003 束の間の御浄土体験

野崎 紘一

「お前もとうとう来たか。わしより十五年も早いな。まっいいか」三途の川の辺で出迎えてくれた親父の第一声でした。

「浄土の世界も、シャバも同じや、新参者は先ず挨拶廻りや。案内したるでついて来いや」と祖父母に始まって、野崎家の先達を次から次へと案内してくれました。

皆さんおだやかな表情でシャバでの生活に労をねぎらう言葉をかけて下さいました。そして最後の結論は「ここに来たら、何も案ずることはない。阿弥陀さんの光をいただいて安穏に過ごすがいいぞ」とおっしゃいました。

ただ一人、全く違う事を言われる人がみえました。

「野崎さん、あんたの息子をここに止めるのはまだまだ早いんとちゃうか。この男、シャバにやり残して来たことが沢山ある筈や、現世に帰しましょに」と、その時、甲高い女性の声が、「野崎さん目を覚まして‼あなたが今みているのは幻覚よ。そちらに引き込まれたら、それこそ死んじゃうよ」と私の頬をパンパン叩くのです。

「死んじゃうよ」の一言に反応したのか目を覚ましました。

私を覗き込む顔々。キラキラ輝く瞳が何よりも喜々とした生身の人間そのものです。

「手術は成功です。それにしても麻酔薬のせん妄作用が相当でましたな。正気に戻っていただいて何よりです」

「野崎さん普段の言葉づかいと違って、それはそれは丁寧な言葉づかいでしたよ。どなたとお話をなさっていたんですか」先ほど私の頬を叩いて下さった看護士さんに言われ、私はただ苦笑いするしかありませんでした。

五年前に私が心臓手術を受けた時の実体験です。

「せん妄作用」による幻覚をみただけというには私は合点がいきません。私の心の奥底に潜んでいた意識が顕在化したのではないかと思うところです。

野崎家を取りまいた多くの先達方の御陰様で、私の今日があると実感しています。

昨年の四月、おふくろが逝きました。荼毘に付す時、「親父によろしくな」が最後の別れの一言でございました。

南無阿弥陀仏

 

(中勢一組・淨願寺門徒 二〇一六年二月上旬)