005法義相続-念仏の教えを引き継ぐ- 

山口晃生

お寺さんへ参りますと法義相続のポスターが目につきます。法義とは、お釈迦様や親鸞聖人の教えを我が身にいただくことでしょう。では、相続とは何でしょうか。

一般に相続と言いますと相続税、あるいは遺産相続を連想しますが、仏教では「非連続の連続」と理解します。例えば一本の蝋燭(ろうそく)に火を灯しますと、やがて燃え尽きて無くなりますが、消える前に次の蝋燭、また次の蝋燭と炎を移し続ければ永遠に燃え続けます。同じように私のいのちも太古の昔から代々受け継がれ、今たまたま両親を縁として私の番を生かされているのです。

人として生まれ、生きてきた。そして、今も生きている。それはそれで価値のある素晴らしいことではありますが、それだけでよいのでしょうか?

昨年の秋に本山へ参りました。そして動座式以来使われていない御影堂(ごえいどう)の人気のない広々とした畳の上に、たった一人で座っておりますと、改めてその偉大さを実感します。そして、長い歴史の中でどれだけの人がここに集い、合掌し念仏申したことだろう。教えに出遭ったことだろう。また、この本山を命がけで護持してきたことだろうか。そんな先人の思いに触れる時、この度の御修復を私たち門徒の力で完遂させること、そのための浄財を出させていただける時代(とき)に、こうして生きていることをむしろ喜びたいと思います。そして彼らが「真実の拠(よ)り所」として大切にいただいてきたこの真宗の教えを、今一度真剣に聴聞し「生まれた意義と生きる喜びを見つけよう」というテーマを受け止め、念仏の教えを後世(ごせ)に引き継ぐことこそ法義相続であり、いま生を受けている私たちのすべき最も大切な仕事ではないでしょうか。

やがてお待ち受け体制に入っていきます。これを機縁として御同朋の皆様と共に益々聞法に精進したいと思うことであります。