034時間の花

大谷俊子

12月に入りました。子どもの頃は一年がもっと長かったように思ったのですが、大人になってから一年はどんどん短くなっていきます。

最近、ミヒャエル・エンデの童話『モモ』を読み返してみました。時間泥棒から時間を取り返してくれた女の子モモのお話です。

モモは人の話を聞く天才です。モモに話を聞いてもらっていると、生きる勇気が湧いてきたり、自分の存在の大切さに気づいたりするのです。

ある時、人々は大切な時間を盗まれてしまいました。モモはそれを取り返しに出かけます。途中、モモは時間の源を司るマイスターホラに、なぞなぞを出されます。それは時間について尋ねる、とても示唆に富んだ問題です。今この瞬間はあっという間に過去になる、だから今は無いとも言える、でもこの今があるからこそ、未来が過去に変わっていく、そして過去と未来は現在で一つとなる。モモは見事に時間の意味をとらえました。

この謎解きを読みながら、私の中では、私たちお寺が学ぶ「後生」とか「業」とか「いのち」などの言葉が巡りました。続けてマイスターホラは言います。人間には時間を感じ取るために心というものがある。もし、その心が時間を感じ取らなかったなら、その時間は無いも同じなのだよと。そして、ついにモモは時間の源に辿り着きます。そこは美しい殿堂でした。光の振り子に合わせ、美しい花が咲いてはしぼみ、咲いてはしぼみして、辺りはいい香り、不思議なハーモニーの響きに包まれていました。まるでお浄土の光景に似ています。

ところで、私たちは、夢中になったあっという間を、後では長く感じたり、時間の長さをもてあましていると、後ではほんの短い時間にしか感じなかったりします。この逆さまの感覚も、マイスターホラがいうところの心が時間を感じ取ったかどうかだと思います。振り返った時、時間を感じ取るとは、感動を覚えたということでしょう。私の周りのどんな小さなことにも、モモの見つけた時間の花を咲かせたいものです。