032報恩講

王來王家眞也

私ども真宗同行(門徒)は親鸞という名を遺産として与えられ、今年は750年になりました。その名によって生み出された「正信念仏偈」を今日まで詩(うた)い続けてまいりました。これこそ親鸞の遺産を相続している証しではないでしょうか。

それは「帰命無量寿如来(きみょうむりょうじゅにょらい)」と念仏に始まり「唯可信斯高僧説(ゆいかしんしこうそうせ)」と「正信」に終わる仏教讃歌を詩う念仏者即ち本願の行者の存在が「報恩講」の名のもとに、家庭・寺・本山というそれぞれの場所で実働しているからであります。

言うまでもなく、念仏は仏言であり、それを称するのは仏言を信受したことでありましょう。信受して生きる同行の存在は、現今の社会を覆う黒雲、今世紀に入って益々先の見えない下り坂を感ずる時、必ずや「無明長夜(むみょうじょうや)の灯炬(とうこ)」(真宗聖典 503頁)としての意義を担っているのではないでしょうか。

親鸞聖人は念仏の生活者である本願の行者に「御同朋・御同行」と呼びかけ、「御」の字を冠して尊ばれております。身は煩悩を具足する凡愚でありますが、「御」の字をもって対面された聖人は、そこに不動の大地をいただいて歩む生活者への信頼をこよなく寄せておられるのであります。