036生きる目的とは

片山寛隆

慌しい師走が押し迫りました。毎年一年が過ぎるのを早く感じるのは私だけでしょうか。
今年も想像をもしなかったことが次から次へと起こり、その起こったことを問い返す間もなく、次に関心が奪われていくといった時間に追われているのが、我々の日常になっています。

先日も、ある壮年の方が法要の席で「もっとゆとりをもって人生を考え、今を大事にしなければならないことは分かっていても、現実は生活に追われ、それどころではない」と言われました。

日常、生きるということは、厳しく大変な時代であります故に、経済と時間に振り回されていると言っても過言ではありません。一分でも遅れると取り返しのつかないことになったり、また或いは、一分一秒変化する株式市場の報道に一喜一憂するという社会です。

だから、現代を生きるということは、好む好まざるに関わらずそこを生きねばならぬ、故に時間と経済こそが絶対のものであるということがあります。確かに、我々が生きるということの上で、経済は大切であり、最も必要欠くべからざるものの一つでありますが、我々の先人は、このことを「お金は生きる上の大事な手段であって、生きる目的とはならない」と仰っています。

目的とはならないものを目的としてきたと気づかされてはじめて、手段としての経済や時間を見ていく眼をもつことなのではないでしょうか。そのような眼すべてを見て、受け止めてこられたのが、真宗門徒として生きてこられた先人から教えられることであります。