002父に似てきた私

山口晃生

40代半ば迄、仏縁の無い私でしたが、70を過ぎた今「宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌法要」という遇い難いご縁に遇わせて頂けること、本当に有り難いことだと感謝しております。振り返りますと色んな事がありました。

「ご院住(えん)さん、今日は仏華活(はない)けてるなぁ、法事の準備をしているなぁ」と、私の家(うち)からお御堂(みど)がよく見えます。寺の近くに住んでいる関係か、代々寺役も頂き、父も責任役員や組門徒会員を引き受け、会議や奉仕上山へとよく出かけておりました。家でも毎朝、夜明け前には起床し、大きな声で『正信偈』を勤めます。早朝の静まり返った中、父の声だけが近所に響き渡り、目覚まし代わりになったと言う人もいたくらいです。当然、寝床の中の私の耳にも聞こえてきますが、当時は「朝っぱらからウルサイナぁ」としか受け取ることが出来ない私でした。

万事が「お内仏中心」という父(ひと)でしたので、「お寺さんのことはオヤジに任せとけばええんや」と私も全く無関心、そんな念仏三昧の父に反感すら持っておりました。

しかし、私が46歳の時、母が急死、それがご縁となり特伝を受けることになりました。そして聞法会や報恩講に参るようになると、老いた父は我がことの様に喜んでくれました。そんな父もいつしかお浄土へ帰り、気が付けば私も「組門徒会員」を長年引き受けている。そして父を知る人から「お父さんによく似てきたね」と言われるようになったことを内心喜んでおります。

そんなご縁で、この度別院の御遠忌を迎えますが、気を付けることは「御遠忌という大きな法要」は得てして「イベント」として捉えてはいないか、イベントなら済んでしまえば「やれやれ」とそれで終わりになってしまう。そうではなくご縁を頂いた後、宗祖に出遇えた慶びを後世へ伝える為に、私は何をするべきかが、大事なのではないでしょうか。この御遠忌を機に改めて真宗門徒としての生き方を問い、聞いていく、お内仏中心の生活をする、そうすれば子や孫も必ずや親鸞聖人に出遇い教えを引き継いでくれるものと信じております。

南無阿弥陀仏