片岡 健
自分のことは自分が一番よく知っている、と私たちは思っています。本当にそうなのでしょうか。
私も年に何回かは、家内が用事で外出した時に、台所の食器を洗うことがあります。そうしてお昼近くになって家内が帰ってくると、私は「儂が茶碗洗(あ)ろといたったでな」と言います。そうすると家内は「へー珍しいこともあるね。雨でも降らなええがな」と言います。何ということを言うのでしょう。本当なら「すみません。ありがとう」と言うべきところでしょう。しかしこれは、家内が非常識な人間だからではないのです。「儂が洗ろといたったでの」「儂が」ということに問題があるのです。私たちは気づかずに「私が」とか「俺が」とか言っていますが、そこに問題があることを知りません。私たちは必ず四つの煩悩とともに生きています。それは、我愛・我慢・我見・我痴です。
我愛とは、どこまでも私がかわいいということです。我慢は「我慢する」ということではなく自慢することです。我見と言うのは我執のことです。我というものを勝手に思い画いて、そういう我が本当にあるのだと思い極めているのを我執・我見といいます。我痴というのは、そういうことが分からないということ。自分のことが分かっていないことをいいます。自分が思っている自分など本当はありはしないのに、勝手にそれを自分だと思い極めて、そして自分をどこまでも立てているのが私というものなのでしょう。その私が「儂が洗ろといたったでな」というのですから、家内もそれに気がつくわけです。「儂が」と言わないで「茶碗洗ろといたでな」と言えば家内はきっと「ありがとう。ごめんね」と言うはずです。でも「儂が」という言葉は文法上の主語ですから、使わないわけにはいきません。我執を離れた「儂」つまり「我」を回復したいものです。
森 英雄
ある人が「やっぱり善いことはするもんやねー」と言われるので、何のことかなと思って聞いてみると、最近お札配りを始めたその人が、道を歩いていたら近くのスーパーの千円の商品券を拾ったというのです。やっぱり善いことをすればちゃんと神様が見ていてくださって、私に褒美をくださったと思って、今もその商品券をたたんで、大事に財布に入れて持っているとのことでした。善因善果ということでしょうか。私にもこの心はありますからよく分かります。ある意味では、神様が実在することを人間が証明したともいえるでしょう。
しかし、このこと全体はどういう意味を持つのでしょうか。仏教では縁起という道理を大切にします。ここでは商品券を拾ったという事実が縁となります。その縁によって出てきた心が、私たちがどんな心で生きているかを証明してくださいます。そのことによって、わが身は罪深く、タダではなかなか動かない存在であることに気がつかされます。善いことが起こると喜ぶ、その心は都合を離れては生きていない存在であることを教えてくれています。だからこそ、善いことが起こっても悪いことが起こっても、すべてが私自身の問題を教えるための尊い出来事であることが分かってきます。そうなって初めて、この世はいい目をするために生まれてきたのではなく、自分を知らせてくださる仏さまに出会うためだといただけてまいります。自分自身の罪悪感とそれを知らせたもう仏さまのご苦労が感じられて、日常の何気ない出来事が大切な意味をもって感じられてまいります。そういう意味では毎日の出来事は、私が仏を証明するのではなく、仏さまの方が私自身を罪悪深重であり、煩悩の塊であることを日夜証明してくださっているとはいえないでしょうか。
尾畑潤子
「畑を耕して野菜を育てて、それをいただく。何の不足もないなぁ」と、採れたばかりの野菜を抱えて、お寺に足を運んでくださった秋夫さん。畑に座り込むことの多くなった日々にあっても「何の不足もない」と言い切って、この冬にいのちを終えられました。その秋夫さんが、戦争について語ってくださったことを、今アメリカ、イギリスによるイラク攻撃のただ中にあって、あらためて思い起されます。
今から8年前、戦後50年を迎えた年に、お寺の本堂で「元日本軍慰安婦」の女性たちの写真展を催したことがあります。写真の女性たちは、日本軍によってもたらされた苦しみを自らの内に閉ざして、戦後の日々を生きてきました。韓国、台湾、中国など、多くの国の女性たちの告発、証言によって、私たちの日々の暮らしが、闇の覆い隠された歴史のうえにあったことを教えられました。
兵士として戦争を経験した秋夫さんは、だれもいなくなった本堂で、一人じっと写真に見入っていました。そして、「すまんことをしてきたと思う。戦争はあかん、どちらにとってもむごいこと。二度とこんな愚かなことをしてはならんな」と、彼女たちの苦しみを自らの悲しみとするように話してくださいました。私はその言葉を聞きながら、彼女たちのいのちの尊厳を奪い続けてきた戦争は、同時に加害の側も人間であることを見失っていく悲しみの中にあったのだと思いました。秋夫さんはその悲しみを通して、いまを生きる私たちに「戦争は愚かなこと」その根拠を「どちらにとってもむごい」という言葉で教えています。
もちろん、それは戦争の問題に限ったことではありません。日々の生活にあって、人と人との関わりを見失って、差別したり、傷つけたりする、私の現実を「愚かなこと」と問う一点でもありました。
いま戦争のただ中にあって、秋夫さんが身をもって教えてくださった「戦争のすべてを悲しみとする眼(まなこ)」そのことを身にすえて、非力であっても非戦を願う人たちの歩みに、私もまた連なっていきたいと思います。
川口 昭
世の中、情報があふれて、その日のうちに世界に起こったことが伝わってくるようになりました。そのため多くのいろいろな情報が入り乱れて、心が安まることがないこの頃ですが、ここで「ありがたさ」ということを考えてみたいと思います。
私たちを取り巻くところの”物の存在”が、すべて当たり前であると思ってはいないでしょうか。そこには物のありがたさということが感じられません。それが感じられるようになるのは、大体において、その物が無くなって初めて、その物の存在のありがたさが分かるということがあるようです。水や空気や太陽のありがたさ、また大地のありがたさ、何一つとっても大切な物であり、私たちが生きていく上になくてはならないものです。
例えば大地があって、そこに山があり川が流れ、家が立ち人が住むというようなことが、不思議に思う人はあまりないと思いますが、よく考えてみますと大地は重いものでも軽いものでも、またどのような人間でも好き嫌いで乗せないということはありません。すべてのものを黙って、不平も言わず乗せているのです。それに引きかえ私たちの心はどうでしょうか。善いこと悪いこと、美しいとか醜いとか、大きいとか小さいとか、頭が良いとか悪いとか、金とか地位とかいろいろ分けているのではないでしょうか。しかもそれは、自分に都合の良いものは善、反対を悪として分けているのです。都合の悪いことはやりたくない。自分の権利は最大限に主張するけれども、自分に課せられる義務は最小限に食い止めたい。楽な楽な方へ、得な得な方へ進んでいくのが私の心です。当たり前と思う心には何の感動も感激もありませんが、その物のありがたさを知ることにより初めて「おかげさま」と受け止めていけるのではないでしょうか。
海野真人
住職になってから今まで門徒さんからいろいろな質問をいただきました。その中で一番多かったのは、「正信偈には一体何が書いてあるの?」といものでした。正信偈は私たちにとって最も身近なお勤めで、日頃目に触れているだけに、「意味がわからないことが残念だ」と言われます。
法事の後、十数分で簡単にお話しすると「初めて聞いた」と喜ばれる方が多いので、このダイヤル法話を聞かれる方はよくご存知のことかと思いますが、正信偈のことをお話します。とても短いのであらすじを少しだけということになりますが・・・。
赤本をお持ちの方は、いっしょに見てください。3頁から正信偈は始まります。最初の1行「帰命無量寿如来 南無不可思議光」は、阿弥陀仏の限りないはたらきを寿と光という二つの方向から言い表したもので、その阿弥陀仏に深く深く帰依していくという強い志を表明したものです。
では、その阿弥陀仏とは一体どういう仏なのか?そのことをとてもコンパクトにまとめたのが3頁「法蔵菩薩因位時」から13頁「難中之難無過斯」までです。
続いて14頁からは、1行目・2行目にあるように印度、中国(中夏)日本(日域)の合わせて7人の高僧たちが述べられたことがまとめてあります。七高僧のお名前だけを紹介しますと、1人目は「龍樹大士出於世」(15頁)の龍樹、2人目は「天親菩薩造論説」(18頁)の天親、このお二人は印度の方、そして3人目「本師曇鸞梁天子」(21頁)の曇鸞、4人目は「道綽決聖道難證」(24頁)の道綽、5人目は「善導独明仏正意」(26頁)の善導、このお三方は中国の方、そして6人目が「源信広開一代教」(28頁)の源信、最後7人目が「本師源空明仏教」(30頁)の源空(法然)です。このお二人は日本人です。ちなみに親鸞という名は、天親・曇鸞の下の二文字を頂いたものです。(下の一文字でよかったです。上の一文字だと「天曇〈てんどん〉」になるところでした)この七人の高僧の説が述べられた後、「唯可信斯高僧説」(ただこの高僧の説を信ずべし)と結ばれています。
したがって、誤解を恐れず簡単に言ってしまうと、「阿弥陀仏に深く帰依します。その阿弥陀仏とはこういった存在なのです。そして、南無阿弥陀仏を伝えてくださった七高僧たちはそれぞれこんなことをおっしゃった。そして、最後にみんなでこの高僧の説を信じましょうね!」というのが正信偈のあらすじです。今度お勤めする時、ちょっと気に掛けてみてください。正信偈をたずねていくきっかけになれば幸いです。
加藤 淳
「腹たたば、鏡を出して顔を見よ、鬼の姿が徒(ただ)で見られる」
4年前にご門徒さんと一緒に吉崎別院に参詣させていただいた時、この句のコピーをお土産としていただいてきました。この句を聞かれたご門徒さんは、「家に帰ったら嫁さんに見せてやろう」という感想を言われていた方もありました。それは家の嫁さんは鬼のように恐ろしいということを言いたかったのかもしれません。
しかし、この句は誰に言っているのかといえば、この句を聞いた本人に向けられているのではないでしょうか。実際のところ、自分は鬼であるとはなかなか思えないものです。
仏教は内観道ともいわれます。親鸞聖人は、
「凡夫」は、すなわち、われらなり。(中略)凡夫というは、無明煩悩(むみょうぼんのう)われらがみにみちみちて、欲もおおく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおおく、ひまなくして 臨終(りんじゅう)の一念にいたるまでとどまらず、きえず、たえずと(真宗聖典544頁『一念多念文意』)
という言葉で、私たち人間の姿を言い当てています。
仏教は自らの欲望を満足させるためにあるのではありません。私たちの目や耳は外に向いていますから、人のことはよく分かります。しかし、自分のこととなるとどうでしょうか。
お参りすると何かいいことがあるだろうか、お金が儲かるのか、病気が治るのかといった自己中心的な根性でお参りしているのではないでしょうか。お念仏していくことは、「大切なことを確かに引き継ぎ伝えていく」あるいは「ありとあらゆる人々と共に歩んでいきたい」という阿弥陀さまからの願いを聞いていくことです。
そこで、私は凡夫だと自覚せしめられた時に、初めて腹も立て、愚痴をこぼしながらもいろんな方々とつながりをもちながら生きてゆける生活が始まるのではないでしょうか。
仏教は本当の私の正体を明らかにしていただく鏡です。
梅田良惠
今受験生にとっては、最後の正念場を迎えている時期です。ある受験生のいる家にお参りに行った時のことです。大学受験を控えた女の子は試験を受ける前に、受験票をお内仏に供え、阿弥陀さまに掌を合わせたそうです。
その受験生は、なぜそんなことをしたのでしょうか。もちろん大学に合格したかったからです。でも、阿弥陀さまにお願いすれば合格できると思っていたのでしょうか。実際、その子はよく勉強もしていました。ある程度受かるという気持ちもあったようです。しかし、それでも多少の不安があったのでしょう。
後日、その子は合格通知を手にしました。なぜ、合格できたのでしょう。阿弥陀さまにお願いしたおかげでしょうか。もし、不合格だったら、阿弥陀さまの力が足りなかったということでしょうか。「自力」と「他力」という言葉があります。自力は自分の力、他力は如来の本願力ということです。私たちは困難に直面し、また自分ではどうしようもない時、自分の願いをかなえてくれる他からの力を「他力」と捉えることがあります。
真宗は如来の本願力の教えであって、他力によって私たちの願いが何でもかなうということではありません。他力を信じれば、希望する学校に合格できるということではないのです。合格であろうが不合格であろうが、一旦預けた命を他力によって生かさせていただくということです。合格したのも事実、不合格だったのも事実。その全ての事実を都合の善し悪しで決めつけている自己中心的なあり方に気づかされることが、他力を憑(たの)めたということでしょう。
困ったとき、思わず掌を合わせるということがあります。でも、そのときに今一度考えてみてください。欲望をかなえるために掌を合わせているのか、結果がどうあろうとお任せして掌を合わせているのかと。
和田 惠
仏法は、事実を事実として正しく見つめ、受け止めることから出発しますが、最愛の家族の死ほど、受け止めがたい事実は他にないのではないかと思います。必死で悲しみをこらえておられるご家族の方にお会いすると、どんな言葉も慰めにならず、かける言葉を失います。
親鸞聖人も「かなしみにかなしみをそうるようには、ゆめゆめとぶらうべからず」と言われたと『口伝鈔』(真宗聖典672頁)に述べられていますが、本当に人情の機微にあふれたお言葉であると思います。
お葬式のことを「おとむらい」ともいいますがそれは訪問の「訪」という字を書いて「とぶらう」とよんだことから変化した言葉だそうです。その言葉どおりに、村の人が亡くなると、みんながその家を訪れ、悲しみを共にしながら「我もまた死すべき身を生きている」ことを実感し、己の生き方を見つめたものであります。このように、葬式は悲しいことでありますが、決して「忌みごと」ではなく、亡き人を偲び、わが命のあり方を真剣に考えるべき法要であります。
先日、ある女性が「主人が亡くなって、ようやく四十九日の法要も済ませましたが、いまだに悲しみが薄れず、何も手につきませんが」と言われたのに対し講師の方がこんなふうに心を込めて言われました。
「貴女が悲しみのあまり何も手につかないということも、一つの事実だと思います。どうぞ思いっきりご主人のことを思ってあげてください。でも、亡くなったご主人もまた貴女のことを思い、願いをかけておられると思いますよ。かけがえのないご主人の死は『貴女がこれから生きていくことに対してどういう意味があるのか』という問いかけを残してくださったことだと思いますよ。どうぞそのこともお考えください」
私は講師のこのお言葉を聞きながら、ご本山の参拝接待所に掲げられている「亡き人を案ずる私が、亡き人から案ぜられている」という言葉を思い起しておりました。
岩田信行
昨年の暮れ、中堅機械メーカーに勤めるKさん(51歳)の話です。(朝日新聞土曜版〈2003・1・11〉」コラム「複職時代」)
Kさんが会社を代表して、取引先大手商社の元部長の葬儀に参列しました。お供えや献花も少なく、焼香も十分そこそこで列が途絶えて、寂しい葬式だったそうです。Kさんは、亡くなった元部長がまだ現役だった頃、そのお父さんの葬儀を思い出して、気分がいっそう沈んだといいます。その時は、大手商社現役部長の実父の葬儀ということで関連企業の花輪もずらりと並んで、それは盛大な葬儀だったからです。Kさんは、定年まで十年を切っていた自分自身に思いが向かいます。「オレの葬儀には何人来てくれるのだろう」と、ふと、そんなことが思われたといいます。
次の休日、古い年賀状を整理し始めたKさんは、再びそんな思いにとらわれました。500通以上の年賀状を前に、このうち仕事抜きで定年退職後でも、自分の葬儀に来てくれそうな人は何人いるだろう。来てくれそうな人の年賀状に付箋をつけてみたそうです。結果的には結構な枚数になりました。なぜなら迷った時、どうしても貼りたくなった結果で、もう一度見直すと、途端に枚数は減ってしまいました。Kさんはふと思います。「年末の忘年会も、趣味のゴルフもみんな仕事がらみ。本当の友達なんて、一人もいないのかも・・・」と。馬鹿なことをやっていると、我に返ったものの結局その日Kさんは一枚の年賀状も書けずに終わったといいます。
いろいろやっかいな人生ですが、喜怒哀楽、悲喜こもごも、辛いことも多いですが、結構にぎやかな「日常」です。しかし誰しもそんな中、ふと我に返る瞬間があります。そんな時感じる、何ともいえぬ底なしの「孤独感」「空しさ」。それを善導大師は「無人空迥(むにんくぎょう)の沢(さわ)」とたとえています。そして、大勢の中にあってなぜ孤独なのか?その理由を善導は「いつも悪友にしたがって、真の善知識に値おうとしないからだ」と断言しています。
悪友とはだれなのか?改めて、「二河白道(にがびゃくどう)のたとえ」(真宗聖典219頁)を紐解きました。
石川佳代子
人間は誰でも死ぬということは知っていても、死とはいつか向こうからやって来る「現象」だと思っていました。
ちょうど十年前のことです。身体の不調が続き、病院を訪れた私は医師から癌の宣告を受けました。三人目の子どもを出産して一年余り、当時34歳でした。突然つきつけられた身の事実に戦慄し、慟哭しました。「一年生存」「五年生存」そんな言葉で切り取られていく人生。私は命のパーセンテージだけを数え、自分の命を惜しみながらも、生きることに絶望していました。真っ暗な心で覗いた外の世界は眩しいほどに輝き、自分だけが取り残されているようでした。しかし、同時に美しいその場所は紛れもないそれまでの私の日常であり、また、不平不満を募らせていた場所でもありました。
人は平凡な日常を幸福であるとも感じずに安住し、いつも他人の不幸を客観視し、心の深い所でそれが他人であったことに胸をなでおろしているのです。けれども人生には、どんなに受け入れ難くても、受け入れなければならない悲しみも、いくらあがこうと自分の力の及ばない瞬間を感じることが必ずあるのです。
わがはからわざるを、自然(じねん)と申すなり。これすなわち他力にてまします。(真宗聖典638頁 『歎異抄』第16章)
私がそのただ中で聞いたのは、『歎異抄』のこの言葉です。しかし実際、その言葉の意味が響いてきたのは、大切な身体の一部を失い、その傷の生々しさが幾分消えてからのことでした。
私は個体的生命に執着するあまり、いのちの尊厳さを見失い、命を私していたことに気がつきました。本来の命とは、たとえその輪郭を失っても溢れ出し、きっと受け継がれていくべきものなのでしょう。私たちは、過去・現在・未来という時空を越えて、無限の願海の中に、生死を超えて「生かされている行者」であるということを初めて気づかせていただいたのでした。
真宗大谷派(東本願寺)三重教区・桑名別院本統寺の公式ホームページです。