027父の生き方

出口幸子

病気がもとで肺気腫があった父が肺炎で倒れ、医師から「もうだめです」と言われたのがうそのように二年半が過ぎました。肺気腫を患っていても、周囲の人は全く気がつかないほど元気でしたし、同年代の人と比べて体力も気力もありました。でも、実際にベッドに横たわった父を目の前にすると、別れがせまっていることを感じざるを得ませんでした。」医師は、「機関紙を切開して人工呼吸器をつけたほうが楽になるから、そうしたらどうですか」と勧めました。母は少し迷って、父がどうしたいかを聞いてから決める、と言いました。そして、「呼吸器をつけたら呼吸は楽になるけれど、話はできなくなるそうだよ。どうして欲しい」と聞きました。父は少し天井を見つめていましたが、一言「いらん、このままでええわ」と、母の目を見て答えました。本人がしっかりとした意志を持って答えたのを見て、本人の意志と家族の思いが同じであったことに、なぜか妙に安心感を覚え、私の心の中にも、「そうだ、これが人の生き方だったのだ」と、納得するような何かがあることに気づきました。

思えば、父の年代は戦争をくぐりぬけた年代でもありました。死を否定しながら生を模索し続けた一生の中で、二度も結核にかかり、健康な体、という世間一般の幸せの条件の一つを失いました。「自分と他の人の為に生きられるようになったら人間になるんだ」「いろんな人のおかげでこの世におらしてもらえる。生命のあるうちは、この世での仕事がまだ残っている」と、よく口にしていましたが、かといって、気負っているわけでもなく、ひょうひょうと生きているという表現がぴったりの生き方でした。死に何度か直面せざるを得なかったことが、父の人生にとって、自らの生きる姿勢を問うことになったと思われます。

『大無量寿経』の四十八願の中の第15番目、
たとい我、仏を得んに、国の中の人天、寿命能(よ)く限量(げんりょう)なけん。その本願、修短(しゅたん)自在ならんをば除く。もし 爾(しか)らずんば、正覚取らじ。(真宗聖典17頁)

この言葉は、生きることが生物学的にできるだけ長く生命を維持することができる、ということだけでなく、人間として、本当に生きることを見つめて生きているかどうかを問いかけてくれているように思います。

そして、父の生き方は、私の生き方も問い続けていくでしょう。