009 「七年目の勿忘の鐘」に寄せて

本多 益

今年も二〇一一年の東日本大震災から七年目の三月十一日に、自坊ではご門徒さんや地域の方たちと、午後二時四十六分から「勿忘の鐘」撞きを行いました。みなさんと「震災を忘れない」を合言葉にして三年目の取り組みとなりました。

私が東北とのご縁をいただいたのは、震災後の友人とのボランティア活動でした。その頃は住職と教員を兼業していたこともあって、八月のお盆が終わってからの夏休みを利用し、向かった先は岩手県釜石市でした。震災から五ヶ月目ではありましたが、釜石市の現状は、マスコミ報道ではわからなかった衝撃の景色がそこにはありました。全国から集まった方たちと夕方まで悪臭に襲われながらも必死に瓦礫の撤去作業などをしたことを今でも思い出します。

翌年からは陸前高田市の真宗大谷派本稱寺さまの被災状況が報道されるようになり、自分の目で確かめるために、陸前高田市へのボランティア活動を始めることにしました。

本稱寺さまは、陸前高田市に津波が襲来したときに、本堂などを含め壊滅的に被災され、お身内の方を何人も亡くされました。本堂跡近くの空き地にプレハブの仮本堂を設置し、釣鐘は奇跡的に発見され、被災した鐘楼としてご門徒さまと共に、復興を目指してこられました。ご住職の「東日本大震災を忘れない、亡くなっていかれた方々や復興を目指している人たちを忘れない、細々とでも真宗の教えを繋いでいくことを忘れない」という強い志が「勿忘の鐘」には込められているように思えました。

人間の記憶は、時間の経過と共に薄れていくものです。亡くなっていかれた方を偲ばせていただき、ご法事やご祥月命日としてお参りすることも、仏様の前で素直な気持ちで手を合わせることも、世代が変わりゆく中では更に曖昧になっていくことは必至なのです。そのことを、ご住職は東日本大震災と重ね合わせて「忘れること勿れ」として「勿忘の鐘」を撞きはじめられたのだと思いました。

毎年、自坊の「勿忘の鐘」に参加される方が、「ごえんさん、今年も忘れやんとお参りにきましたわ」「先祖のことも仏さんのことも忘れたらあきませんわな」と言われていたことが思い出されます。各地で被災されたみなさまの復興を願って、今年も八月のお盆明けに東北に向かいます。

合掌

(二〇一八年五月上旬 三講組・光明寺住職)