003ペットの死

山田初美

平成15年は我が国の犬と猫の飼育数が15歳未満の子どもの人口を初めて上回った年です。現在ではその差がさらに広がっているでしょう。飼い方も変わってきて、昔はペットを飼うのは家の外が普通でしたが、今は自宅の中で飼っている方が多く、寝る時も同じベッドという飼い主さんもいらっしゃいます。ペットを飼っているほとんどの方にとって「ペットは家族の一員」であり「我が子同然」の存在なのです。

先日、友人宅の13歳の犬が亡くなりました。長年可愛がっていた犬をお花や好きだったオヤツやオモチャと一緒に段ボールに入れ、泣きながら公共の焼却場に持ち込んだところ、ゴミ扱いされたというのです。「家族同然の犬が廃棄物」とは、ショックを受けた彼女は、ペット火葬から供養までしてくれる業者に頼みました。そこでは、お葬式に加え、年忌法要まで行ってくれるというのです。お葬式をして骨を拾い、ペット仏壇も買って手を合わせているそうですが、何もやる気が起こらない。ペットロスにかかり毎日泣いてばかりいるそうです。彼女は亡くなった犬に命の尊さを教えてもらったのでしょう。

「生きているものはみな同じいのち」とお釈迦様は教えてくださいます。人は、自分だけが得をしたい、人よりも良い暮らしをしたいなど、数えきれないほどの欲を抱えて生きています。犬にはそんな欲はありません。純粋でピュアな心をもっています。人間は煩悩に悩まされているからこそ念仏が必要なのだと思います。

さて、我が家の3匹の犬が亡くなったら自分はどうするだろうか?命の尊さを教えてくれた犬たちに手を合わせ「南無阿弥陀仏」と称えると思います。

002理解する≠実感できる

岡田寛樹

2008年にノーベル物理学賞を受賞された京都産業大学の益川敏英教授は、あるテレビ番組の中で「物理の実験において証明されたことは、事実として受け止めなければならない。つまり、現実で起きている事柄は事実である以上、好き嫌いではなくて信じなければならない。たとえ、嫌いであっても認めなければならない。納得しなければならない」と話されていました。このことは私たちが普段目にする光景でも、同じようなことが起きているのではと思います。

ついこの前まで元気だった人が病に臥していく、亡くなっていく、若くて元気だった人なのに、随分と老けてしまわれた。そのような人たちをたくさん見てきているはずの「わたし」なのに、どこか「他人事」として見ている自分がいます。人が老けていくのを、亡くなっていくのを見て「そのうち、いつかは、自分も」と思ってしまう自分がいます。たとえ、突然に亡くなられた方の存在を知っていても「自分はまだ大丈夫」とか「まだ関係ない」と思ってしまいます。「自分も」という言葉の前に「そのうち、いつかは」という言葉が付き、先送りにしている自分がいます。

たくさんの人が「わたし」の前で、生きていくことや老いていくこと、そして、命を終えておくことを、予め「わたし」に見せてくれています。けれども「まだ他人事」として見過ごしてばかりもいられない自分に「わたし」は本当に気づいているのでしょうか。知ってはいるものの、理解はしているものの、どれだけ「わたし」のこととして実感しているのでしょうか。

「他人事」として捉えずに「わたしのこと」として捉えないといけない。これは自分の心に留める現実なのだと思います。確かにそういったことを思い始めると、この世を去る時の未練や恐怖感が出てきます。でも、それらのことを受け入れることができるようになった時、未練や恐怖感は無くなり、生きていることの素晴らしさを心の底から実感できるのかもしれません。

001人間回復

橘秀憲

謹んで新春のお慶びを申し上げます。昨年は、変動の年でありましたが、みなさまにとってはどのような年でしたでしょうか?

昨年12月、「ハンセン病問題を共に考える集会」に参加させていただきました。ハンセン病については、1996年「らい予防法」が廃止されましたが、法の廃止だけでは「何も変わらなかった」と回復者の方々に言わしめた私たちがいました。差別や偏見が根強いのは、それだけ間違った政策や社会の強制が、長い間、徹底していたということの現れでもあろうと思います。

一昨年2008年6月、「ハンセン病問題の解決の促進に関する法律」、通称「ハンセン病問題基本法」が成立し、昨年2009年4月に施行されました。その歩みの中で、療養所のない三重県においても、この問題の解決に向けて、取り組みや課題を広げようという意味で立ち上がったのが、上記の「ハンセン病問題を共に考える会・みえ」です。私自身も今後の歩みに賛同していきたいと思います。また、輪が広がり、共に解放される日が一日も早く訪れるように共に歩んでいきたいと存じます。

岡山県にある長島愛生園の入所者であり、真宗大谷派の僧侶であった故藤井善さん(本名・伊藤教勝氏)の「人間回復のためには、隔離された人間も隔離した人間も、共に解放されなくては本当の解放ではない」という言葉を改めて受け止めさせていただきました。

一月一日の修正会でお勤めの後に拝読いたします蓮如上人の『御文』の一帖目一通には阿弥陀如来の世界に生きる大切な仲間として御同朋、共に南無阿弥陀仏の人生を歩む友としての御同行ということが、親鸞聖人のお言葉をあげてお示しくださっています。(真宗聖典 760頁)

「何も変わっていない」と彼らに言わしめてきたこの社会の中で、今立ち上がりチェンジしなければ(変わらなければ)ならないのはこの私であったと改めて考えさせられます。
御遠忌法要に向けて残すところ1年3ヶ月足らずになりました。「共に、大地に立たん」の教区スローガンを確認し、歩んで行く。そのような機会にしていきたいと思います。

037あとがき

いよいよ来年には親鸞聖人七百五十回御遠忌法要を迎えます。御遠忌への基本理念として、「宗祖としての親鸞聖人に遇う」が掲げられています。「何を拠り所として生きることが本当に人として生きることなのか」ということを、私たちに先立って明らかにされた方が、「宗祖としての親鸞聖人」であります。

インターネットの普及により、いろいろな情報が瞬時に、いつでもどこでも手に入るようになりました。各宗派や全国各地の教務所、別院の様子まで見られるようになりました。そこではいろいろな親鸞聖人が語られています。

ここにお届けするテレホン法話集『心をひらく』31集も、三重教区内の住職・坊守・ご門徒・有縁の方々に、3分という短い時間内ではありますが、受け止めていただいている真宗や親鸞聖人を自らの言葉で語っていただいた記録です。

けれども、本当に私たちは「親鸞聖人は宗祖である」と言えているのでしょうか。どこかで自分に都合のいい親鸞聖人を作り上げてはいないでしょうか。

私にとって人生最後の御遠忌になるかもしれない七百五十回忌において、私は親鸞聖人から何を受け取り、何を遺していくことができるのでしょうか。

発行が遅れ、皆様方には大変ご迷惑をおかけしましたことをお詫び申し上げます。

036南無阿弥陀仏に遇う

折戸芳章

難題のない人生は 無難な人生

難題のある人生は 有難い人生

この言葉は、幼少時の病気がもとで聴覚に障害をもっているにもかかわらず、接客業という仕事で、筆談で会話をしながら業界№1になったある女性の言葉です。ある日、一人のお客さんが「障害をもちながらこの世界で生きてゆくって大変だし、今まで多くの難題があったでしょう」と質問したことに対して、彼女が筆談でメモ用紙に書いた言葉です。
さて、今年も数日で新しい年を迎える時期がやってきました。今年こそは自分のこと、家族のこと、社会のこと等の無事を願いつつ新年を迎えたはずなのに、大なり小なり難題のある一年間でした。

『蓮如上人(れんにょしょうにん)御一代(ごいちだい)聞書(ききがき)』の第300箇条(真宗聖典912頁)には、「南無阿弥陀仏の教えをいただく者は、どんな悲しいことに出会っても、どんな都合の悪い境遇にあっても、それは素晴しい阿弥陀如来の眼(まなこ)をいただく大事なご縁であることを忘れないように。常に阿弥陀如来の明るい眼の働きを喜ぶ人になりたいものである」と教えてくださっています。

彼女は聴覚障害という難題と真剣に向かい合っていくことが、南無阿弥陀仏に出遇う大切なご縁なのだと真に感じ、難題の無い無難な日常を送ることよりも、今生かされている自分の身の事実がどれだけ有難いことなのかということを本当に実感されているのだと思います。

誰しも毎日の日常生活が難なく無事に過ごせるようにと願って生活しています。しかし、現状は思い通りにはならず、右往左往、不平不満の毎日です。そんな日々の暮らしだからこそ有難く、南無阿弥陀仏に出遇う大事なご縁である、との教えに頷かずにはおれません。

035お爺ちゃんのベッド、私がもらう

山口晃生

近年、人生の最期を病院のベッドの上で迎える人が増えてまいりました。母も20年前病院で亡くなり、10歳年上の父が残されましたが、仕事人間の父はすべて母任せ、下着の場所も分からない人でしたので、その落胆たるや気の毒な程で、あまりにも気落ちしたのか3年ぐらい経った時、認知症になり、しかも癌を併発、家族介護が必要になりました。夜中に動き回るのか、汚い話ですが、朝起きると、布団はもちろん、部屋中、大小便で汚れており、その始末が一日の始まりになりました。看病で本業もままならず、妻と言い争いになることも多々あり、愚痴と喧嘩の絶えない日々が半年ほど続きましたが、やがて父は入院しました。

付き添っている私を自分の息子とも知らずに、生まれ育った家の大きなアオギリの前で遊んだ昔のこと、正月や法要で親戚が揃うと決まってそこで記念写真を撮ったことなどを懐かしそうに話す父。黙って頷きながら聞いていますと、満足そうに微笑みますので、ああ、あの厳しかった父はどこへ行ってしまったのかと、逆に悲しくなることもありました。

治る見込みのない入院に、「ここで死を迎えるのではなく、たとえ寿命は縮まっても、家の畳の上で死なせてやりたい」と先生に相談し、家庭介護の許可をいただきました。冬でしたので、日当たりのいい部屋にベッドを入れ看病することになったのですが、病院と違い、食事から下の世話、身体の洗浄等の全てを家族でしなければなりません。しかし、以前と違い、苦労を苦労と感じず、愚痴も出ませんでした。やって当たり前と、昼夜を問わず看病していると、仕事から帰った息子と当時高校生の娘も自然に手伝い、まさに家族総出の看病になりました。しかし、薬石功無く木が枯れるように父はお浄土へ還っていきましたが、悲しさは無く、むしろ最期まで精一杯看病できたこと、付き添えたことの満足感で一杯でした。

葬儀も済み、さて遺品をどうするかとなった時、そんな死んだ人の物は捨ててしまえばとの多くの意見の中、娘が「お爺ちゃんのベッドもらう」と名乗りを挙げました。そこに死とは不浄なもの、穢れたものとの意識は無く、家族みんなで癌と戦った父の看病を心置きなくできた結果だと、身近な人の死を通して学ばせていただきました。南無阿弥陀仏。

034御遠忌から得たこと

三好龍温

今年5月、蓮如上人五百回御遠忌を勤めさせていただきました。五年計画で境内の整備・本堂の洗い・仏具の洗濯等を同行のみなさまの協力によって立派にすることができました。不況の世の中、ご寄付を募ったところ、快く応じていただける方や、中には縁を切られる方、名を伏せてなら良いと言っていただける方等、いろんな出会いをしました。

ふと私に帰ると、「もらうものは多い方が良いし、出す方は少ない方が良いのは、自分のことや」と気づかされました。

仏具のお磨きをしてもらいましてピカピカになりましたが、御遠忌が終わってすぐに曇ってしまいました。周りが綺麗ですので、曇った仏具が余計目立ちます。「磨き方が悪かったんと違うか」とか、「薬品が悪かったんと違うか」とか言う人がいまして、今年の年番の人が自分のことを言われているように思われ、残っていた薬品を店で替えてもらい、ご夫婦と友人の三人で三日かけて再度お磨きをしてもらいましたら、元よりもずっと綺麗になりました。それよりも年番の方の目が輝いて見えました。満足そうでした。

仏具の洗濯では、ご本尊の頭の後ろの丸い物が鏡だと知り、形でもって教えを表してもらっていることに改めて驚きました。

けちな私、人と比べる私、満足を求めている私。御遠忌を通して、いろんなことを得ることができました。しかし、また元に戻る自分があることにも気づかされました。

033たった一つの生命だから

小園至

今年も1ヶ月たらずで終わろうとしています。この1年を振り返るといろんな出来事がありました。毎日のようにどこかで殺人事件があり、また若者の自殺が増えています。

私の身近な所の出来事ですが、今年7月のちょうど高校野球が盛り上げっている時期の夜、あるご門徒さんから「うちの息子が亡くなった」と連絡があり、「どうしたのですか」と尋ねると、親戚の方からこのように説明がありました。

たまたまこの日、息子さんが夜勤のため、昼、子どもたちと母校の野球チームの試合をテレビで見ながら楽しんでいたそうです。そして、奥さんが「夕食の時間やでー、おじいさん、父ちゃん呼んできて」と言われて、息子さんに食事の時間を知らせに表に出た時、倉庫にいつも灯が点いていないのに、何で灯が見えるのかと、倉庫に行ってみると、息子さんが倒れていた。びっくりしてすぐ病院に搬送したけれども、既に亡くなっていたそうです。

私はびっくりしました。あの元気な息子さんが…と。寺の研修会にも参加してくれて、素晴しい青年でした。「私は、何で?何か自死するような悩み事があったのですか」と尋ねました。祖父母、奥さんも、「全くそのような気配がなく、心当たりはない」とのことでした。

この訃報を聞いた時、祖父母、若い奥さん、そして子どもたちのことが気になりました。自死した本人も辛いでしょうが、残された家族がどれほど辛いか。先達からこの「たった一つの生命」をいただいた、その重みと生まれた意義と生命の尊さに目覚めなければなりません。この家族は、これからどんなにか長い悲しみと苦しみの道を生きていかなければならないでしょう。

できるだけ楽しい、上手い目に遇いたい、幸せな人生を送りたいというのは、大方の人間の願いです。しかし、思いがけない不幸や、悲しみ、苦しみに出遇う時、「生きるということの難しさ」に直面します。それは人間が問われるべき、かけがえのない契機であります。

苦しんでいる人と出遇った時に、我々は「よき人・よき友」にならなければなりません。そして、共に苦しみを乗り越えて、「生きていて良かったなぁ」と言える人生を送りたいものです。

032老いを輝かせてくださる教え

水谷葵

今年は、老人会入会のお誘いを受け、改めて高齢に至ったことを自覚させられました。さらに、人権の仕事で中学生の人権作文に触れる機会があり、いときわ「老」を考えさせられました。「最後まで輝いて」という作文の一部をご紹介します。

仏壇に向かい静かに目を閉じると、優しく穏やかに微笑む曾祖父母の笑顔が浮ぶ。曾祖母は、10年前にパーキンソン病を発病。身体の機能は急速に衰え、食事も排泄も自分の力ではできなくなった。4年後には、曾祖父が庭の雪かきで背骨を潰し歩くのがやっとの状況になってしまい、認知症も悪化していった。家族で二人を介護する壮絶な闘いが始まった。

12月の寒い朝、起きてくると母と祖母が悲壮な顔で掃除をしていた。家中が汚物のすさまじい臭いでむせ返るようだった。夜中に曾祖父が排泄に失敗し、自分で何とかしようとパニックになったらしい。曾祖父は昔から頑固で人の言うことを聞こうとしない人だった。曽祖母はおなかの調子が悪く、おむつからあふれる汚物で、下着から布団まで全て汚してしまう毎日であった。曾祖父が曽祖母の枕もとで呟いた。

「お前はもう死にゃないかん。皆がたいへんだで、生きてちゃいかん。おらも死なにゃいかんと思っとるがなかなか死ねん」

こんな作文を読んで、自分の暗い「老い」の始まりを重く感じていました。ふと同朋会館からいただいた日めくりの「老いや病や死が、人生を輝かせてくださる」という言葉が目に止まりました。

お先真っ暗な人生の出来事が私を輝きの中に導いてくださる。それが浄土真宗の教えであると教えられていたのです。「如来の本願が南無阿弥陀仏となって私を救わんと誓いをかけ続けてくださる」と常々聞かせていただいている教えに納得していない自分がありました。

『歎異抄』9章に
死なんずるやらんとこころぼそくおぼゆることも、煩悩(ぼんのう)の所為(しょい)なり。久遠劫(くおんごう)よりいままで流転(るてん)せる苦悩の旧里(きゅうり)はすてがたく、いまだうまれざる安養(あんにょう)の浄土はこいしからずそうろうこと(真宗聖典629~630頁)

と教えられてあります。

人生真っ暗闇と言わしめる煩悩よりも、もっともっと確かな悲願が、私に煩悩を以って目醒まそうと働いてくださったと教えられるのでありました。

031報恩の歴史

木村大乘

私の父は今年の5月初旬に94歳の生涯を終え還浄いたしました。亡くなった日の夜、悔恨のようないろいろな思いが去来する中で、ふといつも病院のベッドで合掌して、念仏を申している父の姿が目の前に浮かんできたのです。

高齢で記憶力も理解力も認識力も衰えていましたから、口癖のように称えている姿にしか私には見えていなかったのでした。もうこれで形ある姿ともお別れなのだと思った時、仏法に出遇うことを何よりも願っていてくれたことが、改めて私自身の歴史として拝めてきたのでした。

なぜか南無阿弥陀仏という、形を超えた、計り知れない如来の大慈悲心のいのちの中に父の宿業(しゅくごう)の歴史があったことが拝めてきたのです。それだけでなく、ここに在る我が身も、そしてこの世界の全ての生きとし生けるもの全てが、本来は形なき南無阿弥陀仏のいのちそのものであることに気づかされてきたのです。それは、何とか仏法が頷ける自分の思いや考えを、遥かに超えてつつまれてあった念仏の世界であったと言えましょう。

その後も相変わらず自我の執着心に捕らわれ、善し悪しの思いに振り回され、煩悶する生活ですが、この親鸞聖人のお言葉を憶念し歩まされて行きたいと思います。

「称仏六字(しょうぶつろくじ)」というは、南無阿弥陀仏の六字をとなうるとなり。「即嘆仏(そくたんぶつ)」というは、すなわち南無阿弥陀仏をとなうるは、仏をほめたてまつるになるとなり。また「即懺悔(そくさんげ)」というは、南無阿弥陀仏をとなうるはすなわち無始よりこのかたの罪業(ざいごう)を懺悔(さんげ)するになるともうすなり。「即発願回向(そくほつがんえこう)」というは、南無阿弥陀仏をとなうるはすなわち安楽浄土に往生せんとおもうになるなり。また一切衆生にこの功徳をあたうるになるとなり。「一切善根(いっさいぜんごん)荘厳浄土(しょうごんじょうど)」というは、阿弥陀の三字に一切善根をおさめたまえるゆえに、名号(みょうごう)をとなうるはすなわち浄土を荘厳するになるとしるべしとなりと。(真宗聖典520頁)

真宗大谷派(東本願寺)三重教区・桑名別院本統寺の公式ホームページです。