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033「お待ち受け」の忘れもの

岩田信行

宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌法要がいよいよ来春に迫りました。この12月21日から始まった真宗本廟報恩講は、謂わば「お待ち受け」の総仕上げです。

その押し迫ったところで、「いまさら」とお叱りを受けそうですが、改めて「お待ち受け」ということを再確認したく思います。

宗祖の85~6歳頃の有阿弥陀仏(うあみだぶつ)宛のお手紙の結びに、

この身はいまはとしきわまりてそうらえば、さだめてさきだちて往生しそうらわんずれば、浄土にてかならずかならずまちまいらせそうろうべし。あなかしこ、あなかしこ。(『末燈鈔』12 真宗聖典 607頁)

と、親鸞聖人ご自身の願生者の情がしたためられています。

このお言葉を素直にいただくとき、「お待ち受け」するのは、御遠忌法要に遇う「わたし」ではなく、親鸞聖人がこの「わたし」を「お待ち受け」くださっておるのだということになります。すると途端に、「お前はどの面さげて御遠忌に行くのか」と幾人もの先達の顔が浮かんできます。「物見遊山のつもりは毛頭ありません」と言い切りたいところですが、そんな心が無いと言い切れない「わたし」があります。

「真宗門徒一人もなし」の懺悔(さんげ)に始まった同朋会運動「初」の宗祖の御遠忌です。部落差別・靖国問題、開申(かいしん)事件以来の教団問題、宗門の戦争責任、憲法9条の問題等々、「状況」は宗門体質とともに「あなたは真宗門徒なのですか」と問われ続けて「今」があります。

かつて平野修先生は平成10(1998)年蓮如上人五百回御遠忌を「慚愧(ざんき)の御遠忌」と表白(ひょうびゃく)されました。蓮如上人に申し訳ない、恥ずかしい、と。その際、宗祖の御遠忌は誰もが「讃嘆の御遠忌」と仰がれることは異論も反論もないでしょう、とおっしゃっておられましたが、私たちに果たして今、そう言い切れるのか、厳しい教言となって迫ってきます。

私は、歳50半ばを過ぎましたが、自覚的には、親鸞聖人をして750年間「待ちぼうけ」させてしまってきた「わたし」があることを、「御遠忌」を前に考えさせられています。

ある研修会で「この国には二つの族がある。一つは皇族、そしてもう一つは寺族だ。この二つの族を自己に課題化することなしに『真宗門徒』はないと言っては言い過ぎなのか」とおっしゃっておられた先輩がありました。

宗門では修復なった御影堂の「見真」額が問題になっています。ちょっと視点が変わりますが、宗祖滅後750年間の宗門と日本人・人間の体質を貫いてある問題を課題化する教材(教化の貴重な素材」として、親鸞聖人を「待ちぼうけ」にしてしまった、その気づきの験(しるし)として、今私たちは「見真」勅額に注目しています。

032拠り所

片山寛隆

私たちは人生の価値として、健康・お金・能力を身に着けて、人生の意味を見出そうと生きています。それを先人・清澤満之という方が、人間とは「外物を追い、他人に従うことをもって己としている存在」だと言われました。しかし、健康もお金も友だちも、本当の人生の拠り所とはならないことも知らされてくるのが、人生を歩むということでもあります。外が私という存在の拠り所とならないということになった時、初めて拠り所を内に求めるという働きをするのも、人間の在り様でもあります。

「誰も当てにならん。当てにしていたこと自体が間違いであった。これからは、他を当てにしてきたことを反省し、自分自身がしっかりと生きていく道を歩むのだ。自分自身を拠り所にしていこう」

このような意見に同感だとおっしゃる方がいらっしゃるのではないかと思います。そして、その自己を見つめ、「長い人生を振り返ってみると、反省することばかりです」と言われる方がいらっしゃいますが、人間というのは案外自分を買い被っているということがあります。宗教哲学者のティリッヒという人が、「人間というのはどこかで自分を肯定している」と、こう言っています。例えば、誰かに「あなたはちゃんとやっていますか」と尋ねられると、たいてい「私は他人に後ろ指を指されるようなことはしていない」と自己肯定するものです。

ですから、自己反省すると言っても、そこに本質的に自己肯定の体質をもつということから一歩も出ていないのであります。南無阿弥陀仏の教えとは、その自己反省しているという私を破ってくださる教えであります。

031念仏の息たえましましおわりぬ

渡邉浩昌

弘長2(1262)年11月28日、親鸞聖人は90年の生涯を終えられます。その時の様子が『御伝鈔(ごでんしょう)』に伝えられております。

仲冬(ちゅうとう)下旬の候より、いささか不例(ふれい)の気まします。自爾以来(それよりこのかた)、口に世事(せじ)をまじえず、ただ仏恩(ぶつとん)のふかきことをのぶ。声に余言(よごん)をあらわさず、もっぱら称名(しょうみょう)たゆることなし。しこうして、同(おなじき)第八日午時(うまのとき)、頭北面西右脇(ずほくめんさいうきょう)に臥(ふ)し給(たま)いて、ついに念仏の息たえましましおわりぬ。時に、頽齢(たいれい)九旬に満ちたまう。(真宗聖典736頁)

時代とともに生き、自らに課せられた使命を果たし尽くし、後は全て自己の思いを超えた世界に任せ切られた親鸞聖人を窺い知ることができます。

この言葉から思い起こされるのは『歎異抄』九章です。

なごりおしくおもえども、娑婆(しゃば)の縁つきて、ちからなくしておわるときに、かの土(ど)へはまいるべきなり。(真宗聖典630頁)

賜った境遇を自己の世界として生き切ったがゆえに、力なくして終える時「かの土」へ自分を任せ切ることができる。正に『御伝鈔』で語られる「念仏の息たえましましおわわりぬ」です。

大正5(1916)年、胃潰瘍により49歳で生涯を終えた夏目漱石は、死ぬ1カ月前に、「則天去私」という言葉を使っています。「則天去私」とは「普通自分自分という所謂小我の私を去って、もっと大きな謂わば普遍的な大我の命ずるままに自分を任せる」という意味だそうです。「小我」の自分を尽くし切って、始めて「普遍的な大我の命ずるままに」無条件に自分を任せることができる、ということではないかと思われます。

報恩講の時期を迎えて、そう長くはないであろう自分の人生を思う時、『御伝鈔』にあります親鸞聖人のご入滅を思わずにはおれません。

参考 松岡譲『漱石先生』(岩波書店) 今村仁司『親鸞と学的精神』(岩波書店)

030仏の物差し

中川達昭

去る9月7日の新聞に「自殺やうつ病経済損失2.7兆円(毎日新聞)という記事が載りました。どういうことかというと、2009年に15歳から69歳で自殺した2万6539人が、亡くならずに働き続けた場合に得られた生涯所得額と、2003年のうつ病患者数の推計値を基にした失業給付額や医療給付額などの総額を推計したものだそうです。この試算は、厚生労働省が自殺問題対策の一つとして公表したそうですが、みなさんはどのようにお感じになるでしょうか。

確かに日本は、毎年自殺者3万人以上という状況が10年以上続いて、大きな社会問題となっています。政府も事態を深刻に受け止めた上での公表なのでしょうが、私はこのような試算をすることによってしか、事態の深刻さ、さらには「人のいのち」の重さを推し量ることができないのであろうかと思えてなりません。

つまり、私たちは、いつの間にか金銭や数値に置き換えないとその価値が分からなくなっているということです。それは人間の道具化、モノ化の象徴であり、人間存在の根底を否定するものに他なりません。

よく法話の中で「人の物差し/仏の物差し」という言葉を耳にします。「信心いただくということは物差しが変わるんや。それまでの価値観がひっくり返されることなんや」という訳ですが、では、この「仏の物差し」とは具体的にどういう物差しかといえば、それは「目盛りの無い物差し」と言えます。それは、それまでの物差しから単に目盛りが大きくなったのではない。目盛りをもたない物差しこそが「仏の物差し」です。全てにおいて、はかることができない、はかることが無い、そういう物差しです。

けれども、私たちは自分の物差しを捨てることができませんし、折々に社会が生み出した物差し(価値観)に振り回されもします。しかし、「仏の物差し」を一人一人が持つことはできます。「仏の物差し」に照らせば、「それは違うよ。それは間違っているよ」と言うことができます。

どうぞお寺に足を運んで、「仏の物差し」に耳を傾けてください。私が私であるために、「仏の物差し」を私たち一人一人が持ちたいものです。

029ほんとうの私

伊藤一郎

松阪市内から帰宅途中にこんなことがありました。

交差点で停車したところ、前の車から運転していた男性が降りてきて、私の車の窓辺に来て、「何かあるんか!」と怒鳴りました。私は突然のことに「何がだ!」と声高に言ってしまいました。

信号が変わり、前の数台の車が走り出していきました。彼の車もそれだけ言うと直ぐ発進し、途中、間もなく左折して道を変えて行きました。

ここ166号線は「大和高田松阪線」の名称で、奈良方面への主要道となっています。私の家は松阪駅より約25㎞の距離にあり、そのほとんどが追い越し禁止の道のりです。

今、考えてみますと、その日は夕方より会合の予定があり、その準備で急ぎ帰宅する必要がありました。時速50㎞の規制の中で、前の数台の車の追い越しはできません。「自分の思い」のみでつい前の車に接近しすぎたことが相手には腹立たしく思われたのだと、「その短い言葉」から察しられました。

この日、時間に追われている自分が、前を走る車で(全く思い通りにならない事態に)知らず知らずに攻撃的な走りをしてしまったのかと反省しきりです。

立場を変えてみると「なぜ、この後ろの車はこうも接近してくるのか、車間距離が必要なのに、しかも追い越し禁止を知ってのことか」等々と。

彼の姿そのままが思い通りにならずに苛立つ自分の身だと、深く反省の心が起こるまでにしばらく時間がかかりましたが、一つ間違えば事故にもなりかねない事態であったと気づかせていただきました。急ぐ理由があったとはいえ、「自分の思い通り」にしようという私の身勝手さを、「それでいいのか」と前の運転者が仏さまの光となって、この私に悟らせていただいたのだと今やっと気づくのです。

そんな身勝手な「ほんとうの私」がここに居ます。

常に自分を中心にすべての事柄を進めていこうとする私に、こんな形で仏さまが目覚めさせてくださったことなのだと、このこと・このご縁を大切にしていかなければと気づいています。

柱に掛かっている『日めくり法語』17(真城義麿『あなたがあなたになる四八章』)には、 「私のわがままは 当たり前 他人のわがままは 許されない」とあります。「許さない私」、胸に私そのものだと響いています。

028意業

芳岡恵基

今から7年ほど前にベストセラーになった本の中に、養老孟司さんの著書『バカの壁』があります。当時私は、本の題に「バカ」という文字が使われていることに驚き、急いで購入して読んだことを思い出しました。

「バカの壁」という意味について著書の中で養老さんは、「自分が知りたくないことについては自主的に情報を遮断してしまっている。ここに壁が存在します。これも一種のバカの壁です」と言われています。確かにその通りで、お参りや聞法会に参加する人はするし、気が無い人はどれだけお誘いしても参加されません。

また、養老さんは「強固な壁の中に住む。それは一見、楽なことです。しかし向こう側のこと、自分と違う立場のことは見えなくなる」とも言われています。つまり、「強固な壁」によって内にこもり外が見えなくなることで、自己(自分)中心の生き方になってしまうということではないでしょうか。

最近のニュースなどで問題になっている事件なども、これらのことが原因で起こっているのではないでしょうか。現代人の生き方そのものが、問われているように思います。

「バカの壁」ということを、宗祖の言葉に置き換えると「貪愛瞋憎之雲霧(とんないしんぞうしうんむ)」(真宗聖典204頁)になります。「貪愛」・「瞋憎」の二つの心こそ、真実の世界と私とを遮る壁となるのでしょう。自分で作った壁の中に居れば居るほど(内に閉じこもれば閉じこもるほど)自分は生きている、「俺は誰の世話にもなっとらん」といった錯覚に陥るのではないでしょうか。

壁によって真実の世界に会えない私たちは、正しく無明そのものです。それにより、思いで描いた自分を本当の自分であると勘違いして生活しているのではないでしょうか。思いに立って生活していた私に、改めてご縁に立つことの大切さを学ばせていただいた気持ちです。

027御遠忌ソングを門徒と共に歌う中で

檉豐

来年は宗祖親鸞聖人七百五十回忌法要が、3月19日より5月28日までの3ケ月間、京都、東本願寺の新しく修復になりました御影堂(ごえいどう)におきまして厳修されます。

私は、50年前の七百回御遠忌の時、専修学院の学生でした。その時、法要のボランティアとして参加しました。配属は参拝部でした。熱気あふれる全国の門徒が群集する様に出会い、そのエネルギーを肌で感じたことを、今日においてもありありと思い出します。来年、法要を迎える今、一寺院の住職として門徒と共に歩むことができるかということを思います。

このたびの御遠忌をお迎えするにあたり、御遠忌テーマ「今、いのちがあなたを生きている」のもと、テーマソング、イメージソングの歌詞を公募し、多くの方から願いのこもった作品が寄せられました。その中から4曲の御遠忌ソングが誕生しした。既にこの曲はラジオ、別院や各お寺で耳にすることがあると思います。その中で「今、いのちがあなたを生きている」と「なんまんだぶつの子守歌」の2曲は、教区、各組のお待ち受け法要の会場で、合唱団と会場のご門徒さんが一緒に合唱する場面があります。

この曲の中には、「なみだがにじにかわったよ みほとけさまもうれしそう」とか「数えきれない人たちに願われ生まれたおまえだよ…」という歌詞があります。そんな私のいのちであるということを門徒と共に歌うことが、私のいのちが「私だけ」を超えて大きないのちのつながりとなる歩みの一歩となっていくことを思います。

私はこの2曲を印刷した紙を、法要カバンに入れ、法事の時にみんなに配り、一緒に歌うようにしています。最初はシーンとしていますが、2回目からは、一緒に声を出してくさだいます。「ご院さん良い歌やね!」と。先日も夏休みお勤めの会のおさらい会の場で、会の50名の子どもたちと一緒に「けんかのあとのなかなおり…」と、力一杯歌うことができました。

せっかく誕生した御遠忌ソングが、様々な研修会・聞法の場で歌われることを念じています。「今、いのちがあなたを生きている」の「いのち」とは、生きとし生ける存在のすべてが、この大地に心豊かに、安らかに生きていくことへの願いであると思います。

026生きる意欲

池田徹

近年「生きる意欲」という課題を考えています。

我々の「意欲」は「条件的意欲」であって、思い通りに人生が動いている時はそれなりに「意欲」がある。一度、状況が壊れてしまうと意気消沈して落ち込んでいく。そして「被害者意識」に執りつかれ、周りを、自分を恨んでいくことになる。「なぜ、こんなことになったのか」と、自分の呟きに自分自身が呑み込まれ、出口のない憂いを抱えることになる。あたかも『観経』の韋提希(いだいけ)夫人のように。それは、言い方を換えると「生きる意味」の喪失であり、「未来」の喪失である。

この「意欲」という問題を学んでいく時、最近改めて関心を引くのは西光万吉さんである。明治28(1895)年に生まれた西光さんは、産み落とされた場所が徹底的に差別を受ける村であった。いわゆる「被差別部落」である。12、3歳頃から学校で直接、差別を受け始め、中学になってその激しさのあまり転校するが、新しい学校でも教師にまで罵倒され差別を受ける。学校を辞め、絵画を学び始め、その後、上京し更に学びを深め、入選するまでになったが、そこでも差別を恐れ、絵の世界からも遠ざかってしまう。読書にふけりながらも、死ぬことへの憧れの中で、生きることを慰めていた。

その頃の西光さんの心情は「生まれてくることが一番悪いのです。死こそが最高相の文化です。地上において私どもは果たして何を求め、何を望みましょう。一切は欺瞞です。不正です。不義です」ということであったそうだ。

そう呟く以外になかった西光さんが、ある出会いの中で、その5年後には、「運命」という文章の中で「吾々は運命を呟くことは要らない、運命は吾々に努力を惜しませるものではない、成就しなければならない大きな任務をもった今日の如き時代は幸福である。(中略)諦めの運命より闘争の運命を自覚せよ。(後略)」という西光さんに転じられている。

まさに「運命」というしかない厳しい現実を、自分に課せられた大きな「任務」として向き合い、「今日の如き時代は幸福である」と言わせ、「運命」は「努力」をさせていただくチャンスだ、とまで言い切る根拠は一体どこにあるのだろうか。現実に向き合う力、「意欲」がどこから生まれてきたのだろうか。そんなことが気になっている。

そして、西光さんは「人の世に熱あれ、人間に光あれ」と立ち上がっていく。「世」に眼差しを向け、「人間」存在に関心を向けることによって、新しい「意欲」を与えられ、同時に生きること、人生全体の「意味」を見出していく。それは真の使命を見出すことであった。改めてそんな西光さんに学び直したい。

025極重悪人

森英雄

「我々の人生は完璧に決まっていて、しかも完璧に自由である」

ある武闘家の格言と聞いております。この言葉について、私の尊敬する岐阜市在住の田中謙次先生から、「これは浄土真宗の教えとよく似ていますね」と約2年前の春に言われました。私は、当時は何のことか全然見当もつかず、黙って「ああそういうモノですか」という程度でした。

『正信偈』に「極重悪人唯称仏(ごくじゅうあくにんゆいしょうぶ)」(真宗聖典207頁)とあるように、極重の悪人の自覚と、仏名を称える心が体中から湧き上がることとが同時であると思い知らされてから、先程の言葉の背景がリアルに伝わってきました。

思えば、小さい頃から他人と自分を意識し、比較し、優劣をつけ、少しでも上に行くことが人間の幸せであると思い込んで生きてきました。給料の多さで人生の幸不幸が決まるかのように思い、少しでも多くのモノが増えることが幸せであると思い込んできましたが、そのためか自分の姿に関することや、能力に関することで、受け取り難いことについて、具体的に言うならば、足が短いことや兄より頭のできが悪いこと、太っていること、禿げていることなどを、この世に生を賜ってくださった親に対して、恨みの感情を持つことがたびたびありました。

それは、どうしようもないコンプレックスが我が身にあるということです。だからこそ、仏さまはその心を否定されようとはなされませんでした。そのコンプレックスが作る世界の地獄を私を通して見せてくださっていたのです。

嫌だ、恥ずかしいという思いは、厳密に言えば、他の人を縁として、私が私を嫌う心です。この心を無くそうとして聞法に励んできたようなものです。しかし、その自分を嫌う心(これが自我)が自分(煩悩の固まりの身)を追い込んでいくのです。そのまま実体的に捉えますと、完璧に地獄を造らざるを得ませんが、そのように思っただけという事実が、私を悪人という自覚に自然と誘います。

いろいろ都合の悪いことが起きると、逃げて、言い訳をして、他人の仕業にして、一人被害者意識に閉じこもる。これが自分を嫌う心であり、自我と呼ばれる正体です。そのままが他の人をご縁に思っただけ、という完璧に自由なハタラキに出遇う場でもありました。

どんな思いも実体化すれば囚われる。思ってしまう我が身であると目が覚めれば、嫌いな人が自分の本当の姿(極重の悪人)を思い知らせるご縁の人に早変わりです。対立があるから気づかされる。気づかされるから新鮮な感動を伴って、以前の意識を嫌わず、かえって罪深き身を教えていただく縁となる。そこから無限に展開する新鮮な初めの一歩が毎日誕生するようです。

024浄土

三枝明史

お釈迦さまが教え、親鸞聖人が確かめられ、私たちの先輩方が大切に伝承してきた「浄土」。「お浄土」とはどのような世界だったのでしょうか。単なるあの世、死後の世界だったのでしょうか。生きている私たちには無関係な世界なのでしょうか。「浄土真宗」の門徒を名乗る私たちですが、その肝心要の「浄土」が何であるのか、私たちにとってどのような意味をもっているのか、はっきりしませんよね。情けないことですが、私も現代の言葉で上手に説明する術を持ち合わせておりません。

最近、ある女性の方から聞かせていただいたお話です。

その方のお姉さんは一人暮らしをされていたのですが、数年前に病に倒れ病院での療養生活を余儀なくされているそうです。妹さんたちが世話をされているのですが、お姉さんはとにかく家へ帰りたくて仕方がない。リハビリにも熱が入らず、「こんなところはもう嫌だ。家へ帰りたい」と、ことあるごとに不平不満を訴えておられたそうです。

そこで、とうとう妹さんたちは決意されて、お姉さんの家を車椅子での生活が可能なようにリフォームされたのです。そして、お姉さんを一時帰宅させて、家中を見てもらいました。お姉さんはすごく喜ばれたそうです。

それから、お姉さんは変わられたそうです。「家に帰りたい」と一切口にしなくなったのです。他の患者さんとも打ち解け、リハビリにも積極的になられたそうです。

「あんなに家へ帰りたいと言っていたのに、一体どうしたことでしょうか。不思議なことです。せっかく家も直したのだから、いつ帰ってきてもらってもいいのに…」と、妹さんも苦笑されていました。「きっと安心したのでしょうね」と。

「いつでも帰ることができる家」を得たことの安心感は、これほどまでに人を変えていくのでしょうか。嫌でたまらなかった病院生活すらも積極的に引き受けていけるようになるのですから。

私たちは不満を消したり、不安から逃れたりすることが安心であると考えています。けれども、本当の安心とは、不満を引き受け、不満と向かい合える力のことを言うのでしょうね。そういう力をお姉さんから「いつでも帰ることができる家」が引き出したのでしょう。「いつでも帰れる場所がある。それならば、もう少しここで頑張ってみて、帰って行くのに相応しい身体(人間)に少しでもなってから帰ろう」と。

いろいろな解釈ができるのでしょうが、私はお話を聞かせていただきながら、何となく「浄土」という言葉を思いました。

さて、みなさんは本当の安心の場所をお持ちですか。