026お兄ちゃん、私は実の母親に何もしてあげられなかった

松澤建夫

南無阿弥陀仏

昨年4月、私の妹、素子から電話がありました。嫁ぎ先の母が亡くなって、四十九日の法要が終わった後だと記憶をしています。

義理の母は、高齢で入院生活が6ヵ月に及びました。亡くなるまでの2ヵ月は、嫁の務めとして付き添い看病をしたそうです。

「お母さん、誰だか分かりますか」

「素ちゃんだね、ありがとう」

亡くなる当日も同じ会話の後、眠るように逝かれたそうです。「あれも、これも、してあげればよかった」という悔やみの反面、実は「ホッとしている自分」に気づかされたと言います。

月命日の墓参りで、「ホッとしている嫁、恐ろしい根性をもった嫁」をお詫びしていたら、「素ちゃん、ありがとう」という最後の言葉が甦ったそうです。その時に、ふと「私を生んでくれた母に対して、私は何をしてあげたのか」という「問い」が込み上げてきて、義理の母に合掌をしながら、他界した実の母に、憶いを馳せたと言います。

「お兄ちゃん、私は義理の母に対して尽くしました。でもね、実の母には何もしてあげられなかったのよ。義理の母の墓前で、実の母にお詫びをしてきたのよ」

と、素子の涙声が受話器から流れてきました。生んでくれた母を憶念していたのでしょう。

「素子、良かったね、義理の母が実の母に逢わせてくださったんだね。お礼を申したかな。松澤家はお寺とのご縁が深かった。父母の葬儀、癌で逝った妻の葬儀の時も、兄弟姉妹七人が『仏教讃歌』で送っただろう、きっと、仏さまが素子を憶念してくださっているんだよ」

と、私の念いを伝えました。
広島在住の大石法夫先生が説いてくださった「姥捨山に捨てられる母が、背負って捨てに行く我が子を憶念する、姥捨山のお譬え」が私の胸に甦り、正信偈「憶念弥陀仏本願」をいただきました。

南無阿弥陀仏