佐藤幸男
この世で数多くの生物がある中で、言葉の分かる人間の身を受けることは容易なことではありませんが、今、私はおかげさまでその人間の命をいただきました。また、仏法はよほどの深いご縁がなければ聞くことができませんが、今、私は不思議なご縁で聞くことができました。以下云々…南無阿弥陀仏…
これは三帰依文現代語試訳の文の一部でございます。
仏縁による集まりの場で発言させていただく際に、さらに続く文を併せて拝読することによって、真宗の教えについて深く理解していない私が、念仏をいただくことへの感謝と心得、また今日縁をいただいて申し上げる念仏の入り口にさせていただきます。
自分はいつもお参りさせていただくお寺で、また家のお内仏で、ご本尊に向かってお称名をさせていただいております。自分では自然体のつもりで、御名を声に出して称えるを常としておりますが、時にはそれが、本当の念仏になっているのかと自分に向かって問いかけるのです。
如来の本願は「すべての凡夫が安楽国土に生まれて往生をとぐる」と願われていると言われております。しかし、それには「信心をもって」とおおせになり、その上の念仏は「ねてもさめても、いのちのあらんかぎりは、称名念仏すべき」と御文(おふみ)さんで教えていただいております。
名号の名告(なの)りは限りなく深く広く重いもので、その中から自分が問われていて「軽々と心得べきではない」といましめの心を忘れず、常々信心を心がけ、おごることなく「如来の本願に目覚める念仏」を続けさせていただきます。南無阿弥陀仏
神谷覚
日本には世界中から食材が輸入され、食糧については十分であり、食べ切れなくて捨てられているものが半分くらいあると聞いたことがあります。冷蔵庫の奥にあったため、まだまだ食べられるものであっても、賞味期限を過ぎたといって捨てる。店においても売れ残った食品は捨てられる。本当にもったいないことであります。
以前に、あるお坊さんが小学生の頃、学校で生きた鶏の首を絞め、首をはずして血を抜き、毛をむしり取り、血だらけになって、それをさばき、料理を作ったことがあると話されました。それを聞いた人が「その料理は食べる気にはなれなかったでしょう」と言われましたが、そのお坊さんは、学校の先生に「この料理を食べてあげることが鶏に対して供養になるのです。本当にかわいそうなことをしたと思ったら美味しく食べてあげなさい。私たちのために大切な命をくださってありがとう、と感謝していただきなさい」と言われて、むごい状況の後ではあったけれど、鶏の供養であるならばと思い、グッとこらえたら食べられた。そして、美味しかったそうです。
人は普段、一日に3度の食事をしますが、いずれも生き物のいのちをいただかずには食事になりません。ご飯は米のいのち、パンは麦のいのち、みそ汁は大豆と野菜やアサリなどのいのち、その他魚のように水揚げされたもののいのち、あるいは既に解体されて店先に並べられた肉となったものなどのいのちを頂戴して食事がいただけるのです。食事ができることは感謝すべきことではないか。自分自身がこのことに改めて気づかさせていただくご縁があったのは二年ほど前のことです。保育に携わる方々を対象にした保育研修会で講師が話されたことは「子どもたちに感動を与えていますか。感動を与えてください。他のもののいのちをいただいて食事ができることを理解できれば感動できます。そのことを教えてあげてください。感動できなかったら、犬や猫のように餌を食べていることと同じです」ということでした。このことを聞いてから、美味しくないものであっても「こんなまずいものいらない」という傲慢な自分を反省させられ、いのちをいただいて食事ができることの有り難さ、もったいなさに感謝しなければならないという気持ちに変わりました。
片岡健
夜の繁華街でたむろして家へ帰れない子どもたちに、家へ帰るよう説得するため、単独で夜の街をパトロールしてくださっている。また、生きるのに疲れて自分の手首を刃物で切ったり、引きこもりになっている子どもたちの相談相手になって、時には夜を徹して電話で応対し、生きる力を引き出すように子どもたちを励まし続けてくださっている水谷修という先生がおられます。
この先生は「現在の私たちの社会は、人を認め合う社会ではなく、人と人とが責め合う社会、攻撃的な社会になっています…上司は部下に、部下は家庭で妻に、妻はその子どもに…。攻撃が下へ下へと連鎖しています。でも、子どもたちは誰を攻撃してうっぷんを晴らせばいいのでしょうか。同級生をいじめることで、あるいは殺すことで…。動物や生き物を虐待することで、うっぷんを晴らせばいいのでしょうか。すでに、そうした子どもたちがいます」とおっしゃっています。
ここで指摘されている攻撃型社会の原因はどこにあるのでしょうか。政治や経済や社会構造など、いろいろなことが考えられますが、さらにその奥にあるものは、私たち一人一人の生き方にその原因があると、私は最近つくづく思うのです。
『歎異抄』というお書物があります。親鸞聖人亡き後、同じお弟子仲間の間で、親鸞聖人の教えと違うことを言う人が出てきました。それを唯円というお弟子が批判しているお書物ですが、そこには「なくなくふでをそめてこれをしるす」と書かれています。私たちにも、人を批判したり、子どもを叱ったりしなければならない場合は当然あります。しかし、その場合、怒りにまかせてとか、好き嫌いとか、自分の都合がその基礎になってはなっていないでしょうか。泣く泣く人を批判する、泣く泣く子どもを叱る。こんな心が根底にあれば、批判も叱ることも相手に通じて、そのことが光り輝いてくるのではないかと思います。
水野朋人
テレビ、新聞を見ておりますと殺人、詐欺、窃盗等痛ましい事件が毎日毎日報道され、多く私たちの耳を流れていきます。しかし、その中で、犯人が明らかになることにホッとするものをもち、無感動に犯罪にいたるまでの経過報道を興味をもって聞き入るものは何でしょうか。
先日、下の子どもがテレビを見ておりましたら、正義の見方が最後に出てくるまではハラハラして見ていまして、正義の味方が最後に悪者をやっつけるということにホッとして喜んで見ていました。その姿を見まして、私たちは悪人を許さない心をもち、悪人はやられなければ安心できないものがあるのだなあと思わされました。そして、それを見ている私も、どうも悪を許さない善人であるようです。いつも私は善人であるようです。ですから、犯罪者が明らかにされるところにホッとするものを感じるのではないでしょうか。
はたして悪人は私とは違う特別な人でしょうか。
凡夫(ぼんぶ)というは、無明煩悩(むみょうぼんのう)われらがみにみちみちて、欲もおおく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおおく、ひまなくして臨終(りんじゅう)の一念にいたるまでとどまらず、きえず…(真宗聖典545頁)
と聖人は言われています。決して悪人という特別の人はいないのではないでしょうか。縁によるものであって、善人も悪人もともに「凡夫」であるというのが親鸞聖人の教えではないでしょうか。この私も凡夫にほかならない。この凡夫の地平を見失った時「あんなことをして」と他を蔑(さげす)み、差別し、同朋を見失ってしまい、悪人が明らかになるとホッとするのではないでしょうか。
「凡夫」は、すなわち、われらなり。(真宗聖典544頁)
と凡夫という領きに悲しまれる身、救われるべき身という「われら」の世界が開かれ、また「凡夫」という本願の悲しみを感受せしめられるのではないでしょうか。
檉とし子
桑名別院の報恩講の前日、準備のために境内へ入ると、軽やかなデッキブラシの音が耳に入りました。どなたかが境内のトイレを掃除している音でした。
1日目の法要を終え片づけを済ませて庫裏の玄関まで来ますと、年配の婦人の方が明日のお斎(とき)のために食器を分けている姿を見かけました。
2日目も同様、黙々と後片づけをされているなか「一度お茶でも持って行きたいけど」と思案しながら、思い切って「ご苦労様です」とお茶を持って行くと、何かスーッとその方々の輪の中に座ることができました。
皆さんの顔が生き生きとして嬉しそうでした。わずかな間でしたが、話の輪が広がり、多度の人あり、桑名、長島の人あり。大正15年生まれの方は「私はここではまだまだ新米ですよ」とおっしゃいました。
最終日にご講師が「北陸では報恩講の時は、黒の紋付羽織でお参りされている所もありましたよ」とお話されている声が襖越しに聞こえてきました。そのことは、台所を手伝っている女性たちの真新しい白い割烹着がそのことを物語っているように思えました。
この度、別院の報恩講にお参りさせていただき、花方さん、お斎の方、泊まり込みのおばさん、雪かきをしてくださった人、トイレの掃除をしてくださった人、まだまだ私の知らない方々に出遇ったおかげで、親鸞聖人の教えを大切にしている方から「真面目に日暮らしをしなさいよ」と言われている様な気がしました。
報恩講は報恩感謝と言われますが、裏方さんの「今自分にできる仕事はこれだ」と黙々と働いておられる姿に遇い、寺に住んでいる私に、襟を正して仏事に接することを教えていただきました。
岩田信行
坂木恵定先生の『あんまりじゃ』という一文にふれました。
「あんまりじゃ」のその一言。それはこういう状況での一言です。
吹雪のある朝、月参りへの道すがら、向こうから幼稚園に孫を送りに行くおばあさんと行き会って、そのすれ違いざまに、おばあさんが口にした切なげな「一言」それが「あんまりじゃ」「あまりにも酷(ひど)過ぎる・・・」その一言に坂木先生は「ハッ!」とした。見知らぬそのおばあさん。何があって出た言葉か定かでないが、その一言に坂木先生はそのおばあさんのこれまでの生涯を、その一言のうちに聞き取ったというわけです。
「あんまりじゃ」「あまりにも酷過ぎる」その一言のうちに、これまでの人生の在り様が言い切れる。その一言に全人生がある、そういう一言。そして、そのような「行き詰まり」の一言こそが全人生を引受け、全責任を荷う主体を開く契機となることを、すれ違いざまの一瞬、響いた。
自分の「思い」を自分とし、思い通りになることを「幸せ」と思い込み、当てにならんものを当てにして、当てが外れるや「あいつが悪い」「時代が悪い」と周りを責める。思い通りを夢見て空しく終わりつつある人生に嫌気が差しながら、どうかして迷惑かけずにコロッと逝けんものかと、もう一つ夢見て・・・。そこに「あんまりじゃ」と天を仰いで叫ばずにおれんものが噴出すか、否か。
そういう、自分の人生を突き抜ける「一言」が沸いて、生涯かけて問い続ける課題が見つかること。そこに「聞法」の意味と課題があるのでないでしょうか。
「思い」を「自分」として生きる、その「思い」が「あんまりじゃ」の叫びとともに、今日までの人生が「思いの外」だったと破れてさらさらの事実に立ち帰る!そして、次の瞬間、それさえもまた「思い」に取り込んで・・・。生涯、悪戦苦闘と思いきれ、出てくる「問題」と向き合っていける力をいただいていく生活が「あんまりじゃ」から始まる。
坂木恵定先生の『あんまりじゃ』の一文。響きました。
米澤典之
私たちの家族に赤ちゃんが生まれてきてくれました。
赤ちゃんの透き通った眼を見ていると、自分の眼がいかに濁ったものであるかを知らされます。新生児室に並ぶ赤ちゃんたちの命は千差万別、一つとして同じ存在はありません。誕生の瞬間から赤ちゃんは様々に区別されています。男女の区別から体重や血液型、障害の有無などによる区別です。誕生した命が男の子でも女の子でも、保育器に入っていても、障害があろうとも、その命の尊さに変わりはありません。
しかし、どこまでも自己中心的な濁った眼は、それらの厳粛な区別を見比べ分別を始めるのです。それは「我が子」と「他の子」に分けるところから始まります。そして「男の子で良かった」「五体満足で良かった」と分別するのです。女の子でなかったことを理由にしたり、障害がなかったことを理由にして満足しているのであればそれは差別でしょう。それは意識しようが無意識であろうが優劣をつけていることに変わりはありません。言葉に表現しなくても、それは差別の心です。そこに差別の根っこがあるのでしょう。それなのに「差別なんかしていません」というところに生きていたことに気がついた時に、改めて心の濁りの深さが知らされてくるのです。
「差別」という言葉は元々仏教語の「しゃべつ」からきています。元々は、それぞれが異なった独自の姿で存在している状態を表す言葉であったといいます。そこには上下・優劣はありません。それぞれが独自の姿を保ちつつ、生き生きと存在していることを表しているのです。
しかし、私の心の眼は、そもそも異なっているものを比較し、優劣・善悪をつけて見ることしかできない眼です。ありのままをありのままに見ることのできない濁った眼です。
今、仏の教えを聞くということは、私の濁った眼ではなく、仏さまの透き通った眼をいただいていくということでありましょう。
海野真人
先日、山口県にある漁港の町、仙崎に行ってきました。ここは有名な童謡詩人金子みすずが生まれ育った町です。彼女は、熱心な真宗門徒の家に育ったこともあってか、その詩には真宗の教えを感じるものがたくさんあります。それが童謡という誰にでも分かりやすい言葉で語られているので親しみやすく、今では小学校の全教科書に取り上げられており、子どもたちもいくつかの詩を暗唱しているほどです。
サン・テグジュペリは『星の王子様』の中で「大切なものは目に見えない」と言っていますが、まさに彼女の詩は目に見えない大切なものがあることを教えてくれます。有名な『大漁』という詩などはその代表例でしょう。
蓮如上人七百回御遠忌の際のテーマは「バラバラでいっしょ」でしたが『私と小鳥と鈴と』という詩では、このように言っています。
私が両手をひろげても、お空はちっとも飛べないが、飛べる小鳥は私のように、地面を速くは走れない。私がからだをゆすっても、きれいな音は出ないけど、あの鳴る鈴は私のように、たくさんな唄は知らないよ。鈴と、小鳥と、それから私、みんなちがってみんないい。
とても柔らかい言葉で「バラバラでいっしょ」の精神が語られているように感じます。
また、『蓮と鶏』という詩は他力の大きなはたらきを感じさせてくれます。
泥の中から蓮が咲く。それをするのは蓮じゃない。卵の中から鶏が出る。それをするのは鶏じゃない。それに私は気づいた。それも私のせいじゃない。
2003年、仙崎市にみすず記念館が建てられ多くの人が訪れています。私も家族でここを訪れましたが、日常の中ではつい忘れてしまって、目に見えるもの、それもほんの目先のことにとらわれている生活の中で、「見えぬけれどもあるんだよ。見えぬものでもあるんだよ」ということに気づかされる場所でした。みなさんも機会があれば訪れてみてはいかがでしょうか。きっといい出会いがあると思いますよ。
上杉義麿
昨年暮れに開かれました全日本フィギュアスケート選手権で優勝した村主章枝選手が、演技を終えた後「カミサマ」とつぶやいたことが先日の新聞紙上に報じられておりました。私も中継の映像を見ていて確かに村主選手の唇が「カミサマ」と動くのを見ました。また、その後のインタビューでも「優勝できたのはカミサマのおかげ」という言葉が聞かれたとも報じられておりました。私はこのことを聞き、驚きとともに大きな感動を覚えました。
既にオリンピックや世界選手権といった大きな大会で何度も賞を取り、世界で評価をされている一流のスポーツ選手です。そうした賞や評価の裏側に、どれほどの厳しく激しい努力の日々があったことか。我々は想像するしかないわけですが、それは、正しく自力を極める日々であったといえましょう。そのようにして一つの技を極めた、自力のシンボルともいうべきスポーツ選手に対して人目もはばからず「カミサマ」の名を口にする。そこに私は人間の真の姿を見た思いがいたしました。
自分の力、はからいを超えたものをある人は「カミサマ」と表現いたします。私たちはそれを「如来の他力」と申します。「他力」というと、何もかも人任せにし自分では何もしないことだと誤解されることがあります。しかし、他力の教えは自ら努力することを全く否定するものではありません。努力し、自分を鍛えることで何もできると思っていた。そして、ぎりぎりまで努力を積み重ねてきた。しかし、そこに待ち受けていたものは度重なる怪我であり、次々と現れてくるライバルたちであった。これはもう自分の力では何もしえない、何も変えることのできないことです。しかし、確かにそうした状況が目の前にある。その時人間である限り、自分の力に限界があるということに気づかされ、立ちすくんでしまします。しかし、やはり人間である以上、何かをしなければなりません。そういう状況に立たされた時、人は初めて自分の力を超えたものと向き合います。それこそが他力の教えに会うということなのです。その時向き合った如来は、よく気がついた、それでよい、それでこそ人間だ、と私たちを包んでくださり、もう一度歩き出すために後押しをしてくださいます。私たちは今生きていること、そして、後押しされて何かをなすことができるということに感謝し、また明日を生きてゆくことができるのです。
落ち込んで、またそこから自分を奮い立たせて明日を生きてゆく。考えてみればそれは日々「自分」でしていると思い込んでいることです。しかし、ぎりぎりまで追い込まれた時に、またやろう、歩き出そうとできること、これはもう自分ではない、大きな力の後押しなくしてはならないものです。私たちがぎりぎりまで追い込まれるということは、一生の内でそう度々あることではないでしょう。けれども、日々の何気ない営みの中にも、大きな力即ち他力による後押しというものが現れているのです。
今一度、大きな力に包まれて生かされ、動かされている自分、という見方で日々の自分の姿、そして営みを見直してみたい。そんな思いにさせていただいた村主選手の姿でした。
佐々木智教
今年の神社仏閣への初詣が、過去最高の人手を記録したと年頭のニュースで報じられました。ところが、自坊では年始のお参りにみえる同行の方が年々減ってきておりまして、一体どうしたことかと家族でしんみりと話し合ったことでした。
この神社仏閣の繁盛ぶりは、除災招福の考え方からきているのであろうと思います。即ち、健康で長生きして豊かな生活。皆がこぞってお参りするのは、私たちが思い描くそんな幸せへの欲求を満たしてくれそうな場所だからでしょう。しかし、同時にこの底知れない私たちの欲望追求の生活が、現在の様々な問題を生み出すことにつながっているのです。環境を壊し、人間の身と心を壊し、人と人との関係性も破壊するそんな世相の中、言いようのない不安に苛(さいな)まれている私たちなのではないでしょうか。
その不安の中にあって、これでよいのかと感じつつも、とりあえず誰かの責任にしておかなければ落ち着かない、というような風潮が世の中に蔓延している気がしてなりません。
安田理深という方は次のように述べられています。「本願の智慧が〈不安>という形で人間にきているんです。不安が如来なんです」このお言葉が、教えを必要とせず欲を満たそうとするばかりの私の宗教心に響くかどうか。その一点が、不安の上に一瞬たりとも立てない私の課題となってまいります。
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