030いのちを愛(め)づる

荒木百合子

今、改めて胸に手をやると、確かに響く心臓の鼓動が聞こえてまいります。母の胎内で動き始めてから絶え間なく、しかも正確に、日常生活を送る私を生かせてくれています。

人として生まれた私たちは、このいのちをいただいて今を生き、いったい何処へ行くのでしょうか。でも残念ながらこんな大切な問いかけすら考えもせず、日々当たり前のこととして、雑多でめまぐるしい現在を生きている私がいるのです。

映画の一シーンで、フーテンの寅さんが鳥羽の海を見ながらしみじみ言いました。「人はどうして生きているんだろうねぇ・・・」とても大きな問いです。本当に私もそう思います。人という字は、互いに寄り添い支え合ってできていると、私たちは皆助け合って生きているんだと、自分だけ一人だけでは生きていけない、周囲のありとあらゆるものによって支えられ、今このいのちを生きているのだと、様々なお話の場で、何度も聞かせていただいては、また忘れている私ですが、ある時には、ストーンと胸深く感動すら覚えて入ってくることもあるのです。

先日、新聞の読書欄で、JT生命誌研究館館長である中村圭子さんは、平安期の「『提中納言物語』の「虫めずる姫君」にも、宮崎駿の『風の谷のナウシカ』にも、多少周囲の人々に迷惑をかける性格をもつこの主人公が、虫の本質や菌や植物を栽培して物の本体を探求しようとする姿勢に、「いのちあるものを愛づる者は、愛づる対象にもなるのである」と、興味深い指摘をされていました。また、「人への思いやりと、我が道を行く心意気とが重なり合ってこそ生きる意味があるのだ」とも言っておられます。

私たちは、善いことも悪いことも全部認めた自分を見捨てないで、いのちを愛づるという、尊く、いとおしく、慈しむこころをもって共に生きていきたいと思います。