031琵琶‐聞法

池田真

琵琶を習い始めて一年ぐらいになります。以前、大学でいっしょに仏教を学んだ薩摩琵琶の先生である山内光司さんが私に勧めてくださいました。山内さんは定年後、手次の住職様のお勧めで教師資格(僧籍)を取られ、現在はお寺の手伝いをしておられます。

私が初めて山内さんの琵琶演奏を聞いた時、その素晴らしい音色・響きを感じました。しかし、私の中で琵琶を弾くということは全く考えませんでした。むしろ自分には関係のない楽器として、お誘いいただいてもお断りをしておりました。出会いから一年後ぐらいでしょうか。山内さんが体調を悪くされ、手術することになりました。「元気になったら琵琶を学びましょう」という内容のお手紙と琵琶のご本を送ってくださいました。それが私のスタートとなり、現在も琵琶を教えていただいております。

今、琵琶との出会いを考えると先輩の導きがなければ、後輩は学ぶ縁を持てない…ということを思います。また、後輩も自身の分別・ものさしだけで先輩の導きを否定していたら、何も継承されることはないのでしょう。そして何より、私たちが先輩(仏さま)の言葉に耳を傾けず、自分の分別だけを頼りとしていく姿勢が、せっかくの人生の意義を狭くしていく一番の原因なのでは…と気づかされます。

最後に、亡き諸仏を通してその願いに出会い、帰るべき人生の方向が定まったという曲をお聞きください。

大願の船を荘(かざっ)て 戀慕(れんぼ)の涙に浮べ 正信の帆を挙げて 渇仰(かつごう)の息(いき)に馳(は)す 生死苦海は 無念の朝(あした)の徑(みち) 涅槃彼岸は 無生の暮(ゆうべ)の棲(すみか)なり(「声明 涅槃講式」)