カテゴリー別アーカイブ: テレホン法話2018年

004 別離がひらく「更なる出会い」

尾畑 潤子

毎年、友人たちと岡山県にあるハンセン病療養所「長島愛生園」を訪れるようになって二十五年になりました。その訪問を通して、深くご縁をいただいてきたお一人に三重県出身の田端明さんがいます。田端さんは、強制隔離の法である「らい予防法」によって、戦争の最中、一九四〇年に二十一歳で「長島愛生園」に入所しています。それから七十七年の日々を短歌、俳句、詩など、折々に紡いできた言葉の数々を『石蕗の花』シリーズとして発表し、私も出版のお手伝いをさせてもらってきました。

田端さんの作品には、ハンセン病とわかった時の無念の涙、断ち切られる思いで故郷を後にした離別の涙。入所して五年、一夜にして視力を失った絶望の涙。やがて『歎異抄』との出会いによって、死から生を見つめていく人生に変わっていった歓喜の涙。涙を軸として田端さんの歩みが綴られています。そして、次のように詠っています。

舌読の点字経典血に染めて わが人生の未来を探る

(『ハンセン病の苦悩と信心』田端明著)

病気の後遺症によって指先の感覚がなくなって、舌で点字の経本を読み続けてきた日々。教えとの出会いから、田端さんは生涯のご用として「ハンセン病を正しく理解していただくために一分でも一秒でも長生きしたい」と。その言葉そのままに、各地での講演や多くの作品を通して、私たちにハンセン病に対する正しい認識と理解を語り続けてきました。

その願いを、私はどう受け止めてきただろうか?そう問い返されたのは、東本願寺発行『同朋』(二〇一七年二月号)誌の、歌人永田淳さんの言葉です。

俳句や短歌は自分だけで完結するのではなく他者と出会う場で初めて成立する「座」の文芸だと。その言葉に私は大きな衝撃を受けました。「長島愛生園」に入所を余儀なくされた田端さんのうたは、「らい予防法」廃止から二十二年、今なお、正しく理解されているとは言い難い私たちの社会のありようを問い、閉ざされたから、なお、開かれていきたい・・他者と共に開かれ続けていきたいという田端さんの「呼びかけ」がうたになっていたのです。

昨年十二月四日、田端さんは九十八歳の命を終えました。

「まだまだこれからですね」

笑顔でそう言った田端さん。別離からの更なる出会いが、今ここに開かれている。あらためてそう思う日々です。

(二〇一八年二月下旬 泉稱寺衆徒)

003 ある日の法事から・・・

泉 有和

少し前の法事で、全ての次第が終わり、皆で食事をいただいていたときですが、そのときの法話から連想されたのか、そのお宅のご親戚に「私は無宗教や」「先祖が仏教を大事にしてきたというが、それが何故かわからん」と言い出された方がおられました。その言葉が呼び水となって、回りの方もいろいろ話されだして、にぎやかな場になりました。

その時出た話に関わって、もう三十年ほど前になりますが、教えられて、自分なりに深くうなずいたことがあったので、その方々と次のような話をしました。

我々の日常の生活だけでは、何かもう一つ満足できない。こういう生活を生涯送って、そして終わっていく、そのことの為に生まれてきたとは、どうしても思えない。もっと確かな生き方、「あっ、そうだったのか。私はこのために生まれてきたんだ」という、そういう本当の生き方を願う、それを宗教心というのではないかと。

私たちは宗教とか宗教心というと、日頃の生活や意識とは違う、何か特別な宗教的な心情や意識、そういうものを思い浮かべてしまうけれども、実は、宗教を求める心というのは、そういう特別な心ではないんじゃないか。

私たちは、生まれてから今日までずっと生きてきて、今日も生き、また明日も生きていく。そしてそのことを、別に不思議とも何とも感じない。「生きるといっても、大体こんなもんやぜ」「人間とは何年生きてもこういうもんかなあ」と、日常の心、普段の心で思い込んでいるが、実はそうではないと思う。

宗教というと、何か特別で特定の宗教を一筋に信じなければならないとか、すぐそういうことになるが、そうではなくって、それよりもっと前の、我々が特別に宗教とも感じないような、私たちの根っ子にいつもある、「確かないのちを生きたい」、「本当のものに出会いたい」という、人間であるならば必ず願わずにはおれないという根源的な要求じゃないか。そうだとすると、私たちはすべて宗教的存在だと思う。

だから、親鸞聖人が「浄土真宗」とおっしゃるのは、そういう万人に共通する、「私は無宗教だ」と言っておられる方にも働いている、我々の最も根っ子にある「確かな生を求める心」です。決して、世間に多くある、何教だ、何宗だ、というものの中の、一つの宗派ではありません。云々。

その日一日、その時の会話を頭の中で反芻しながら、人間として生まれた以上、いかなる者も、国家を超え、民族を超え、思想を超え、政治的立場を超え、イデオロギーを超え、そしてあらゆる宗教を超えて、願わずにはおれないもの、それを親鸞聖人は「浄土真宗」というのだ一切のいのち生きる者が願わずにおれない世界を「浄土」というのですと教えられたことを、あらためて思い出したことでした。

(二〇一八年二月上旬 円称寺住職)

002 生かされて生きていく

林 恵美子

こんにちは 私は現在六十五才。元気なおばさんと云われています。

私が仏法に触れていて、よかったと思ったのは四十八才でガンを患った時です。全く青天の霹靂「えー。私が?」ガンの家系でもなく「なんでー?」という思い。そしてこれからどうなるんだろう…という不安。

二ヵ月入院していましたが、がんセンターでは死は日常茶飯事でした。同室で親しくなった人の容態が急変し個室に移され、翌日には亡くなる。またある人は治療の成果が出ず、どんどんつらい治療に変えていく…。「ここは死を待つ道場か」と思いました。

両親も健在、祖父母も長生きで病院には無縁の環境にいた私には全く別世界で、想像以上の恐怖でした。

その時、頭に浮かんだのが「他力本願」という言葉でした。自分の力ではどうしようもない事は、阿弥陀さんにお任せしよう。私はできるだけ、前向きに生きる事を心がけようと思いました。

いろいろな副作用もありましたが、今こうして元気でいます。

仏教讃歌に「生きる」という歌があります。

生かされて、生きてきた

生かされて、生きていく

生かされて生きていこうと

手を合わす 南無阿弥陀仏

(『生きる』作詞 中川静村)

この歌には忘れられない思い出があります。当時、教区合唱団に参加しており、退院して三ヵ月後、桑名別院の報恩講に私も出演しました。

この「生きる」を歌っていた時、ふと前を見ると本堂の一番前に座っていた父が目頭を押さえていました。その後本堂の後方を見ると同じように母が涙をふいていました。私も思わずこみ上げるものがあって、うつむくと楽譜に涙がポタッポタッと落ちました。それを見た両サイドの人ももらい泣き。順々に連鎖していきました。

この曲を知った事、そして一緒に涙して回復を喜んでくれる家族や友がいる事…。私はなんて幸せなんだろうと感謝しました。

病気になっていなかったら、分からなかった事、知らなかった事がいっぱいあります。「ここいらへんで、こいつは病気になった方がよかろう」という阿弥陀さんの計らいなんでしょうね。おかげさまで、今を幸せに生かせてもらっています。

(二〇一八年一月下旬 明圓寺門徒)

001 新年を迎えて

大町 慶華

新年あけましおめでとうございます。

年末の桑名別院本統寺の報恩講には、たくさんの方々にお力添えをいただき、心より感謝申し上げます。

本年も三重教区と桑名別院をどうぞよろしくお願い申し上げます。

さて、今から六十二年前、宗祖親鸞聖人七百回御遠忌をひかえて、宮谷法含宗務総長が、「宗門各位に告ぐ」として宗門白書をだされました。その白書に示された内容は現代においても、わたしたちに呼びかけられているようでなりません。この白書の一部を引用します。

この憂うべき宗門の混迷は、どこに原因するのか。宗門が仏 道を求める真剣さを失い、如来の教法を自他に明らかにする本務に、あまりにも怠慢であるからではないか。今日宗門はながい間の仏教的因習によって、その形態を保っているにすぎない現状である。寺院には青年の参詣は少なく、従って青壮年との溝は日に日に深められてきているではないか。厳しく思想が対立し、政治的経済的な不安のうずまく実際社会に、教化者は、決然として真宗の教法を伝道する仏法者としての自信を喪失しているではないか。寺院経済は逼迫し、あやしげな新興宗教は、門信徒の中に容赦なくその手をのばしてきている。教田の荒廃してゆく様は、まさに一目瞭然であるが、われらは果してこの実情を、本当に憂慮し、反省しているであろうか。まだ何とかなるという安易をむさぼる惰性に腰かけているのではないか。大谷派に一万の寺院、百万の門信徒があるといいながら、しかも真の仏法者を見つけ出すことに困難を覚える宗門になってきているのである。

(中略)

宗門は今や厳粛な懺悔に基づく自己批判から再出発すべき関頭にきている。懺悔の基礎となるものは仏道を求めてやまぬ菩提心である。混迷に沈む宗門現下の実情を打破し、生々溌溂たる真宗教団の形成を可能にするものは、この懺悔と求道の実践よりほかにない。

(『宗門各位に告ぐ』宮谷法含一九五六年『真宗』四月号)

と宗門の現状を訴えかけています。

この白書を受けて同朋会運動が、提起され「家の宗教から個の自覚へ」とスローガンを掲げて同朋会運動をすすめてきたことです。しかしながら、今日の現状をみれば、六十二年前にだされた白書の内容と何も変わっていません。世の中は経済至上主義の中、人間関係の希薄化、自殺者の増加、いじめ、核家族化、独居老人の孤独死、過疎化など現代社会が抱えている闇に、なかなかお寺が対応できない現状であります。なんとかこの現状を打開するために、教区では『「一ヵ寺・一ヵ寺」の活性化を願って、<一人と出会う>』をテーマに教化委員会で検討しています。現代社会が闇に包まれているならば、まさしく宗祖は本願念仏の教えこそが「無明の闇を破する」と示してくださっています。大変な時代であるからこそ、一人でも多くの方に、お念仏教えが伝わるよう努力をいたしていきたいと思います。宗門白書の内容を常に、怠惰な自分への忠告とし、聞法精進してまいりたいと思います。

宗門は二〇二三年に、親鸞聖人御誕生八五〇年・立教開宗八〇〇年慶讃法要を、厳修憂する予定であります。先の御遠忌が住んで十二年後のことであります。この法要に向けて様々な計画が、現在宗務審議会で検討されていることであります。今年五月には答申され、内局方針が示され、内局巡回がおこなわれる予定であります。内容がしめされたならば、どうかご意見をくださるようおねがいいたします。

(二〇一八年一月上旬 三重教務所長)