026念仏のみぞまこと

伊藤 達雄

 二〇〇〇年に長島組第七次壮年特別伝道のため上山をし、帰敬式を受け、仏弟子の名告りをし、二千年会という聞法会を一〇数名の方々と共に立ち上げ、現在に至っております。
 あれから聴聞を重ねること一〇数年、今日では勤行本が無くても、『正信偈』のお勤めが出来るようにはなりましたが、その意義が知りたく、桑名別院で行われていた親鸞教室に五年ほど通わせて頂きました。

 『正信偈』の七言一二〇句。一言一句にこれほど奥深い意味が存在するとは!
 私の思慮の範疇を超えた、感動の時間を過ごしました。

 しかし、その一方で、「原発」については、絶対反対の立場なのですが、かつての自分も、資源の乏しい我が国にとって必要不可欠なものだと信じて疑いませんでした。二年前の3・11の事故後、未だ一五万人以上もの人達が故郷に帰れないという現状。世界中で処理出来ずに、溜まる一方の使用済み核燃料のゴミの山。チェルノブイリを見て、福島の状況を見て、もう原発は無理でしょう、と、誰もが感じていることと思います。しかし、五月中旬頃、現総理大臣自ら、外遊先で、「我が国の原発は安全です」と、セールスして売って歩いているという報道に接し、まさに開いた口が塞がらないといった心境になりました。

 命か金か? 平々凡々で一見幸せそうに思えていた自分の生活が、どんどん深い暗闇の底へと沈んでいくこととなり、私自身、見るもの、聞くもの、全てが疑心暗鬼になりました。

 真実とは何なのか? 『歎異抄』のお言葉に、

  煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろずのこと、みなもって、そらごとたわごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておわします。(『真宗聖典』六四〇~六四一頁)

とあります。
 念仏だけが真実とは、いったいどういうことなのでしょうか?
 自分は今まで何を頼りに、何を信じて、ここまで生きてきたのだろうか? 自分がわからなくなりつつあります。

 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

(長島組・深行寺門徒 二〇一三年九月中旬)