カテゴリー別アーカイブ: テレホン法話2005年

017先ずは私から 

藤井恵麿

最近、私の寺では「永代経」「報恩講」「同朋会」等への参詣人・参加者がだんだん減ってきました。寂しい気持ちの中で「このまま往くとどうなるのか」という不安な気持ちになることがあります。

そのような中である日のこと、門徒さん宅にお参りに行った時のことです。そこの55才前後の奥様から、お内仏のお給仕に関していろいろと尋ねられました。例えば「報恩講でのローソクは赤ですか?月参りでのローソクは赤ですか?白ですか?」「ご飯さんをお供えする場所は何処ですか?」「お華束(けぞく)さんはどのように盛ったらよいのですか?また、そのお供えをする場所は?」等々。

それで私がそれぞれの質問に答える度に、その方は小さなノートにそれを書き留めておられました。私はその姿に少しばかり驚きました。何故ならば、私の寺の門徒さんの中で、そこまで熱心にお内仏のお給仕に関して尋ねられる方は、ほとんどいなかったからであります。というより、間違っておられる方も少なからずおられて、そのことをお参りに行った時に指摘させていただくこともありますが、その後、再びお参りに行った際に、また同じ場所を間違っておられるという方もおられます。

だからこそ、何故この方は、ここまでして真剣なのかと疑問に思っていたところ、次のように言われました。「息子の嫁にも仏さんのことを伝えていこうと思うが、それにはまず私が知らなくてはいけない。しかし、私は仏さんのことをほとんど何も知らないので、今ここでお聞きしているのです」と。

私はその言葉を聞きましてハッとしました。「物事が伝わるということは、私が体得して初めて、次に伝えることができる」ということを教えられたからです。何とかして参詣人・参加者が増えないかという、他者を動かすことばかり考えて、自分が抜け落ちている私自身の傲慢な在り方、そしてまずは私自身が全身を挙げて聞くことが要であることに気づかされました。

016土石流と私 

児玉邦男

私の住むいなべ市藤原町には、坂本そして大貝戸という、ここ数年来、台風・集中豪雨に見舞われるたびに土石流が発生する2地区があります。

過去に、テレビ・新聞などで、九州の普賢岳をはじめ、他の地区での土石流発生災害が報道されるたび、単なるニュースであり、私とは無関係な遠くの災害として生活していました。昨年、坂本地区の自治会長をおおせつかり、指示に従い「避難する」身であった私が集会所を解放し、住民の方々に「避難してもらう」立場になりました。

台風による集中豪雨が私たちの地区を襲い、土石発生を知らせるセンサーが感知し、警報サイレンが鳴り「避難勧告」が発令されて、集会所・文化センターなどに「避難」しなければならない時、私の心から「また、避難か、自分が自治会長になってから、これで何回目や。やけに多いな。もうこれで4回目やないか、自主避難入れたら、もう7回になるやないか」という声が聞こえます。

急ぎ、集会所へ向かう時、雨の中、音を立てて流れる土砂、流木を目の前にして「土砂止めの3基の砂防ダムはどうなっているだろう」「自分の家は大丈夫だろうか」という思いは、いつしか「台風が来なければ、こんな目にあわないのに」「自分の地域ではなく他の地域なら良かったのに」と、自然に邪悪な心が拡大してゆく私に気づかされた時、親鸞聖人が『正信偈』にてお示しいただいた「邪見憍慢悪衆生(じゃけんきょうまんあくしゅうじょう)」は、何処かにいる誰かではなく、今まさにここにいる自治会長という、公の任務をいただいていても、我が身の事実は自己中心を一歩も出ない私、と頭が下がりました。

015いのち

加藤滿

この頃テレビのCMに出てくるのが、健康に関するものが非常に多いように感じます。薬やサプリメント、器具などが出てくる。また、もう一つ多いのは、保険のCMです。このことは私たちが生活しているときに、何を大事にしているかを反映しているものではないでしょうか。

今日、法事に行って話が出るのは、病気など身体のことが多い。こういう病気にはこういうことが良く効くかなど皆さんよく知っておられます。歳を取って足腰が弱くならないように歩いたほうが良い、私は一日何キロ歩くとかいろいろ話が出てきます。

これほど健康に気を配るのは一体何故でしょうか。何か健康のためなら死んでもいいような風潮です。元気で長生きが良いことであるように日本中が躍起になってるように見えてきます。それはそれで良いのでしょうが、そのことが命を大事にしているかのような錯覚に陥っているような気がします。長生きすることが本当に命を大事にしていることなのでしょうか。本当に命を大事にするということは、一体どういうことなのでしょうか。命を大事にするということは、私というものを支えて、そして、何の文句も言わず、私を支え続けてくれている命そのものに出会うことから始まるのではないでしょうか。

014バラバラはばらばら 

福岡裕

父が2年前に肺がんを患い2度の手術を行い、現在では入退院を繰り返しています。
15年ほど前、脳血栓で入院した時には、症状も軽く1ヶ月ほどで退院できて仕事に復帰できました。そんな経験もありましたから、今回の肺がんも転移していなければ仕事にすぐ復帰できると思っていたのかもしれません。ところが、1回目の手術の後はすぐに復帰できたのですが、半年後に再手術してからは、症状は良くなるどころか徐々に体力は落ちていくばかりです。現在では酸素吸入をしなければならないほど肺の機能が落ちています。

それにもかかわらず、仕事のことが気になり病院を抜け出して酸素ボンベを抱えて現場まで行ったのです。請け負っている周りの人たちから「迷惑になるからもう来ないでくれ」とクレームがつきようやく現場に行くことを止めたのでした。現場に行くのは止めたのですが、病院から電話をしたり、仕事ができない愚痴を母にぶつけたりして困らせました。揚げ句の果てには、仕事を任せていた弟ともやり方のことで喧嘩をする始末。あまりにも口やかましく言う父に対して、弟も「言う通りにはできないから仕事を辞める」と言って辞めてしまいました。仕事を任せたと言っておりながら、いちいち口出しすることに我慢ができなかったようでした。

こういうことは、任せたと言っておりながら、任せきれないどこかの家の話としてよく聞かされたことでありましたが、実際に出会ってみると親子といえども人間不信に陥り、家の中がバラバラになってしまうことをまざまざと見せつけられました。

酸素ボンベを抱えながら復帰しようとする父は、仕事で忙しく働いていることが自分の生きがいでもあり、人生における一番価値のあることと信じていたのでしょう。人の為、自分の為、家庭の為、社会の為と信じて事を起こしたとしても、所詮、人間のすることは大なり小なり他の人に迷惑をかけて生きていると思って丁度いいくらいなのかもしれません。

家族の為忙しい、忙しいと言っているその姿は、社会的に又道徳的には問題ないことかもしれませんが、家族として人間として本当に迷惑をかけているということを自覚しなければなりません。親子といえども人間同士、人間としての欲深さ・罪深さを意識的に自覚させられるような教えを共通にもっておかないと、バラバラな集合体としての家族関係しかもてないように思えます。

「バラバラで一緒なる」ものはちょっとした行き違いで、たちまちに修復不可能なほどバラバラの存在でしかないことを如実に教えられた父の肺がん闘病です。

013本当に「自分らしく生きる」とは 

藤岡法水

最近、教育現場で「個性を生かす」とか「自分らしさ」などという言葉をよく聞きます。

一人一人に応じた教育をするという意味では、とても素晴らしいことのように言われます。社会的な風潮でも「自分らしく生きる」ということが美化されているように感じられます。しかし、これは受け取り方を間違えると「自分は自分なのだからこれでいいのだ」という単なる自己満足に陥りかねません。こうなってくると、周囲との関係が薄くなってくるとともに、本当の自分の姿が見えなくなってきます。「自分らしさ」を自分の基準でしか見ないため、その姿がどうあってもその姿を良しとしてしまい、自分が周囲との関係性の上で成り立っていることに気づかずにいるのではないかということです。ですから、基準で認められないものは受け入れようとはしません。「自分は罪悪深重の凡夫である」と自分の都合の良いところで自分勝手に開き直っているだけと言ってもよいのではないでしょうか。

「自力を尽くさないところに他力は見えない」ということを聞いたことがありますがが、このような姿はまさに自力を尽くすことも何処かへ行ってしまっており、当然、自分のいのちが多くのいのちの上に成り立っていることにも思いが及びません。

一一のはなのなかよりは

三十六百千億の

光明てらしてほがらかに

いたらぬところはさらになし(真宗聖典482頁)

という御和讃があります。浄土を讃える御和讃です。一つひとつの花がそれぞれの光を出して輝いているというものですが、これは決して自己満足の輝きではないはずです。周囲との関係性の中に身を置いて、他力によって生かされている己の姿が照らされてこその光だと思うのです。それは本当に「自分らしく生きる」ということなのではないでしょうか。

012仏法は難しい? 

藤谷英史

門徒さんから「ご院さん、仏法の話は難しいですなぁ」とよく言われます。そんな時「健康の話や子育ての話とは根っこのところが違うのでしょうね」と返事をします。

ところで、ある会合の休憩時間の雑談でこんな話がありました。その女性は、公民館の近くで小さい子どもを連れ、その子の先を歩いて行く若いお母さんに出会ったとのことです。その時、たまたまその子が何かに躓いてひどい転び方をしたため、とっさにその子を起こしてあげたのだそうです。そのことに気づいた母親は、礼を言うどころか不満気な顔つきで、泣く子の手を引いてさっさと行かれたとのこと。それで、当の女性はついムッとして、そして礼も言わずに「何と失礼な!」と思ったというのです。

失礼なその母親はさておき、転んだ子どもを起こしたこの女性の心の中には「起こしてやったのに」というお礼の言葉を求めているものがあったのではないでしょうか。

私たちはどんな時であれ、ある結果を正直に受け止めようとする心とは反対に、現実は自分に都合のいいように考えたり、思うようになると思い込んでいる自分に気づかず、その通りにならないと、暗い気持ちになっていることが多いようです。

仏法の話のポイントは、不満や怒り、嫉み心の虜になってしまって何か暗い気持ちでいる自分が真宗の教えに出遇い、そこから開放される本当の自分に出遇うことが課題なのでしょう。ですから、自分の痛いところを言い当てられ、心の奥底をさらけ出さなければいけないだけに、つまり自分の痛いところを認めること、そのこと一つが難しいのでしょう。このあたりの事情を、妙好人と言われ、信心のエキスのような言葉を残してくださっている因幡の国の「源左さん」が「むつかしい むつかしいいって わがむつかしゆうすっだけのう」…つまり難しい、難しいと言って、その自分が難しくしているだけなんだ…と言い当てておられます。

仏法は難しいのではなく、難しいと思っている人が難しくしているのでしょう。

011父の死の事実 

木村郁子

ある日、私は時計ばかりを見ていたのを思い出します。担当の園児が発表会の不安でぐずっていたので、早く落ち着いてくれたらとばかり願っていました。その時間に父が亡くなっていようとは思いもよりませんでした。夫の知らせに実家へ車を走らせながらも、治療して家に戻っているだろうと自分に信じ込ませていました。でも、横たわっている父は話しかけてはくれませんでした。

通夜の時に、ストーブの前でウトウトしながら休んでいると、父が元気に「また来たか」と起き上がってくる幻想に何度もとらわれ、その度に父を見に行きました。もう少し早く医者へ行っていたら、もっと早く治療の方法があったのでは、という思いと献体を希望し、何も残さずに逝ったことが余計にまだ何処かに居るに違いないと思い込ませているのでした。

冬も過ぎ、春の永代経でのご法話の中に「仏法は春の雪がすぐに融けるようにいつも新しいが、人間の思いは冬の雪がすぐには融けず残るように、いつまでもいつまでも引きずっている」というお話を聞いた時に、私は百ヶ日を迎えようとしていた父の死の事実が未だに受け止められていなかったことに気づかされました。事実を事実として見られず、人間の身体が有るか、無いかで執着していたようです。父が何処かに居るのではなく自分の問題でした。

都合よく生きたい自分ですが、都合悪いことにも「それは良かった」と答えてくれた父の言葉を忘れずにこれからも毎日の生活の中に聞いていきたいと思います。

010誕生 

小園至

4月1日から5日まで真宗本廟で春の法要が営まれています。今から800年あまり前、1173年4月1日京都の東南、宇治に近い三室戸の里に親鸞聖人は誕生されました。90年のご苦労されたご生涯で我々に「南無阿弥陀仏」のお念仏をいただくご縁をくださいました。

その聖人の御恩を讃ずる御仏事として、本山では、4月1日に親鸞聖人の師徳奉讃法要が厳修されました。

聖人は「仏さまの教えは、真実の教えである」と述べられています。そして、我々は尊い先達からいただいたこの生命を粗末にしていませんか、と問われています。今、日本では残念ながら、尊さを損なう事件があちらこちらで起こっています。自分の都合で、邪魔になった子ども、また親、兄弟等の命が簡単に奪われています。

自分が生んだ我が子に身勝手な都合で暴力を振るったり、食事を与えず餓死させたり、親が孫、子をそして子どもが友を殺すという悲惨な事件が毎日のように起こっています。何故ですか?お父さん、お母さん、一日に一度は挨拶されますか?会話をされますか?子どもたちと一緒に食事をしていますか?子どもと話をされますか?おじいちゃん、おばあちゃんと話をしていますか?子どもを抱っこしてあげていますか?お母さんの温もりを子どもに与えていますか?子どもたちが、人の足を踏んだら、謝りますか?「南無阿弥陀仏」と手を合わせて感謝していますか?阿弥陀仏に合掌礼拝していますか?していなければ、今日「今」から始めてください。

生まれた意義と生命の尊さに目覚めよと仏さまが我々に呼びかけられています。それを真宗大谷派は「生まれた意義と生きる喜びを見つけよう」とスローガンにしています。これからの人生を仏さまの真実の教えを学び「南無阿弥陀仏」を生活の指針としたいものです。

009彼岸 

花山孝介

「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉がありますように、彼岸の訪れと共に新しい息吹を感じる春を迎えることであります。毎年彼岸が来ますと、日頃慌ただしく忙しさにかまけて忘れている方々への想いが思い出されます。それぞれのご家庭ではお墓参りに行かれて、亡き方々に対しお花やお香を手向けて、日頃ご無沙汰していることを謝りつつ、今後ともよろしくというお気持ちでお参りされていることでしょう。

そのような日本の彼岸の風景を見る中で、私は何時も思い出す言葉があります。それは「身をもって、無常教えたまいし、亡き父と母」という言葉です。私たちにとって死は無言の遺言であり、言葉なき教えであると思います。厳粛なる死は、文字通りその人のいのちをかけての語りかけでしょう。

私たちの人生は、何時終わるか分かりませんが、必ず終わりのある人生であります。死は私たちにとって忌み嫌われることであると考えていますが、本当にそうでしょうか。何時死んでも悔いのない人生を生きていますか、誰にも代わってもらえない貴方を生きていますか、繰り返しのできない人生だから、今を大切に生きていますか。私に先立っていのちを終わって逝かれた方々は、何時も私に「人生の一大事」を問いかけておられるのではないでしょうか。

日頃世事に終われて生きている私、しかも自分の都合でしか手を合わせていない私に対し、「貴方の人生は何処に向かっているのですか」「本当に大事なことを忘れて生きていませんか」と、亡き方々は静かに語りかけてくださっているようであります。

008名簿

土岐昭潤

先日、学生時代の同窓会名簿が送られてきました。早速、友人の近況はどうかと名簿を見ると、名簿の横に物故者と記されていました。先日まで友人であった人がすでに物故者となっているのであります。物故者、つまり死去であります。私は現在50才です。私たちの年代から言えば、友人の死は夭折(ようせつ)となるのでしょうか。夭折といっても幼児、若年者、実年者といろいろあると思います。

法事に行くとよく聞く言葉があります。あるご年配の方が「Aさんは、73才で死んだ。私は71才、順番やと次やな」と言います。この言葉を受けて、もう一人のご年配の方が「確かにAさんは、73才で死んだ。しかし、私は83才、しかもAさんは、私より10才も若くして死んだ。順番ではないで」と言います。そして、「いずれはご住職の世話になるのであるから、どっちでもええがな」と、もう一人の方の話で会話が途切れるのです。この話の中で、順番ということが気になるのであります。『無量寿経』に「顛倒(てんどう)上下して無常の根本なり」(真宗聖典61頁)とあります。順序が逆さまで老少不定である。老少不定、人の寿命は、老いも若きも何時果てる(死ぬ)か定まっていないのであります。つまり、人は日々年齢に関係なく亡くなっていくものと言われています。老少不定は、無常の世界のならいであります。このことから思えば、人のはかなさ、人はこの世に生を受ければ必ず死があるということをしっかり受け止めて、遅かれ早かれ訪れる死、それは今日か明日か分からぬ我が身体であります。

ならば如来さまから賜った寿命(生かされてる)今をしっかりと生きることが大切なのではないでしょうか。自身も次回の同窓会には、名前の横に物故者と記されるのでしょうか。それは分からない。如来さまだけが知っている…自身、物故者となれば同窓会名簿は過去帳となるのでありましょう。(そして、友人たちは夭折と受け止めるのでしょうか)