カテゴリー別アーカイブ: テレホン法話2007年

037あとがき 

「心をひらく」29集をおとどけします。法話をしていただきました方々にはたいへんご苦労をおかけました。また電話を通して聴いてくださった皆様、ありがとうございました。

私自身3年続けて担当しましたが、なかなか自分の思考のパターンを破れないし、自由で柔軟な発想ができなくなっているなぁと感じました。教えられたことを自分のものとしてしまい、そこには臆面もなく安住しているだけではなかったのかと思いました。全く、法話を担当しながら、改めて自分の仏法に対する態度、聞法姿勢が問われ、聞くことの難しさと大切さを教えられたことです。

さて、来年度から新しい委員がテレホン法話を担当します。今後ともよろしくお願いします。

036「本当のこと」に遇いたい、なりたい 

片山寛隆

今年も終わろうとする中で、何かと問われたのが偽装、偽証ということがありました。表装に印してある製造年月日が実際の製造日と異なって販売がされて大きな反響がありました。

昔はその土地へ赴いたので「おひとつどうぞ」と、お隣にお土産を持っていったものです。しかし、今は全国何処にも同じものが売られているということが当たり前の時代です。現代という経済至上主義を象徴していることが、このような形で露呈したということでしょう。そして、一斉にこの偽装に対して「偽物は拒否」という大きな声になりました。私たちは表装と中身の異なる偽物は嫌いであり、拒否であります。

偽物を拒否し、あらゆるものを監視していくことがこれから益々厳しくなることでしょう。しかし、その外への眼差しと同時に私自身の偽装に対して問いをもつことを忘れてはいないでしょうか。真宗門徒を名告(なの)り仏教徒ですと公言しながら、中身は生活はどうなっているのか、誰もが「偽物は嫌い」というものを有しているものです。その嫌いなものの正体を知りたい、解りたい。そして「本当のこと」に遇いたい、なりたい、と歩まれた先人こそ私たちのご開山親鸞聖人ではなかったでしょうか。

035報恩講のお念仏に導かれて

伊藤一郎

今年も報恩講の時期が参りました。

昨年の桑名別院報恩講は例年の通り12月20日から4日間厳修され、23日ご満座法要の日を迎えました。私は当日境内の駐車係としてお手伝いさせていただきました。その日は寺町で催される三・八市や年末の墓参りのご門徒と重なり、境内は満車で整理のつかない状況となりました。丁度そんな時、ご年配の男性が自転車を引いて入ってこられ、

「あなたは今日の係かね。私ら墓参りの道をどう考えているのか。出入り口もなし、通路も全く塞ぎ報恩講もないでしょう。すぐ車を移動するように」

と鋭く注意を受けました。急遽対応しようにも既に詰め込んでしまった車を動かしようもなく、お詫びの言葉もそこそこに対策を思案しておりますと、丁度三・八市帰りの一台の車が出入り口付近から出て行き、通路が空きました。注意した男性をよく見ますと、右足が不自由で自転車を杖代わりに使っておられたのです。そのため、自転車ともども狭い通路を通る必要があったのです。

「身体の不自由な人のことをあなた方は気遣っていないのか。親鸞さんが泣きますぞ」

男性の最後の言葉に私はたいへんなショックを受けました。「自分さえよければいいこの悲しさ」浅田正作氏の詩の言葉を思い起すのです。

自分の意識が作り出す幻影に振り回され、自らの都合のみで生きている自分に気づかされずにはおれません。何のことはない念仏しながら自分を中心に生きてきた私なのだと気づくのです。

◎自我の塊であり自分の闇そのものであろうか。

◎報恩講のお念仏に導かれ私の身勝手さに今また気づくのです。

◎そしてそれは自転車の老人ではなく、仏様そのものだったのです。

南無阿弥陀仏

034報恩講 

芳岡里美

お寺に縁あって嫁ぎ、お念仏に出遇い、報恩講に参らせていただくようになって、早いもので20年が経とうとしています。

報恩講とは、親鸞聖人の御命日をお迎えする大切な法要であるということを知識として理解するよりも、先に感覚的に体感させてくださったのは、報恩講が近づくと、お忙しい中、日を空けて時間を割いて、準備のため、お寺に集まっていらっしゃるご門徒方であったのだと、今感じています。

丁寧に手間暇掛けて仏華を立て、お華束(けぞく)を餅米から作って盛り、そして、各自が家で育てた大根でお講汁を炊く。何事も効率の良さが求められていると思い込んでいる私には、大切に丁寧に準備されていく、その様がそのまま報恩講なのだと感じさせられました。この準備に平行して晨朝が勤まります。私は自坊なので参らせていただきますが、まだ夜も明けぬ早朝に、わざわざお参りにいらっしゃる方々の姿に、私のための報恩講なのだという声が聞こえてくるような気がしました。後、何回私は報恩講をお迎えすることができるのでしょうか。また、お迎えできるのなら、大切な法要であること、私のための報恩講であることを確認できるご縁に感謝したいと思います。

033報恩講に遇う 

海老原容光

毎年11月21日より28日まで、京都東本願寺では親鸞聖人の報恩講が営まれます。そして私たち真宗門徒も「一年は報恩講に始まり報恩講に終わる」という言葉で語り継がれているように、報恩講は一年で最も重い、厳粛な仏事としてのお勤めをし、相続してまいりました。

では、私たち真宗門徒にとって報恩講が何故一番大切な仏事なのでしょうか。

それは親鸞聖人が明らかにされた念仏の教えに出遇えたということです。聖人は念仏によって我が身に遇えるという道を示してくださいました。つまり、念仏の心を90年の生涯をかけてご苦労され、私たちのところまで伝えてくださいました。これが何よりの聖人から賜った恩徳であろうと思います。

もし念仏の教えに遇うことがなかったら、もし念仏の心を教えていただくことがなかったら、この私の人生は何だったのだろうか、とその真実の意味を我が身に感ずることが報恩講に遇うことでありましょう。

しかし、今改めて私たちの現実のありさまは、自我分別の生き方以外の何ものでもありません。親鸞聖人は人間の正体を「凡夫(ぼんぶ)というは、無明(むみょう)煩悩(ぼんのう)われらがみにみちみちて、欲もおおく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおおく、ひまなくして臨終(りんじゅう)の一念にいたるまでとどまらず、きえず、たえずと」(真宗聖典545頁)と悲嘆されておりますが、私たち人間は、貪欲(とんよく)・瞋恚(しんに)・愚癡(ぐち)の三毒の煩悩に覆われ、焼かれ、それに酔いしれそこから一歩も出ることもなく眠り伏せているありさまであります。『出離の縁あることなし』(真宗聖典215頁)念仏の教えに遇うということはこの煩悩具足の我が身が、さまざまな境涯をへめぐる我が身が、一切の計らいをもってしても乗り越えられない業縁の身への頷きでありましょう。浄土真宗はこの身に展開します。

032報恩講‐御流罪の地で考えたこと‐ 

花山孝介

先日、ご門徒と一緒に新潟上越にある親鸞聖人のご旧跡を訪ねました。幾つかの寺院を回り、最後に夕日が美しいということで上陸の地「居多ヶ浜」に行ったのですが、その場所に立ちながら、この地が聖人にとってどのような意味をもつのか考えさせられました。

聖人は、法然上人との出遇いを通して「ただ念仏」の教えに生きた方です。その聖人が何故流罪という刑を受け、この地に来なければならなかったのでしょうか。時の有力者に嘆願して実刑を免れることもできたかもしれませんが、史実は法然上人と共に刑に服されました。しかしその態度は、刑に服しながらもその刑の不法性を生涯叫び続けられる歩みでした。それは、聖人自身、念仏の教えにより公(おおやけ)を生きる者としての境地を得ていたからだと思われます。そのことは、自身の個人的な事柄を記されなかったことに明白です。

さらに「非僧非俗(ひそうひぞく)」を生きる者としての性(しょう)を「禿(とく)」と表明し、法然上人との死別を通して、やがてその師教を明らかにしていく者としての「親鸞」の名告(なの)りを感得し展開されたのがまさにこの地ではなかったのか。それはまるで、比叡山時代やそれまでの生活の中身が総括されると共に、師亡き後の仏弟子の責任を生きる身の決定がなされた場所であったと思われてなりませんでした。

今年は、奇しくも御流罪八百年の年です。無実の罪を受けられた弾圧の痛みの意味を問わないままで、年中行事のひとつとして「報恩講」を勤めるとしたら、その法要を勤める意味は一体私にとって何なのか、改めて考えさせられました。

031報恩講‐私を見せて下さる智慧に遇うことが出発点‐ 

森英雄

人間の価値観は、大きいこと、勝つこと、儲かること、健康であること、目立つこと、能力のあること、知識的であること等に中心をおいている。だから、自然と優劣の意識に縛られて生きざるを得ない。その中で安心を得たいがために条件的に有利な世界を実現しようとして、一生を終えるというのが実情ではないでしょうか。

いつも他人と比べてしか価値を感じないから、自分の生きていること、そのものに充分満足して生きることができないようである。自分で勝手に立てた優劣の基準に満たないと不満や不足が出て、生きることにも嫌になってしまう。反対に条件が満たされると安心と満足が訪れるかというと、そうでもないらしい。

結婚する前は夢が叶うのでワクワクしているが、いざ一緒になると相手の欠点ばかりが目についてしまう。優しくなろうと思っても、相手が自分の思うとおりにしてくれないので、不満が高じるばかり。では口数少なくおとなしい相手がいいのかというと、何か頼りない気がし、覇気がないと文句を言う心がうごめく。

一体自分はどうしたらいいのかがはっきりしない。そういう自分に対し、自信がなくなることが大事で、文句を言わねばならない自分に焦点が当たる、そういう時をいただいている訳です。それは、自我の殻が破れ、ほんの少しだけれども光が差し込み、仏のはたらきが初めて私に届く時なのです。結婚を期に、相手を自分のモノと考え、時に奴隷扱いしてしまう。要求の対象物としてしか見られない自分を知らせてくださる相手なのに、相手ばかりを問題視してしまう。

その業もお与えです。そこにはたらく自分自身を照らすハタラキを光明と言います。その力が強くなって初めて、自分という殻の固さを思い知らされます。

その光明が自我の殻を破る時、仏様の一念が私の上に名乗りを上げる。それが南無の心です。実相の知恵です。その知恵に導かれて生きる生活が満足と安心をもって始まるのが報恩講の原点です。

030仏教を学ぶとは 

伊東恵深

私は現在、お寺の仕事を手伝う傍ら、京都の大谷大学に非常勤講師として勤めております。大学では、お釈迦様や親鸞聖人の教えを学生の皆さんと一緒に学んでおります。

さて、先日次のような出来事がありました。ある一人の学生が、講義を終えた私のもとを訪れて「どうすればこの授業の単位をもらえますか」と質問してきました。その雰囲気からして、どうやら授業の単位を手っ取り早く取る方法を聞きたい様子です。私はその質問に対して「授業をしっかり聞いて、自分なりの考えをもてるようになったら、単位は自然に取れるよ」と答えました。するとその学生は「確かにそうだけど…」と言いながら苦笑いして渋々帰って行きました。

たったこれだけのやりとりでしたが、実はここに「仏教を学ぶとはどういうことか」という大切な事柄が示されているように思います。

確かに現代は、テレビや携帯電話、インターネットなどの普及によって、必要な情報や知識を簡単に手に入れることができます。また、何事においても効率を優先して、成果や実績を早く求めるという風潮も、近年一段と強まっているように感じられます。しかし、仏教の学びというのは、今述べたような世間の価値観とは根本的に異なります。それは何処までも自分を明らかにしていく歩みです。自分自身に素直に向き合う中で、仏教の教えが自らの問題として腑に落ちる。その時初めて、仏教の言葉は自分の在り方を照らし出す真実の言葉として響いてくるのです。仏教の学びに近道はありません。

先ほどの学生の問いは、成果や効率といった「世間のモノサシ」を、ともすれば、自分を明らかにする歩みにまで持ち込もうとする私たちの在りようを端的に表しているのではないでしょうか。

029赤とんぼ 

渡辺美和子

実家の母は、今年72歳を迎えました。数年前から耳の聞こえが悪くなり、それをとても苦にしていました。たくさんの病院を訪ねてどうにか聞こえるようになりたいと願いをもっていましたが、老人性難聴という現実を受け入れ、補聴器を付けました。そして孫娘に教えてもらい携帯電話でメールをどしどし打っているようです。

そんな母の姿に、私はどうなんだろうと思い返して見ました。生老病死と言いますが、何時やって来るか分からない私の姿、老も、病も、死も必ずやって来ることは分かっていても、思い通りにならないその現実を率直に受け入れることができるとは思えません。その時にジタバタしないようにと、桑名別院の人生講座に参加し、いろいろな方のお話を聞いていきたいと、月一回朝出かけるようになりました。でもそのことがもう、自分の思い通りにしようとしているような気がします。

今、私はジタバタしているのでしょうか。今の自分に焦っているのでしょうか。

今朝、境内を掃除していたら、枯れ枝に真っ赤な赤とんぼが二匹仲良く止まっていました。今年の夏はあんなに暑かったのに、もう季節は秋なんだなぁと思いました。どんなにジタバタしても、思い通りにならなくても、やって来るものはやって来るのだなぁと。毎日毎日同じようで、その時はかけがえのないものだと思うのですが、ありのままの自分を受け入れていくことはなかなか難しいことです。

自分を振り返り考えてみますと、日々の生活の中に聞法の糸口はあるものだと思います。その糸口を手がかりに生きていけたらと思っています。

028冬牡丹 千鳥よ雪のほととぎす 

佐々木徳子

桑名別院本統寺の境内にかわいい池があります。その池のほとりには、表題の句を刻んだ、俳聖松尾芭蕉の句碑が建っています。自坊のある伊賀上野は芭蕉誕生の地であり、地元の人は子どもからお年寄りまで、親しみを込めて「芭蕉さん」と呼んでいます。芭蕉さんが『野ざらし紀行』の旅の折、本統寺住職・慧浄院琢慧上人に招かれ、一宿をした際に詠んだ句です。

琢慧上人が丹精こめて咲かせた寒牡丹を見ていると、浜辺のほうから千鳥の声が聞こえてきた。あたかも、雪の中でほととぎすの声を聞くような風情だ、というのです。本来、牡丹やほととぎすは夏の季語であり、そのことがこの句をやや難解なものにしています。でも、冬鳥の鳴き声を聞いて牡丹の花を縁とし、雪中の夏鳥を思い浮かべる芭蕉さん。その感性、とても素敵だと思いませんか。

見たまま、聞いたままのことでしかなかなか物事を信用、判断できない私たち現代人の失いかけている想像力が、そこにあるのではないでしょうか。歩いて旅する芭蕉さんの「もう少しゆっくり」という囁きにも聞こえます。

同じく、境内には親鸞聖人が静かに佇んでおられます。この芭蕉さんの句をもし親鸞聖人が聞かれたら、どんなお顔をされるでしょう。興味は尽きません。