カテゴリー別アーカイブ: テレホン法話2003年

027父の生き方

出口幸子

病気がもとで肺気腫があった父が肺炎で倒れ、医師から「もうだめです」と言われたのがうそのように二年半が過ぎました。肺気腫を患っていても、周囲の人は全く気がつかないほど元気でしたし、同年代の人と比べて体力も気力もありました。でも、実際にベッドに横たわった父を目の前にすると、別れがせまっていることを感じざるを得ませんでした。」医師は、「機関紙を切開して人工呼吸器をつけたほうが楽になるから、そうしたらどうですか」と勧めました。母は少し迷って、父がどうしたいかを聞いてから決める、と言いました。そして、「呼吸器をつけたら呼吸は楽になるけれど、話はできなくなるそうだよ。どうして欲しい」と聞きました。父は少し天井を見つめていましたが、一言「いらん、このままでええわ」と、母の目を見て答えました。本人がしっかりとした意志を持って答えたのを見て、本人の意志と家族の思いが同じであったことに、なぜか妙に安心感を覚え、私の心の中にも、「そうだ、これが人の生き方だったのだ」と、納得するような何かがあることに気づきました。

思えば、父の年代は戦争をくぐりぬけた年代でもありました。死を否定しながら生を模索し続けた一生の中で、二度も結核にかかり、健康な体、という世間一般の幸せの条件の一つを失いました。「自分と他の人の為に生きられるようになったら人間になるんだ」「いろんな人のおかげでこの世におらしてもらえる。生命のあるうちは、この世での仕事がまだ残っている」と、よく口にしていましたが、かといって、気負っているわけでもなく、ひょうひょうと生きているという表現がぴったりの生き方でした。死に何度か直面せざるを得なかったことが、父の人生にとって、自らの生きる姿勢を問うことになったと思われます。

『大無量寿経』の四十八願の中の第15番目、
たとい我、仏を得んに、国の中の人天、寿命能(よ)く限量(げんりょう)なけん。その本願、修短(しゅたん)自在ならんをば除く。もし 爾(しか)らずんば、正覚取らじ。(真宗聖典17頁)

この言葉は、生きることが生物学的にできるだけ長く生命を維持することができる、ということだけでなく、人間として、本当に生きることを見つめて生きているかどうかを問いかけてくれているように思います。

そして、父の生き方は、私の生き方も問い続けていくでしょう。

026お兄ちゃん、私は実の母親に何もしてあげられなかった

松澤建夫

南無阿弥陀仏

昨年4月、私の妹、素子から電話がありました。嫁ぎ先の母が亡くなって、四十九日の法要が終わった後だと記憶をしています。

義理の母は、高齢で入院生活が6ヵ月に及びました。亡くなるまでの2ヵ月は、嫁の務めとして付き添い看病をしたそうです。

「お母さん、誰だか分かりますか」

「素ちゃんだね、ありがとう」

亡くなる当日も同じ会話の後、眠るように逝かれたそうです。「あれも、これも、してあげればよかった」という悔やみの反面、実は「ホッとしている自分」に気づかされたと言います。

月命日の墓参りで、「ホッとしている嫁、恐ろしい根性をもった嫁」をお詫びしていたら、「素ちゃん、ありがとう」という最後の言葉が甦ったそうです。その時に、ふと「私を生んでくれた母に対して、私は何をしてあげたのか」という「問い」が込み上げてきて、義理の母に合掌をしながら、他界した実の母に、憶いを馳せたと言います。

「お兄ちゃん、私は義理の母に対して尽くしました。でもね、実の母には何もしてあげられなかったのよ。義理の母の墓前で、実の母にお詫びをしてきたのよ」

と、素子の涙声が受話器から流れてきました。生んでくれた母を憶念していたのでしょう。

「素子、良かったね、義理の母が実の母に逢わせてくださったんだね。お礼を申したかな。松澤家はお寺とのご縁が深かった。父母の葬儀、癌で逝った妻の葬儀の時も、兄弟姉妹七人が『仏教讃歌』で送っただろう、きっと、仏さまが素子を憶念してくださっているんだよ」

と、私の念いを伝えました。
広島在住の大石法夫先生が説いてくださった「姥捨山に捨てられる母が、背負って捨てに行く我が子を憶念する、姥捨山のお譬え」が私の胸に甦り、正信偈「憶念弥陀仏本願」をいただきました。

南無阿弥陀仏

025『碑(いしぶみ)』より

佐々木達宣

1学期ももうすぐ終わろうとしていた頃、中1になる娘のいる部屋から、朗読の声が聞こえてきました。それは、1年生の国語の教科書に載っていた『碑』という題名の文章で、広島テレビの制作によるドキュメンタリーのシナリオでした。

昭和20年8月6日、朝、広島二中の1年生322人と4人の引率の先生は、建物疎開の作業のため、市内中島新町の本川土手に集合していました。そして、午前8時15分、原子爆弾が投下され、全員が亡くなったのです。そして、その半数近くは遺体を見つけることもできませんでした。その朗読が終わった後、それを聞いていた私も家内も、そして、読んでいた娘もしばらく口を開くことができませんでした。

今年も8月6日、広島において平和記念式典が行われましたが、今年は先のイラク戦争や北朝鮮の核開発問題など、不安定な世界情勢を通して、我々に平和というものの概念を、改めて問うた年でなかったかと思われます。それは、私たちが抱く平和に対する概念が、いかにあやふやなものであったかを露呈した形となったのです。私たちが求める平和とは、本来は恒久的なものであり、崇高な目的でなければならなかったはずが、いつの間にか、我々人類は一時的な、そして、政略的な平和を求めるようになったのです。つまり平和とは、単に戦争をしていない状態に過ぎず、力の均衡という、その危ういバランスが崩れた時は、再び戦時に戻ることを我々にまざまざと見せつけました。そして、戦争の常として、弱者が犠牲になるという現実も繰り返されたのです。

『仏説無量寿経』の中に、「兵戈無用(ひょうがむよう)」という言葉が出てまいります。仏教の広まっていくところには、軍隊も兵器も必要でないということですが、現実社会に重ねて考えた場合、先に述べた、政略や力を背景とした、その場しのぎ的な平和維持とは、ずいぶん次元の違う意味合いとなっていきます。しかし、争いの原因は人間の心の問題にあるのです。お互いの宗教や国家、人種を尊重し尊敬することができたなら、争いは起こるでしょうか。しかし、認めることができない、許すことができない私たちなのです。こういう私たちの在り方こそが「兵戈」なのです。そして、その自覚を促す願いが南無阿弥陀仏なのです。

広島の平和記念式典も今年で58回を数えました。その間、繰り返された人々の願いも、現状を見る限りまだまだ世界には届いていないようです。改めて、何をもって平和とするかを考えることが必要ではないでしょうか。

024鳥

藤井 信

先日、猫が車に轢かれたのでしょうか、道端で死んでいました。よくある光景と言えばそれまでですが、そのことで思い出したことがありました。

ある日の午後、お参りのため車を走らせていました。普段よく通る、あまり広くない道にさしかかった時、前方に車が連なって渋滞していました。この道で車が混んでいることなど今まで経験したことがありません。「何か工事でもやっているんだろうか?」約束の時間に遅れそうなので少しイライラしていましたが、車は一向に動き出す気配がありません。やがてやっと車が動き出し、なぜ道が混んでいたのかが分かりました。その原因となっている場所にさしかかると、二~三人の少年が立っていて、そのうちの一人が両手で鳥を大事そうに持っていました。見れば、鳥は怪我をしているようでした。おそらく、傷ついた鳥を保護しようとしてなかなかうまくいかず、そのために車が混んでいたのでしょう。少年たちは自分たちの行為を誇る様子もなく、ただ満足そうな顔をしていました。

世間では、よくいろんな動物たちが入れ替わり立ち替わりブームになっています。しかし、ブームという言葉が示すとおり、やがてその熱も冷めてしまうものなのです。しかも、そのことは当の動物が望んだものではなく、人間が勝手に無関心になるのですからいい迷惑でしょう。いかにも人間の身勝手さを示すものではないでしょうか。生き物のいのちそのものより自分たちの都合を大事にしているのではないでしょうか。

仏典童話に「いのちは誰のものか。それはいのちを傷つけようとする人のものではない。いのちを育もう、いたわろうとする人のものだ」とあります。私も「時間に遅れる、忙しい」などいろんな自己関心ばかりに心を奪われて、いのちそのものからの問いが聞こえなくなっていたようです。少年たちの飾らない満面の笑みに教えられたことでした。

023何を中心にお参りしていますか

渡邉 恵

ご門徒の家にお参りに伺った時に、こういうお尋ねがありました。「私の実家の母親の法名を、この家のお仏壇に入れてもよろしいですか」と。その時、私は、「それはよろしいんじゃないですか」と言いましたら、安心された様子でした。その理由をお聞きしますと、「実家の兄弟といろいろありまして、私が法名を引き取ったのですが、どのように扱えばよいものかと悩んでおりました。自分の気持ちとしては、この家のお仏壇に入れてあげたいと思ってはいましたが、周りから、よその家の法名を自分の家の仏壇に一緒にするのはよくないなどと、いろんな声を聞かされ悩んでおりましたのでお尋ねしました」と、このように言われました。

お仏壇に関してこのようなことはよく聞くことです。この場合のように、他家の法名を入れてはいけないと考えた時のお仏壇の中心は、ご先祖ということになると思います。ご先祖が中心のお仏壇であれば、当然他家の法名は入れることができない訳で、その家の先祖だけのものです。

そこで考えていただきたいことは、真宗のお仏壇の中心には、阿弥陀如来がご本尊として安置されているということです。しかし、そこにお参りしている人たちは、ご先祖が中心と思ってお参りしています。そうしますと、阿弥陀如来が中心に安置されておりながら、大事なことがどこかへ行ってしまった状態です。ここに、この問題の大切な点があると思います。

私たちがお参りをする時、どこに向かってお参りをしているのか。ご先祖が中心なのか、阿弥陀如来が中心なのか、何を中心にお参りをしているのかをはっきり確認することが、このご門徒さんが言われたことの問題を解くカギであるように思われたことです。

022夕顔

大谷 聡

昨年の種が落ちて、庭に朝顔がたくさん生えました。だいぶ遅れて夕顔も生えました。朝顔は真っ赤なもの、しぼりになったもの、青いものと朝早くたくさんの花が咲きました。遅れて夕顔も咲き出します。夕顔は夕方に白い花を咲かせます。夕顔は来る日も来る日も白ばかりです。皆さんのお家のお庭でもそうでしょうか。ふと私は、夕顔も赤や青に咲きたいことがあるのだろうかと思いました。

人間だったらどうでしょう。ルーズソックスやピアスが流行れば、それを身につけ、茶髪が流行れば、誰しもが茶髪にします。初めは批判していた人も見慣れるともう何も言わなくなり、それどころかそれが普通になり、ともすれば染めていない人に対して、「ダサイ」とか、「遅れている」とか言う人の方が多くなります。それが世俗の現実ではないでしょうか。

あるいは、我々の日暮には、人が人とも見えなくなる様な、醜い事件や有様が氾濫してはいないでしょうか。しかもそのことを、自らの都合の内に自らを正当化してはいないでしょうか。それが、あの純白の夕顔に対してでさえ白い花を黒い色に変えてしまいかねない現実なのではないか。

釈尊は『阿弥陀経』の中で、極楽浄土の有様を説かれた中に、「池中蓮華(ちちゅれんげ)、大きな車輪の如し、しかも青色(しょうしき)には青光(しょうこう)、黄色(おうしき)には黄光(おうこう)、赤色(しゃくしき)には赤光(しゃっこう)、白色(びゃくしき)には白光(びゃっこう)ありて、微妙香潔(みみょうこうけつ)なり」とあります。(真宗聖典126頁)

それぞれの花の色の個性美、輝きながら独立して花咲く自尊の生活を説かれています。そう、夕顔は決して赤くなんか咲きたがっていないのです。

世俗の動きに振り回されている私、流行に振り回されている私、ささいな人の言葉に右往左往している私です。その私自身の姿を『阿弥陀経』のこの言葉に照らしてみると、自らの取るべき態度・進むべき道が、自ら開けてくるのではないでしょうか。

021いのちを感じる

松下至道

朝やけ小やけだ 大漁だ。
大ばいわしの 大漁だ。
はまは祭りの ようだけど
海の中では 何万の
いわしのとむらい するだろう
「大漁」と銘うたれた、童謡詩人金子みすずさんの詩です。ご存知の方も多いでしょう。
大漁と喜ぶ人々の見えないところで、魚たちは弔いを出して悲しんでいる。
私たちのいのちを育むために、他のいのちがその犠牲となってくれているという現実を詩にしてくださっています。いのちに対する深いやさしさ、悲しみの眼を感じます。

私は毎日、多くの動物や植物をいただいています。その中でうまい、まずいを言い、食べ残すこともたびたびあります。私のいのちの糧となる為に料理される肉や魚・野菜に対して私は、金子さんのような眼で見たことはなかったなぁと思いました。

私のいのちは、他のいのちの上にしか成り立たないものです。自分の思いなど関係ないいのちが抱える現実なのです。「私のいのちなんだから私がどうしようと勝手」「私の思い通りにする為には他人のいのちを奪ってもかまわない、仕方がない」最近のテレビニュースを見ていると、そういう思いが画面から見えてきます。

しかし、いのちは私の思いの中にあるものではありません。思いを超えて私を生かしてくれているものが、いのちなのだと思います。他のいのちの上にしか成り立たぬ私のいのち。そこには大きな悲しみがあるのではないでしょうか。仏教では、仏さまの私見てくださる眼を「大悲」といいます。そこにはいのちのもつ大きな悲しみがあります。仏さまは、私のいのちとなって、生きとし生きるものとなって、私に対して「いのちの悲しみに触れ、そのいのちを感じて生きて欲しい」と、そういう願いを念仏となって叫び続けてくださっているのではないでしょうか。

人間が本当に自分や他人を大切にするためにはそういういのちの悲しみを感じ、念仏となって出てきてくださる仏さまの願いを聞き続けていくことが大切なのではないかと思います。

020病から教わったこと

海老原章

ちょうど1ヶ月程前のことです。朝起きてみると、自分の右肩が痛く、時間が経過するにつれてその痛みが段々ひどくなり、日常生活をすることもままならなくなってきました。
翌日、その痛みに耐えがたく、整形外科の先生に診察してもらった所、結果は「肩の関節に石灰がたまり、それが原因で炎症を起こしている」ということでした。その場は、その関節にたまった石灰を溶かす注射を打ってもらい、痛み止めの薬をもらって帰宅しました。

その後、注射と痛め止めの薬の効果もあってか、痛みは徐々に消え、日を重ねるごとに右肩の調子もよくなっていきました。

病にかかっていた時は、私自身、その痛みや身体の不自由さを受け入れることができず、早く元に戻して欲しいと思うばかりでした。今にして思えば「早く元に戻して欲しい」という思いは、実は今まで何の不自由さも感じず、身体のどこかに痛みもなく、自分自身の思うように身体を動かせることが、何の疑いもなく当然のこと、当たり前のこととして考えていたということであったように思います。

その当たり前のこと、当然のことのように思っていた「自分の思いや計らい」とい自己主張を、これまで幾度となく繰り返してきたような気がしています。しかし、それがかえって自分自身というものを苦しめてきたのではないだろうかと思えてなりません。

この私に降りかかった突然の病によって、少しだけ「我が身」が照らし出されたような気がします。しかし、現在の私は、その時の痛みや身体の不自由さも忘れ、毎日を惰性のように無駄に過ごしているような気がしています。

019香

藤井恵麿

私は、お線香に限らず、煙とか強い香りが苦手です。ですから、門徒さんの家などの法要の場で、たくさんのお線香に火を点けられたり、たくさんのお焼香をされたりする方がおられると、その香りが体中に残ってしまい、嫌な思いをします。そのような時、思わず「一体、お線香を焚く意味とは、お焼香の意味とは何なのか」と考えてしまします。

そのようなことを考えながら、香りを消すために家に帰ってきてから顔を洗っていた時です。「本当にしつこいなぁ」と思わずため息が出た時、気づかされました。実はこの香りには大切な意味があることを。

最初、お線香・お香は形がありそれが燃えて煙が出ます。ここまでは、われわれの目で見ることができます。香りには形がありませんが、しかし我々は、その香りからお線香・お香を思い浮かべるという意味においては、先に亡くなっていかれた人に対しても全く同じではないでしょうか。

先に亡くなっていかれた人に対する思いはいろいろあるでしょうが、一番大切なことは「念仏の教えに導かれ、人生を全うされた」ということではないでしょうか。だからこそ、真宗の儀式に則ったお葬式をし、それに伴い法事を勤めさせていただくのではないでしょうか。そのことを改めて確認させていただくことが、法事においても大切なことではないのでしょうか。

ですから、お焼香の時、合掌していただくのは、香りを通して、念仏の教えに導かれ、人生を全うされたその人の生き方を深々といただくことではないかと思います。金子大栄先生の「花びらは散っても花は散らない、人は去っても面影は去らない」という言葉が静かに胸に響いて参ります。

018満之に聞く

伊藤英信

今月は清澤満之先生についてお話をすすめております。

そろそろ夏の虫の声が聞こえてまいります。蝉やキリギリスの声は、時に心を癒してくれます。また時には、「よく聞こえますか」と私の耳の働きを確かめてくれているようです。梅雨は大地を潤し、さまざまな生命の糧を育んでくれます。空気も日光も、木々の緑も、そして虫の音色までもが、私の存在にとって何一つ欠かせないものであることを、つい忘れてしまいがちです。

自然をも支配下に治めたような錯覚に陥って生きている現代人に対して、清澤満之先生は、自分がこの世に存在する根拠を「絶対無限の妙用(みょうゆう)」「一大不可思議の妙用」「他力の妙用」と表現せられました。自分の思いや計らいに先立って、さまざまな人々や物との深い結びつきのまっただ中に、自分を生かしてくださるはたらきを「妙用」といわれるのです。

「絶対無限の妙用」とは、無量寿、無量光たる阿弥陀仏のはたらきであります。私たちは、清澤満之先生のお言葉を通して、日々の生活が何を拠り所として生きているのか、まさに自己の立脚地を問われているのであります。

NHKテレビに「不思議大自然」という番組があります。さまざまな地球上の動物の不思議な生態をとり上げ、それを知識として理解しようとするのでしょうが、不思議とは本来、人間の思慮や分別が至らない働きであり、私もまたその妙用に生かされていることを決して忘れてはならないと、先生は私たちに問いかけていてくださるのです。