030私にとって聞法とは

桑原克

今年の春、手次のお寺の住職交代に際し、本山での住職修習に門徒総代として参加させていただき、真宗門徒として生きる使命の重大さを感じました。

毎月の同朋会で、真宗の教えを聞かせていただいておりますが、ただ真宗に関する知識が増えるだけで生活が開かれない。一体我々の学びとは何か、日々問われておるのが、同朋会運動だと思うのです。同朋会運動とは答えを出す運動ではなく、限りなく限りなく、私ども念仏者の信心を問い、我々の生活それ自体を問い続けてくださるのが、同朋会運動ではないでしょうか。そういうことをお互い一人ひとりが、同朋会運動を自分の生きる生きざまにまで具体化していくという、新しい真宗門徒としての使命をいただく、ご用をいただく、そのご用をいただくということが助かるということではないでしょうか。限りのないご用をどこまでもどこまでも生涯をかけていただくということ、それが恩徳であり、真宗に遇い得た恩徳です。

私たちの聞法が、自分だけの幸せを喜んで感謝している。自分だけの世界の中に閉じこもって、自分だけのことを喜んでいる。そんなところには同朋と呼ばれる世界は開かれません。いま一度、私にとって聞法とは何か、常識を問い返すこと、心理問題にまで深めること、問題を見逃さない、見識をもった生活を行うことです。そして、真宗は感謝の教えではない、感動の教えと聞いています。また仏法は聞きぬけ、聞き破れ。身で聞けとも教えられています。

まことの言葉に出遇うとハッとします。一瞬、真実の言葉に出遇ったから、ハッと響く、一瞬響く、その世界。仏法に出遇わせていただいて、初めて生活が始まる。

毎日、毎日が初事でございます。「なんまんだぶつ なんまんだぶつ」