022骨の無い墓

伊東幸典

仏教の創始者であるブッダは『法句経(ダンマパダ)』で、

己(おの)が身にひきくらべて、殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ。

(『ブッダの真理のことば・感興のことば』岩波文庫二八頁)

と説かれています。

「苦しむ生命の側に自分の身を置いて考え、行動しなさい」という意味です。現在、ウクライナとパレスチナでの紛争は激化し、多くの人々が亡くなり、傷ついています。このような武力で殺傷し合う戦争やテロ行為には、それを正義とする正当な理由はありません。命令を出している統率者は、「己が身をひきくらべる」思いを見失っているのでしょうか。殺され、傷つけられている市民や兵士の恐怖に、共感することができないのでしょうか。

寺院の墓地に、太平洋戦争で戦死された方のお墓があります。遺族の方は、「幼かった私に父の記憶は残っていない。せめてお墓だけでも、という母の願いで建てた、お骨が収められていない父のお墓。私には、ただ名前が刻まれた石としか感じられない。だから、私は墓参りをして悼む気持ちになれない」と言われました。この方のお父さんは、南方の島で玉砕されたらしいということしか分かっていないそうです。今なお、お骨は見つかっていません。

昭和二〇年七月の桑名空襲で家族を亡くされた方のお話。「市内あちこちに爆弾が落ち、あっという間に火の海になった。逃げる途中で家族はバラバラになり、自分と弟は防空壕に入れてもらって助かった。空襲が治まってから、一晩中、二人で焼け焦げた町を歩き回って母と妹を探した。途中、何人もの人に尋ねたり、あちこちの避難所で名前を呼んだが見つからなかった。結局、母と妹は死んでしまった」とのことでした。この方のお父さんは戦地で亡くなられています。

私たちは、悲惨な歴史から平和を維持することの大切さを学びました。そして、憲法で平和主義を掲げ、戦争はしないことや戦力を持たないことを謳ってきました。戦争による惨禍は繰り返さないという決意表明です。今、内閣は「集団的自衛権」の行使を容認し、悲しい歴史を繰り返そうとしています。