016中村久子展をご縁として

佐々木 顯彰

 会議に出席するため、昨年六月に岐阜県高山市にある高山別院に訪ねるご縁をいただきました。
 飛騨高山といえば、高山祭り、朝市などを思い出しますが、かの有名な念仏者として生きられた中村久子氏の生誕地でもあります。
 この時、高山別院での中村久子展を拝見する機会を得ました。

 中村久子さんは、三歳の時に「突発性脱疽」という難病にかかり、命が危ぶまれるために両手両足を切断し、その後の人生を歩まれた方です。

 このような状況での日常生活は想像を絶するものであったと思われます。
 久子さんの言葉には、母親に対する恨みと怒りを、
 「宿世には いかなる罪をおかせしや 手足なき身のわれは悲しき」
と、その心中を語っておられます。

 そんな生活状況の中で、お念仏の教えに出遇う原点になったのが、『歎異抄』だったのです。
 久子さんの後半生を窺いますと、親鸞聖人の教えによって、身の事実を引き受けられ、仏恩への感謝と共に、両親や夫などへの深い感謝の言葉を述べられています。お念仏の教えによって、生かされている身を、
 「手足なき 身にしあれども 生かさるる いまのいのちは とうとかりけり」
といただかれています。

 本願念仏の教えを人生の柱として生きられ、外に向かって批判するあり方から、内なる我が身の事実を受け入れる温もりのある生き方へと転換された中村久子さんです。
 久子さんの人生はともすると、昔話として捉えられ語られるかもしれませんが、決してそうではなくて、五体満足の身体でありながら、なにかしら不平不満だらけの私に、いつでも時代を超えて人生の課題を語られているように思います。

(三講組・安顯寺住職 二〇一三年六月上旬)