009彼岸 

花山孝介

「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉がありますように、彼岸の訪れと共に新しい息吹を感じる春を迎えることであります。毎年彼岸が来ますと、日頃慌ただしく忙しさにかまけて忘れている方々への想いが思い出されます。それぞれのご家庭ではお墓参りに行かれて、亡き方々に対しお花やお香を手向けて、日頃ご無沙汰していることを謝りつつ、今後ともよろしくというお気持ちでお参りされていることでしょう。

そのような日本の彼岸の風景を見る中で、私は何時も思い出す言葉があります。それは「身をもって、無常教えたまいし、亡き父と母」という言葉です。私たちにとって死は無言の遺言であり、言葉なき教えであると思います。厳粛なる死は、文字通りその人のいのちをかけての語りかけでしょう。

私たちの人生は、何時終わるか分かりませんが、必ず終わりのある人生であります。死は私たちにとって忌み嫌われることであると考えていますが、本当にそうでしょうか。何時死んでも悔いのない人生を生きていますか、誰にも代わってもらえない貴方を生きていますか、繰り返しのできない人生だから、今を大切に生きていますか。私に先立っていのちを終わって逝かれた方々は、何時も私に「人生の一大事」を問いかけておられるのではないでしょうか。

日頃世事に終われて生きている私、しかも自分の都合でしか手を合わせていない私に対し、「貴方の人生は何処に向かっているのですか」「本当に大事なことを忘れて生きていませんか」と、亡き方々は静かに語りかけてくださっているようであります。