021千の風から仏さんへ 

加藤淳

最近『千の風になって』という歌を知っていますか?という質問を受ける機会が多くあります。その歌は「私のお墓の前で泣かないでください そこに私はいません 眠ってなんかいません」という内容です。皆さんはこの歌を聴かれてどのような感想をもたれたでしょうか。

私たちは老いて、病んで、いつかは死んでしまいます。死んだら火葬をされてお骨になるのでしょう。そのお骨はお墓に入るものだと思っていたところ「私はそこにいません」と歌われていますから、この詩の内容から私たちは死んだらどうなるのかとの疑問が出てきます。この詩は、人間は死んでもまた人間以外の別の存在に生まれ変わるということを歌っているように思います。このことはご先祖に「私たちをお護りください」と手を合わすのと何処か似ているような気がします。「私たちをお護りください」というのは、亡くなってからも残された私たちの生活が幸せであるように、あの世から見護ってくださいという意味です。

しかし、一方では亡き人に向かって、あなたの生前中は一生懸命に頑張ったのだから、あの世へ行ったら「安らかにお眠りください」と手を合わすこともあります。人が亡くなって、お参りをする時にこれらの二つの言葉を思い浮かべることがありますが、正反対の言葉であります。人は死んだらお終いなのか、お墓に入るのか、千の風になって吹き渡るのか、実体があるわけではありませんから実際は何処にいるのかはっきりしません。こういう問題が出るのは、私たちが死んだらどうなるのかという不安からなのでしょう。

お寺で勤まる永代経は、亡きご先祖を縁に勤まりますが、私たちにとってのご先祖は身近な所で、老・病・死を見せてくださった仏様です。私たちは、何処までも亡き人に向かってお参りをしているかのように思いますが、何処までも、亡き人から私たちに向かって何か大きなことを教えていてくださるのが仏となられたご先祖の存在なのであると思います。

死んだらどうなるのかという問いは、実は「私」そのものの在り方を問うているようにも思います。もうすぐお盆を迎えます。ご先祖から何を教えていただいているのか、そのことを考えていくことが真宗における先祖供養だと思います。