034土から離れては生きられない

岡田 豊

三重教区では「共に、大地に立たん」を御遠忌スローガンから、教区教化の基本理念としました。

そこで「大地」ということについて少し取り上げてみたいと思います。

この共に立つべき「大地」を考える時、思い浮かべる言葉があります。それは、宮崎駿の『天空の城ラピュタ』というアニメ映画のなかで、滅び去ったラピュタ王族の末裔、シータの語る、「土に根を下ろし、風と共に生きよう。種と共に冬を越え、鳥と共に春をうたおう」という、ゴンドアの谷の歌です。

どんな高邁な思想も、高度な文明も、土から離れては生きてはいけません。土を離れては滅びてしまうでしょう。

そして土とは人間の生活のことでしょう。

仏教は生活に根ざしたものであり、習俗にまでなっている。習俗になっていない宗教なら、それは宗教の名に値しない、と教えられたことがあります。それでは、真宗門徒の生活とはどういうものでしょう。毎日、勤行することがどんな生活を開くのだろうかと、疑問に思ったことがあります。

20年ほど前でしたか、観光で高山市を訪れ時のことです。郊外に山村の古民家ばかりを集めた所がありました。雪深い山里の古民家はどれも、囲炉裏のマキの煙で燻されて真っ黒でしたが、きまって一部屋だけ畳の部屋があり、そこには、お内仏がありました。それは南無阿弥陀仏を生活の中心にすえるという、村人の何代にもわたって伝承された生活態度、生きる姿勢が正しくそこに現れていると感じました。私は大きな感動を覚え、ここに真宗門徒の生活があったのかと、深い感銘を受けました。

ふりかえってみますと、それは何も特別なことではありません。私たちの町でも5、60年ほど前までは、どの家においてもお内仏があり、しかもあたり前のように、真宗門徒の生活が保たれていたように思えます。

しかし、昔は良かった、今は無くなってしまったと嘆いてばかりではいられません。真宗がどんな生活を現代の私たちの上に開いているのか、真宗がどんな課題を示しているのかを明らかにする責任が、今、私たちにあるのではないでしょうか。