030仏教を学ぶとは 

伊東恵深

私は現在、お寺の仕事を手伝う傍ら、京都の大谷大学に非常勤講師として勤めております。大学では、お釈迦様や親鸞聖人の教えを学生の皆さんと一緒に学んでおります。

さて、先日次のような出来事がありました。ある一人の学生が、講義を終えた私のもとを訪れて「どうすればこの授業の単位をもらえますか」と質問してきました。その雰囲気からして、どうやら授業の単位を手っ取り早く取る方法を聞きたい様子です。私はその質問に対して「授業をしっかり聞いて、自分なりの考えをもてるようになったら、単位は自然に取れるよ」と答えました。するとその学生は「確かにそうだけど…」と言いながら苦笑いして渋々帰って行きました。

たったこれだけのやりとりでしたが、実はここに「仏教を学ぶとはどういうことか」という大切な事柄が示されているように思います。

確かに現代は、テレビや携帯電話、インターネットなどの普及によって、必要な情報や知識を簡単に手に入れることができます。また、何事においても効率を優先して、成果や実績を早く求めるという風潮も、近年一段と強まっているように感じられます。しかし、仏教の学びというのは、今述べたような世間の価値観とは根本的に異なります。それは何処までも自分を明らかにしていく歩みです。自分自身に素直に向き合う中で、仏教の教えが自らの問題として腑に落ちる。その時初めて、仏教の言葉は自分の在り方を照らし出す真実の言葉として響いてくるのです。仏教の学びに近道はありません。

先ほどの学生の問いは、成果や効率といった「世間のモノサシ」を、ともすれば、自分を明らかにする歩みにまで持ち込もうとする私たちの在りようを端的に表しているのではないでしょうか。