028明晰な眼(まなこ)

飯田隆弘

オウム真理教の事件以来、宗教に関わることは怖いことだという風潮となりました。何故そのようことになったのでしょうか。

「信ずる者は救われる」というどこかで聞いたフレーズによって、一つのイメージが作られ信仰の奴隷となり、あの悲惨な事件が引き起こされたのではないかと思います。

仏教は自覚の宗教であると言われます。一体、何を自覚するのでしょうか。親鸞聖人のお言葉に「凡夫というは、無明煩悩われらがみにみちみちて、欲もおおく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおおく、ひまなくして臨終の一念にいたるまで、とどまらず、きえず、たえずと…」(真宗聖典545頁)とありますが、これは、親鸞聖人の「賢」に対する「愚」という自覚であり、教えにより照らし出された偽らざる人間の本質でありましょう。

また、亀井勝一郎氏の本をめくっていて目にとどまった文章に「信ずることによって、救われたというが、そんなことがありうるだろうか。信仰が自己に対する明晰な眼をもたらすものならば、救われる身であるよりも、いかに救われがたい身であるかが、まず自覚されるはずだ」という一文があります。亀井氏の言われる明晰な眼とは、まさに、親鸞聖人の「愚」の自覚の世界を指しているのではないでしょうか。

同じ人間としての親鸞聖人のお言葉に、ホッとして同時にゾッとするのは私だけではないと思います。

生きることが条理的でなく不条理で、合理的でなく不合理でしかない、思い通りにならない現実に出合う中で、他でもない明晰な眼で自己を問う、そこから親鸞聖人の教えに出遇う歩みが始まるのではないでしょうか。