017 『いのち』

石川 加代子

「あんた、どうしてる?」

離れて暮らす娘に、母の電話はいつも決まってこう切り出します。

私の実家は、いわゆる老々介護で、6年前から寝たきりになってしまった父を、少し耳の遠くなった母が一人で介護していました。

そんな母からの電話は、いつも一方通行で、自分の言いたいことだけを伝えると、こちらがまだしゃべっていてもお構いなしで、ぷつんと切れてしまうことが常でした。私は、その「あんた、どうしてる?」に、母の思いがいっぱい詰まっていることを気づいていましたが、「耳の遠いのは長生きの証拠」と、どこかでそんな風にたかをくくっていました。

そしてその日も、「あんた、どうしてる?」と電話をかけてきて、いつものように私の言葉が終わらない内に、電話は切れてしまいました。けれども(しかし、)その電話の数時間後に、母は還らぬ人となってしまいました。

「寝たきりの父をおくってから、母には少し楽をしてもらって・・・」と、私が描いていた勝手なストーリーとはうらはらに、電話同様、あまりにもあっさりと逝ってしまいました。・・・。大きな悔いだけが残りました。

それから半年後、母の後を追うように、父が逝きました。

長い間の闘病生活を終えて、父は安堵の表情を浮かべているようでした。その安らかな顔に対面した時、ようやく父に、そして先に逝った母にも、心の底から、本当に心の底から「ありがとう」と言えた瞬間でした。

母が逝き、父が逝き、そしてやがて私も逝くであろう・・・世界。すべてのいのちが還りまた生まれていく、そのおおらかな流れの中で、いのちは誰のものでもなく、決して計ってはいけないし、計りようのないもの。そして永遠に引き継がれて続いていくもの。だれもが皆、同じ一つのいのちを生きているのだと思いました。

人は、ただひたすらに生きるだけ、それだけで充分なのだと・・・。

かけがえのない人の死は、私にそんなことを教えてくれているようでした。

(員弁組・西方寺坊守 二〇一六年九月上旬)