002御遠忌をお迎えして

渡邊 誉

 一昨年は宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌の年であり、その法要直前に起こった震災は、すべての人の記憶に残る出来事になりました。

 そして、そのことが、真宗門徒を名告る私一人が御遠忌をどうお迎えするのかを考え直すきっかけになりました。「教え」の前では、しきりにすべての人と「共存」、「共生」を口にしながら、実は望んでいない私の日頃の生活。「人間の知恵の浅はかさ、暗さ」を語りながら、私に問われている事実に向き合ってこなかった姿は、自分だけが助かればいい、自分が生きている時代だけなんとかなればいい、というものでした。単なる開き直りや後ろめたさではなく、楽や明るさだけを求める心が実は苦悩のもとであり、深い罪業ではないでしょうか。

 私は、「今だけ」、「ここだけ」、「自分だけ」では過去からのつながりや社会との関わりを見失ってしまうと思います。同時に、未来からの呼びかけや子どもたちに何を手渡したいのかを想像できないならば、本当に生きる意味が見えないということになるのではないでしょうか。

 そして、そのことを宗祖は「空過」、「むなしくすぐる」と自らもいただき、また私たちに語っておられるのではないかと思います。

(員弁組・西願寺住職 二〇一三年一月中旬)