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011無上尊(むじょうそん) 

飯田尚子

今回は、「無上尊」という言葉についてお話したいと思います。「無上尊」とは、この上もなく尊いという意味です。

釈尊はお生まれになった時、「吾、当(まさ)に世において無上尊となるべし」と言われたと伝えられています。世に生まれたのは無上尊になるためだと。「天上天下(てんじょうてんげ)唯我独尊(ゆいがどくそん)」とも言われています。ただ我一人尊い、この世の中にあって、何が本当に尊いことなのでしょうか。

私がそのことを強く感じたのは浜崎あゆみの「End of the World」という歌からです。最初の歌詞は「自分よりも不幸な人を見ては少し慰められ、自分よりも幸せな人を見つけたなら急に焦ってる」というものです。その歌を聞いた瞬間「私のことだ!」と思いました。「不幸な人」をどこかで自分の慰めに見ていた事実を否定できませんでした。

私たちは人より自分の境遇は良い方だと思って安心を得たり、他者と比較することで自分の価値を見出そうとします。そうしなければ「自分」を保っていられないような不安が根っこにあります。

その後に続く「幸せな人を見つけて焦る」というものは、人よりちょっと幸せでありたいという欲求や、もしくは、何で自分だけ…という悲壮感から起こる焦りを歌っています。どんな人でも比較対象にしていること、他者との関係の中で無意識に上下をつけて見てしまっていることを改めて気づかせてくれる歌詞でした。その後、歌は「私は何を思えばいい、私は何て言ったらいい」と続きます。そんなあり方に疑問を投げかけてきます。

源信僧都(げんしんそうず)が著した『往生要集』(巻上)のなかには、「もし智慧ある人、一念も道心(どうしん)を発(おこ)せば、かならず無上尊となる。つつしみて疑惑をなすことなかれ」とあります。「道心」とは菩提心(ぼだいしん)のことです。菩提心とは仏道を歩もうとする心です。仏道を歩むこと、それは一人の旅であり、同時に独立して立つことのできる身になるということだと思います。仏をこの身の上にいただいて、自分の向いている方向が定まると、一人(いちにん)になれます。「いちにん」それは孤独な存在を指すのではなくて、一人一人が「いちにん」として見いだされていく、比べる必要がなくなるということです。

しかし、やはり隣の人は気になります。優越感や劣等感は次から次へと起こっていきます。そんな時、「無上尊」という言葉を思い出します。何を求めるのか、何が願われているのか。「無上尊」の意味を問い続けることによって、尋ねていきたいと思います。

010孫とのかかわりの中で 

高尾輝子

毎週金曜日は、娘が仕事を終えるまで二人の孫を我が家で預かることになっています。

いつものように保育園に迎えに行き、一人を車に乗せ、次に小学2年の孫を自宅に迎えに行く途中、その子が友だちと二人で歩いているところに出会いました。そこで、孫に「一緒に乗っていく?」と聞きました。「いい」との返事。「じゃぁ、気をつけてね」と言って、先に孫の家へ行って待っていますと、間もなく友だちと別れて走って帰ってきました。孫の家から我が家へ戻る車の中で、小2の孫に「おばあちゃん、さっき私だけに車に乗っていくって言ったの?」と聞かれ、とっさに返す言葉がありませんでした。「もし私だけ車に乗ったら、お友だちが一人になるでしょ。学校で一人では絶対帰らないようにって言われとんのやに」と。なるほどそうであろうなぁと、最近の幼児・学童に対する犯罪の多さが思い起こされました。私の都合で、「こうしたら」とか「それは止めたら」とか、つい口を出してしまいがちな自分であったなぁと、孫から気づかされたことでした。

そして、このことをきっかけに考えさせられたことがあります。例えば、世界のどこかで事件・事故が発生すると、テレビ・ラジオのニュースの中での「けが人何名、亡くなった方何名でした。その中に日本人は含まれていませんでした」とのコメントに、「日本人が巻き込まれていなくて良かったな」と、つい思ってしまうことがあります。また、子どもたちが犯罪にあったとしても、もちろんそのことに対しては非常に怒りを感ずるのは当然ですが、我が子や孫でなくてほっとしている自分がいることに気がつきます。

身内さえよければ、自分さえよければの思いが私の中にあるということを否定することはできないでしょう。

009彼岸 

原田憲昭

「彼岸」と題しましてお話を申し上げたいと存じます。

私の記憶では、小さい頃、彼岸になると母親がよくぼた餅を作ってくれました。仏様にお供えしますが、待ちきれなくて食べていたことが思い出されます。

昨今、若い人は宗教に対して関心が薄れてきたと言われております。しかし、この彼岸の季節になると、日本各地で家族そろってお墓参りをする姿をメディアで拝見いたします。私の寺でも例外ではありません。お墓を回ってみますと、ほとんどのお墓が綺麗な花に変わっております。

このように、私たち日本人には彼岸という概念が存在意識にあり、人々をその方向に動かしめているのではないでしょうか。その意識の背景には何があるのでしょうか。

自分の都合に左右される私たちの日常生活は、たいへん苦労するものであります。苦から逃れるために、楽なるものを求めて一生懸命に力を注いで生きております。仏教では楽になりたい心が消えたことが、涅槃(ねはん)であると言われております。楽にならなくてもいいと思う世界、喜んで苦楽を受け取っていける生き方が、生死を超える道であると教えております。

親鸞聖人のご和讃に

無明(むみょう)長夜(じょうや)の燈炬(とうこ)なり

智眼(ちげん)くらしとかなしむな

生死(しょうじ)大海(だいかい)の船筏(せんばつ)なり
罪障(ざいしょう)おもしとなげかざれ (真宗聖典503頁)

とありますように、お念仏の光によってこの無明の世界を照らして、絶対に間違いのない「彼岸」に生まれさせていただくことです。

先月21日、ご門徒の伊藤さんが81歳で亡くなられました。3年前に奥様を亡くされ、ご本人もその頃がんを発病され、入退院されておりました。その中で、「楽になろうと思って財を作ってきたけれども、自分にとって何の役にも立たんことでした。ただ仏様を信じるだけです」と言われ、手を合わせ、小さい声で「ありがとう。ナムアミダブツ、ナムアミダブツ」と言われました。

伊藤さんは仏様の呼び声に触れられ、自己の内面に目覚めて、お念仏を申す身となって、往生の道を開かれたことと思います。

008きつーいごさいそく 

池井隆秀

つい先日、NHKの『ラジオ深夜便』の番組の中で、小児がんで子どもを亡くされたご住職の放送がありました。みなさまの中にもお聞きになった方があるかと思います。
山口県は長久寺のご住職・有国智光氏で、「小児がんの息子と向き合った日々」と題してお話されました。長男の遊雲君が小学6年生の時、足首に腫瘍が見つかり、それががんと宣告されます。あと3年の命であると聞かされた後、息子さんと向き合った様子をお話になりました。

最初は、お医者様から最悪あと3年と言われたのだから、治療によっては元のような健康な体に治る可能性もあるであろうと、さほど動揺しなかったとのことでした。治るということで手術室に向かう遊雲君がいました。

学校の好きな遊雲君は、これから休まずに学校に通えると思っていた矢先、中学2年生の時、二度目の入院で転移が見つかり、片足を切断することになったそうです。「もう元には戻れない」とお話をされ、病気と闘っている遊雲君。そばでご一緒だったご家族方の思いは、私どもには到底思い量ることができません。ご住職は遊雲君に「何が起こっても大丈夫だからね」と言葉を交わされたそうです。

やがて、遊雲君は命を終えていかれました。これで高校生の遊雲君の姿は見られない、わが息子に代わってやることもできない。ご住職は、独り生まれ、独り死んでゆく現実のただなかで、遊雲君となかなか出会うことができなかった、と言われています。
そんな中、ご自坊の近くに住む浄土真宗のご門徒さんであるおじいさん・おばあさんが昔から言っておられた「きつーいごさいそく」という言葉によって、遊雲君との出会いの扉が開かれたとお聞きしました。このことは私たちに大切なメッセージを投げかけてくださっていると思います。

遊雲君が亡くなられた2007年に、私の寺の総代さんが50歳代の末で命を終えられました。その奥さんが私に「私は今、悲しみ、苦しみ、辛さのどん底におります。これ以下はありません。これからは立ち上がることだけですから」と述懐されたことが思い出されます。このことは、厳しい現実を「きつーいごさいそく」として頷かれたということではないでしょうか。

身の回りに起こる様々な出来事が厳しければ厳しいほど、私たちは逃れることに必死になります。何かに、どこかに、そのはけ口を求め続け、逃げ回っている現実があります。どうしようもない現実を「きつーいごさいそく」として感得できた時、確かな歩みが始まるのではないかと教えられたことでありました。

007熊とお念仏 

川口昭

久しぶりに会ったK君から、お念仏の話を聞いた。K君とは学生時代の同級で、以前より3年に一度クラス会を開いており、昨年は鳥羽に集まり、一晩中近況報告やらして、旧交を温めていた。その時のお話であります。

もともと学生時代より山を愛した人でしたが、40年過ぎた今でも山に登っているそうです。山には何人かで登る時もあれば、1人で登る時もあるそうです。彼は北海道へ1人で行った時、北海道には熊が多いので腰に鈴を3つ付けて、チリンチリンと鳴らしながら登ったそうです。熊と遭遇しないためには、こちらにはたくさんの人がいるぞと存在を知らすことが一番。それで鈴を付けて登るのです。それでも彼は不安だったのか、大きな声で「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」とお念仏を称えると、妙に安心感が出て登ることができたとのことです。

その話を聞いた時、お念仏を利用しているようにも聞こえたのですが、彼にしてみればたいへん心強く思ったのは確かなようです。

お念仏には、例えば、夜、墓場の近くを歩いている時に称えようと思う念仏もある。無意識であっても魔よけの心が働いているのかもしれません。また、肉親の死に会って悲しみに暮れて称える念仏もある。また、台本にあるから仕方なしに称える俳優の念仏もあるかと思います。彼のは熊を意識しての念仏ですが、称えることによって、私一人ではないぞ、と熊に知らしめているのです。

このことを聞いた時、ふと「一人居て喜ばば二人と思うべし、二人いて喜ばば三人と思うべし、その一人は親鸞なり」(『御臨末の御書』)と頭の中をよぎったものでした。

006蝋梅(ろうばい)

伊藤誓英

昔、参道に蝋梅という木がありました。黄色の蝋細工のような色と艶の花を咲かせるので、蝋梅と呼ばれているそうです。

当時、境内整備の事業の一つに参道の木を伐採し、新たに駐車場を造るという計画があり、その伐採される樹木の中に蝋梅がありました。

その中でも一番手前にあった蝋梅は工事作業車が引っかかるとのことで、針金でグルグルに縛られたり、邪魔なところをザクザクと剪定されたりと、まあ最終的には処分する木だということもあり、たいへん雑な扱いでした。そのため樹形としては無残な姿になっていました。

ある日お参りに来られた門徒さんが、

「この蝋梅は無くなるのですか」

と聞かれました。

「そうなんです。移植するにも場所もないので…。かわいそうですが」

と話していると、

「残っている枝を切っていってもいいですか。床の間のお花にしたいので…」

私は内心「こんな不恰好に剪定された枝で生け花なんて…」と思っていました。でも、後日その門徒さんの家へお参りに行くと、床の間にその蝋梅の花が生けてあり、たいへん美しく、まさに一本一本が互いをかばい合い、助け合っているように立てられていました。私は本当に驚いたことを今でも覚えています。

生活の中には色々な「とらわれたものの見方」があります。それは物だけではなく、他人に対しても自分自身に対してもだと思います。私には囚われがあるにもかかわらず、その囚われている事実には自分一人だけでは気づくことができません。この出来事から、私自身の囚われによってこんなにきれいな物を不恰好とみていた自分を知りました。まさに、その門徒さんと蝋梅に囚われをもつ私の姿を教えていただいたのでしょう。

今でも蝋梅の花を見るたびに問いかけられます。私の囚われの存在を…。

005賜った命 

一色一念

宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌テーマ「今、いのちがあなたを生きている」に沿って、私の命について考えてみたいと思います。

命とは、この身のどこに在るのか、やはり身体全体をさして言うのであろう。言い換えれば、存在そのもの、存在こそが、命であるのでしょう。この私の命は、大昔からの継承に因るものです。御先祖様方を想えば、互いの夫婦でありました。御縁、御縁と御遠続きであります。その御縁を私もいただいております。子どもも授かりました。何と不思議な因縁なのでしょう。夫婦となるのもいろいろな要因があったに違いありません。多くの人々の中から、互いに一人だけ選ばれたのです。間違いなく受け継がれてきました。もし一人でも過去に欠けていたならば、また別の御縁があったならば、この私の存在は無かったでありましょう。

また、ここに生まれただけでなく、数限りない他の影響を受けて、育てられ生かされて命が保たれてきました。想像を超えたものです。それだけに「この命は尊いのだ」と一言では言えないほど、重いものではないでしょうか。

そのような尊い命を、今私にいただいているのだと思うと、軽はずみに暮らすことが恥ずかしく思えてきます。生きているとは、命を賜っているのだと気づかされます。生かされているとなります。そのような、ありえそうもないほどの命を賜っているだけに、限りある一生をどのように生きていったらよいか考えさせられます。無意味で虚しい人生にならないよう、できれば生き甲斐のある満足感、充実感のある人生でありたいと思います。それができるのも、やはり仏法に出遇わせていただかなければ、叶わないことではないかと思います。なぜならば、それを確認することすらできないからではないでしょうか。

何とか楽をしたい、怠けたいと、我欲も出てまいります。そのような自分の在り方に気づかされるのは聞法するほかにはないのではないか、聞法生活こそが本当に生きることではないでしょうか。そのようにいただいております。

004私の居場所 

水谷秀子

境内にいくつかの数字が刻まれた石があります。北緯35度0分39秒・東経136度32分39秒・標高46.5メートル。これは蓮行寺の位置を示している数字です。

村の子どもたちや、ウォーキング途中に立ち寄られる方がのぞき込んでいかれます。私も境内の掃除をしている時、いつも見ています。子どもたちは関心をもっているのでしょうか。また、大人の方々はどんな思いで見ていてくださるのでしょうか。そんなことを思いながら見ていると、石が私に語りかけてくるような気がします。「お寺の位置ははっきりしているけれど、あなたの居場所ははっきりしていますか」と。

毎日が忙しい忙しいで明け暮れて、そんなことは考えてみたこともなかったものですから、びっくりしました。本当に大切なことに気づいていなかったのです。

では、私の居場所がはっきりするには、どうすればいいのでしょうか。住職に尋ねましたら、

「自分の居場所を見つけるには、自分が何であるかをはっきりさせることが大事。もちろん、それは私の問題でもあるけれど」

と助言してもらいました。ますます困ってしまいました。私のことは私が一番分かっているつもりでいましたから。

明治の親鸞と言われた清沢満之先生が「自己とは何ぞや、これ人生の根本問題なり」とおっしゃったことが浮かんできました。

このお言葉、すぐにはぴんときませんがたいへんなこと。私には荷の重いことですが、私の問題なのです。それからも石に刻まれた数字に眼がいきます。こんなにすっきりと数字に表せたらいいのになぁと思います。

この難題は私に課せられた大事な大事な問題なのだと思っています。

003言葉

大橋宏雄

昨年、宮城顗(しずか)先生が亡くなられました。縁あってお通夜とお葬式を手伝わせていただきました。その後、一緒に手伝いをした方々と食事に行った席でのことです。皆さん、「大切な先生がいなくなってしまった」「あの講義の続きが聞きたかった」と、亡くなられたことを残念に思う気持ちを話しておられたのですが、ある方が誰に言うでもなく、ぽつりと話された言葉が私の中に響いてきました。それは、「死んでから出遇うこともあるからねえ」「一度出遇っていれば、何度でも出遇い直せる」という言葉です。

「出遇い直す」という言葉は、宮城先生のお話の中で初めて聞いた言葉でした。そして、その言葉を実感したのはある学童保育所とフリースペースでの子どもたちとの出遇いでした。フリースペースというのは不登校の子どもたちの居場所として開かれているところです。その学童保育とフリースペースは私の親戚のお寺がやっていましたので、スタッフは私が小さな頃から知っている伯父や従兄弟でした。しかし、そこの子どもたちとの関わりの中で、「先生」「お兄ちゃん」と呼ばれる伯父や従兄弟と、一人の人間として出遇い直したのです。それは、つまり「本当に大切なことは何か」ということを一緒に考えていく仲間になったということです。今でも私は伯父や従兄弟と出遇い直させてくれた子どもたちにとても感謝をしています。

それ以来、私は「出遇い直す」ということを何度も人に話してきました。それにも関わらず、「死んでから出遇うこともあるからねえ」「一度出遇っていれば、何度でも出遇い直せる」という言葉が、まるで初めて聞くように私の中に響いてきたのです。これには驚きました。「そうそう、そうなんだよ」と共感するのなら分かるのですが、なぜ初めて聞いたように感じたのか。

それは、私が「出遇い直した」と感じた人は生きていたからではないかと思うのです。「出遇う」ということにその相手が生きているか、死んでいるかは関係がありません。しかし、私は自分の体験に囚われて、死んだ人と「出遇う」ことがあるとは思ってもみなかったようです。そのような私ですから、「死んでから出遇うこともある」「一度でも出遇っていれば、何度でも出遇い直せる」という言葉を、初めて聞いたように感じて驚いたのでしょうし、ある意味では初めて聞いたのだと思います。そしてまた、その言葉はある方の口から出た言葉ではありますが、その場を与えて下さった宮城先生の言葉でもあると思うのです。

何か言葉の持つ意味を超えて、私の姿を一つ、照らし出して下さったように感じています。

002大悲に懐かれて 

梛野芳徳

私の住んでいるところは志摩市の沿岸部で、いわゆる高齢化が進み、将来的にはより一層過疎化が進行していくと思われる地域です。住んでいる人の多くは、半農半漁で素朴な生活を営み、年老いた親を抱え、介護の問題に直面している人も少なくありません。そんな中で生活していると、時々、

「うちのバアさん、もう早く逝ってくれんかなあ」

という声を聞くことがあります。「バアさん」とはこの地方では母親のことを言います。介護という問題に直面したとき、自分の親に対してまでも死を願うということに嫌気がさすというか、うんざりすることがあります。

私も妻も三男と二女ということで、遠く親元を離れていることもあり、また、まだまだ親も老後というような歳ではなく、介護のことなど真剣に考えていないのが現実です。それどころか、年老いた親を抱えて「早く死んでくれたら」と思ってしまう人を蚊帳の外から冷やかに軽蔑しているのが私の事実です。

そんなとき、とある本にこのような言葉を見つけました。

あなたがいつの日か

「生まれてよかった」と思ってくれれば

私は幸せ

文面から想像するに、母親がその子どもにかけた言葉のように思います。私たちはみな、自分の親ですら、いざとなったら「早く逝ってくれんかなあ」と思ってしまうようなものをお互いにもって生きております。そんな私たちに対して、「どんなにたいへんなことがあっても生まれてよかったといえるようなものになってね」と願い、そのことひとつを自身の本当の幸せと見据えておられます。この大きなこころに触れてはじめて、薄情で非人間的な私を許してくれていたのだなあ、許されておったのだなあと気づかされます。

この言葉は具体的な親子の関係に現れ出た、大いなるほとけさまの慈悲の心、如来大悲の御こころと拝受いたしております。