提供できたら良いと考えている今日この頃です。

015「共に」という世界 

佐々木智教

最近、自宅でお葬式を行うお宅がめっきり減り、葬儀会館での葬儀ばかりが目立ちます。私の住む長島町では、組の方々がお葬式のお斎(とき)の用意や火葬の一切を取り仕切り、それこそ村ぐるみで亡き人を送る習わしが伝統とされてきました。

ところが、桑名市との市町村合併を境として、村に火葬場があるにも拘らず、桑名市の火葬場へという流れが定着し、次いで自宅葬から会館葬へと完全に移ってしまったかのようです。お家の方にお話を伺いますと、「組の人も若い者になると火葬もよおせんし、何しろ暇財かけんならんから、お金はかかるけど会館でやった方がさっぱりしとるでええわ」とおっしゃいます。これも時代の流れと言ってしまえばそれまでですが、何とも寂しいことです。

また、こんなこともあありました。小学校の校庭に咲く色とりどりのビーチパラソル。こんな場違いな光景を見られたことはありませんか?とある小学校の運動会では、まるで真夏の海水浴場のような光景が見受けられます。このビーチパラソルは、児童の親御さんが子どもの応援のために持ち込んだものです。パラソルにはテーブルとイスがセットになっていて、ここでそれぞれの家族が子どもたちと一緒に昼ご飯をいただくのです。

私も初めこそ、「怪しからん!何だこれは」と思いましたが、いつのまにか右へ倣えと、パラソル派に転向してしまいました。この運動会の様子を見られたお寺の役員さんが、「今どきの親はなっとらん!」と、えらい剣幕で言われました。

「昔は自分の子もよその子も、同じようにみんなで応援したもんや。今の親は、自分の子だけ一生懸命応援して、よその子の時にはパラソルに戻って知らん顔をしとる。自分勝手な親ばっかりや!」

まさに自分のことだと、身の縮む思いでお叱りの言葉を受けましたが、他にも私たちの身の回りでは、同じようなことが起こっているのではないでしょうか。それぞれ自分の思いに基づく行いによって、人と人とが共に出会う場を失い、地域社会から家庭がどんどん孤立してゆく状況にあるのです。

今後、私たちは「個性や自由の尊重」といった価値観重視の中で、「共に」ということがますます成り立ち難い時代を生きなければならないのでしょう。

しかし、その故にこそ、私の思いを超える「共に」という世界を見出してゆく課題が、私たちに与えられているのではないでしょうか。

014わたしの顔 

木名瀬勝

国道23号線の交差点でのこと。信号が青に変わったのに気づくのが遅れ、後ろの車にクラクションを鳴らされた。慌てて発進すると、その車が強引に追い越しをかけ、私の車と並んだ時、こちらを睨みつける男性ドライバーと目があった。猛スピードで走り去っていく銀色の車体を眺めつつ、「そんなにイライラせずに、もっとのんびり走ればいいものを」と思いながらも、男のつり上がった目つきを思い起こすと、だんだんと理不尽に感じてきた。「2、3秒の遅れくらいで何という態度だ、睨み返してやれば良かったな」と、しばらく頭を熱くしながら運転をしていたのでした。

さて、「眼は外を見るためにある」という当たり前のようでいて謎めいた言葉が、私は以前からずっと気になっています。「仏陀の教えは鏡である」と何度も聞いて言いながら、いつのまにか自分で自分の性格を分析し、「確かに我執で生きているな」という結論に陥っています。何でも見ることのできる眼球も眼球自身は見ることができないように、私は、私自身を見ることはできないからこそ、「教えを鏡にせよ」と言われるのでしょう。しかし、日常生活においていくら外を眺め回しても、教えとなる鏡が何であるかがはっきりしません。

その晩、布団に入り、眠りに就こうとしていた時です。銀色の車の運転席から睨みつける憎しみに満ちた顔がはっきりと闇に現れました。これは私の顔だと感じました。毎朝鏡で見たり、写真で見たりしている自分のイメージ、それが私じゃない。なんだ、これが私の顔だったのか。

013自分を生きよ 

花山孝介

『阿弥陀経(あみだきょう)』の一節に「青い色には青い光、黄なる色には黄なる光、赤き色には赤き光、白き色には白き光あり」という言葉があります。これは、阿弥陀さまの浄土に咲く蓮華について述べられた部分です。言葉の意味はそれぞれの色に光があるということですが、このことが一体、私たちに何を教えようとしているのでしょうか。

私たちの日々の生活は、何時も何かと比べて生きています。例えば、今の私たちはやたらと変身願望が多いように思われます。流行に敏感な若い人たちの様子を見ていると、カリスマ性をもった人にあこがれ、その人のように近づけば幸せになれると思っている人が多いように思います。流行に乗っていることが、時代を先取りして生きている証みたいになっています。しかし、本当にそうでしょうか。流行に執着し他人と比べてだけ生きていれば、やがて主体性を失い、そのうち自分さえも捨てて生きることになるのではないでしょうか。

浄土に咲く蓮華にそれぞれ光があるということは、「私は私のままで、生き生きと生きたい」という私たちの願いを表していると思います。何かと比較して自分を立てるのではなく、「その人にはその人でなければならない大事な人生がある。それを生きよ」と教えているのです。

青は青のままに光る。青でなければならない光がある。そのような人生の歩むべき方向を教えているのが浄土の教えです。

012虚仮(こけ)

大谷聡

「虚仮(こけ)」という言葉があります。『唯信鈔文意(ゆいしんしょうもんい)』では、

「虚」はむなしいという。「仮」はかりなるということなり。「虚」は、実(じつ)ならぬをいう。「仮」は、真ならぬをいうなり(真宗聖典547頁)とあります。

このことを思うと、私は本当に穴があったら入りたいという気持ちになります。私の日々の暮らしを振り返ると、何ともお粗末な気持ちになります。到底、念仏者の生活とはかけ離れたものではないかと。確かに、実際の生活は現代社会の中にあって極めて複雑で多忙なものです。自らを振り返る余裕のないものとも、またその仮の宿に安住しているものとも言えるでしょう。

先般もこんなことがありました。世には多くあることではありますが、私の母親が生死にかかわる病気をいたしました。すると、私はたちどころに大慌て、右往左往して、何も手がつかない状態なのです。死というものを改めて身近なものとして感じているのです。人の生死に深くかかわり語り学ぶ僧職に就いているにもかかわらずなのです。我が身の上でなければ、どこかで理屈になっている部分があるのです。勤行・聞法とは名ばかりで、生活の中にそれが身となり糧とはなっていないのです。

自らの都合や物差しで計る。人はそこからなかなか抜け出せないものです。心の根深い所で煩悩がでんと居座っているのです。この性根の悪さを他のもの、例えば世間や多忙さにすり替えて、自らを見つめ直す、内省することから逃避しているだけなのです。念仏者の生活どころか、まさに「虚仮」の生活と言えるものだと思います。

親鸞聖人は、その『悲歎述懐和讃(ひたんじゅっかいわさん)』の中で、

浄土真宗に帰すれども

真実の心はありがたし

虚仮不実(こけふじつ)のわが身にて

清浄の心もさらになし (真宗聖典508頁)

とおっしゃられております。どこまでいかれても、さらになお自らをお問いになられているお姿があります。そして、それはまた、私へのご指摘でもあります。それは私の歩むべき道を示されておられるのではないでしょうか。

「自らの虚仮を見つめなさい。念仏が生活となりなさい」とおっしゃられているのだと思います。

011無上尊(むじょうそん) 

飯田尚子

今回は、「無上尊」という言葉についてお話したいと思います。「無上尊」とは、この上もなく尊いという意味です。

釈尊はお生まれになった時、「吾、当(まさ)に世において無上尊となるべし」と言われたと伝えられています。世に生まれたのは無上尊になるためだと。「天上天下(てんじょうてんげ)唯我独尊(ゆいがどくそん)」とも言われています。ただ我一人尊い、この世の中にあって、何が本当に尊いことなのでしょうか。

私がそのことを強く感じたのは浜崎あゆみの「End of the World」という歌からです。最初の歌詞は「自分よりも不幸な人を見ては少し慰められ、自分よりも幸せな人を見つけたなら急に焦ってる」というものです。その歌を聞いた瞬間「私のことだ!」と思いました。「不幸な人」をどこかで自分の慰めに見ていた事実を否定できませんでした。

私たちは人より自分の境遇は良い方だと思って安心を得たり、他者と比較することで自分の価値を見出そうとします。そうしなければ「自分」を保っていられないような不安が根っこにあります。

その後に続く「幸せな人を見つけて焦る」というものは、人よりちょっと幸せでありたいという欲求や、もしくは、何で自分だけ…という悲壮感から起こる焦りを歌っています。どんな人でも比較対象にしていること、他者との関係の中で無意識に上下をつけて見てしまっていることを改めて気づかせてくれる歌詞でした。その後、歌は「私は何を思えばいい、私は何て言ったらいい」と続きます。そんなあり方に疑問を投げかけてきます。

源信僧都(げんしんそうず)が著した『往生要集』(巻上)のなかには、「もし智慧ある人、一念も道心(どうしん)を発(おこ)せば、かならず無上尊となる。つつしみて疑惑をなすことなかれ」とあります。「道心」とは菩提心(ぼだいしん)のことです。菩提心とは仏道を歩もうとする心です。仏道を歩むこと、それは一人の旅であり、同時に独立して立つことのできる身になるということだと思います。仏をこの身の上にいただいて、自分の向いている方向が定まると、一人(いちにん)になれます。「いちにん」それは孤独な存在を指すのではなくて、一人一人が「いちにん」として見いだされていく、比べる必要がなくなるということです。

しかし、やはり隣の人は気になります。優越感や劣等感は次から次へと起こっていきます。そんな時、「無上尊」という言葉を思い出します。何を求めるのか、何が願われているのか。「無上尊」の意味を問い続けることによって、尋ねていきたいと思います。

010孫とのかかわりの中で 

高尾輝子

毎週金曜日は、娘が仕事を終えるまで二人の孫を我が家で預かることになっています。

いつものように保育園に迎えに行き、一人を車に乗せ、次に小学2年の孫を自宅に迎えに行く途中、その子が友だちと二人で歩いているところに出会いました。そこで、孫に「一緒に乗っていく?」と聞きました。「いい」との返事。「じゃぁ、気をつけてね」と言って、先に孫の家へ行って待っていますと、間もなく友だちと別れて走って帰ってきました。孫の家から我が家へ戻る車の中で、小2の孫に「おばあちゃん、さっき私だけに車に乗っていくって言ったの?」と聞かれ、とっさに返す言葉がありませんでした。「もし私だけ車に乗ったら、お友だちが一人になるでしょ。学校で一人では絶対帰らないようにって言われとんのやに」と。なるほどそうであろうなぁと、最近の幼児・学童に対する犯罪の多さが思い起こされました。私の都合で、「こうしたら」とか「それは止めたら」とか、つい口を出してしまいがちな自分であったなぁと、孫から気づかされたことでした。

そして、このことをきっかけに考えさせられたことがあります。例えば、世界のどこかで事件・事故が発生すると、テレビ・ラジオのニュースの中での「けが人何名、亡くなった方何名でした。その中に日本人は含まれていませんでした」とのコメントに、「日本人が巻き込まれていなくて良かったな」と、つい思ってしまうことがあります。また、子どもたちが犯罪にあったとしても、もちろんそのことに対しては非常に怒りを感ずるのは当然ですが、我が子や孫でなくてほっとしている自分がいることに気がつきます。

身内さえよければ、自分さえよければの思いが私の中にあるということを否定することはできないでしょう。

009彼岸 

原田憲昭

「彼岸」と題しましてお話を申し上げたいと存じます。

私の記憶では、小さい頃、彼岸になると母親がよくぼた餅を作ってくれました。仏様にお供えしますが、待ちきれなくて食べていたことが思い出されます。

昨今、若い人は宗教に対して関心が薄れてきたと言われております。しかし、この彼岸の季節になると、日本各地で家族そろってお墓参りをする姿をメディアで拝見いたします。私の寺でも例外ではありません。お墓を回ってみますと、ほとんどのお墓が綺麗な花に変わっております。

このように、私たち日本人には彼岸という概念が存在意識にあり、人々をその方向に動かしめているのではないでしょうか。その意識の背景には何があるのでしょうか。

自分の都合に左右される私たちの日常生活は、たいへん苦労するものであります。苦から逃れるために、楽なるものを求めて一生懸命に力を注いで生きております。仏教では楽になりたい心が消えたことが、涅槃(ねはん)であると言われております。楽にならなくてもいいと思う世界、喜んで苦楽を受け取っていける生き方が、生死を超える道であると教えております。

親鸞聖人のご和讃に

無明(むみょう)長夜(じょうや)の燈炬(とうこ)なり

智眼(ちげん)くらしとかなしむな

生死(しょうじ)大海(だいかい)の船筏(せんばつ)なり
罪障(ざいしょう)おもしとなげかざれ (真宗聖典503頁)

とありますように、お念仏の光によってこの無明の世界を照らして、絶対に間違いのない「彼岸」に生まれさせていただくことです。

先月21日、ご門徒の伊藤さんが81歳で亡くなられました。3年前に奥様を亡くされ、ご本人もその頃がんを発病され、入退院されておりました。その中で、「楽になろうと思って財を作ってきたけれども、自分にとって何の役にも立たんことでした。ただ仏様を信じるだけです」と言われ、手を合わせ、小さい声で「ありがとう。ナムアミダブツ、ナムアミダブツ」と言われました。

伊藤さんは仏様の呼び声に触れられ、自己の内面に目覚めて、お念仏を申す身となって、往生の道を開かれたことと思います。

008きつーいごさいそく 

池井隆秀

つい先日、NHKの『ラジオ深夜便』の番組の中で、小児がんで子どもを亡くされたご住職の放送がありました。みなさまの中にもお聞きになった方があるかと思います。
山口県は長久寺のご住職・有国智光氏で、「小児がんの息子と向き合った日々」と題してお話されました。長男の遊雲君が小学6年生の時、足首に腫瘍が見つかり、それががんと宣告されます。あと3年の命であると聞かされた後、息子さんと向き合った様子をお話になりました。

最初は、お医者様から最悪あと3年と言われたのだから、治療によっては元のような健康な体に治る可能性もあるであろうと、さほど動揺しなかったとのことでした。治るということで手術室に向かう遊雲君がいました。

学校の好きな遊雲君は、これから休まずに学校に通えると思っていた矢先、中学2年生の時、二度目の入院で転移が見つかり、片足を切断することになったそうです。「もう元には戻れない」とお話をされ、病気と闘っている遊雲君。そばでご一緒だったご家族方の思いは、私どもには到底思い量ることができません。ご住職は遊雲君に「何が起こっても大丈夫だからね」と言葉を交わされたそうです。

やがて、遊雲君は命を終えていかれました。これで高校生の遊雲君の姿は見られない、わが息子に代わってやることもできない。ご住職は、独り生まれ、独り死んでゆく現実のただなかで、遊雲君となかなか出会うことができなかった、と言われています。
そんな中、ご自坊の近くに住む浄土真宗のご門徒さんであるおじいさん・おばあさんが昔から言っておられた「きつーいごさいそく」という言葉によって、遊雲君との出会いの扉が開かれたとお聞きしました。このことは私たちに大切なメッセージを投げかけてくださっていると思います。

遊雲君が亡くなられた2007年に、私の寺の総代さんが50歳代の末で命を終えられました。その奥さんが私に「私は今、悲しみ、苦しみ、辛さのどん底におります。これ以下はありません。これからは立ち上がることだけですから」と述懐されたことが思い出されます。このことは、厳しい現実を「きつーいごさいそく」として頷かれたということではないでしょうか。

身の回りに起こる様々な出来事が厳しければ厳しいほど、私たちは逃れることに必死になります。何かに、どこかに、そのはけ口を求め続け、逃げ回っている現実があります。どうしようもない現実を「きつーいごさいそく」として感得できた時、確かな歩みが始まるのではないかと教えられたことでありました。